宇宙、日本、練馬

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『花咲くいろは』 仕事をするということ

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 本当に今更ながら『花咲くいろは』を視聴し終えた。放映当時はオープニングかっこいいなーとか、安藤真裕氏が監督なんで見ないとなーとか思っていたが、結局今まで見る機会が無かった。

 先日、何の気なしにTSUTAYAでDVDの1巻をレンタル&視聴してみたら、今の俺にどストライク。Blu-rayを全巻衝動買いしてしまったが、いや、いい買い物をした。で、なにが心に響いたかというと、「仕事」というものを真摯に描いていると感じたからである。また後半になるにつれ、「夢」というテーマが鮮明になる。この部分にも感じるものがあった。この2点について自分の考えを記しておこうと思うが、まず仕事について今日は書きたい。

 「仕事」アニメとしての『花咲くいろは

 『花咲くいろは』は2クール作品だけあって、様々な要素が作中にある。そのことは、安藤真裕監督も以下のように述べている。

安藤「『花咲くいろは』は青春モノでもあり、家族モノでもある。また見る人の年代や立場によってもいろいろな受け取り方ができる器の大きい作品。 (後略)」

 「花咲くいろは スペシャル対談 監督・安藤真裕×プロデューサー・堀川憲司」『花いろノートブック 其の九』より抜粋

 「青春モノ」、「家族モノ」という両輪がありつつ、その他の読みを許容する作品としての強度がある、という自負が、このインタビューからうかがえる。また、脚本の岡田磨里氏は以下のように語る。

岡田:「(前略)まず堀川さんに言われたのは、仕事を題材にしたオリジナル作品だと。それも“ピーエーワークスの若いスタッフたちが、仕事を楽しいと思えるようになるアニメを作りたい”ということだったんです。(後略)」

 「公式サイト スペシャルインタビュー第6回」より抜粋

 岡田氏のこの言葉から、上記の二つに加えて「仕事モノ」という捉え方もできよう。「仕事」を扱っているアニメであること。それが俺がこのアニメに惹かれた理由であり、またその「仕事」の描き方が作品を大いに魅力的にしている。

 

「仕事」はどう描かれているか?

 「仕事」というものを真摯に描いている、と先に述べた。では、なぜそのように感じたのか。作中でどのように仕事が描かれていたかを自分なりに確認してみる。まず、「やりがいのあること」、「誇りがもてるもの」など、ポジティブな側面が描かれる。仕事に人生を捧げてきた四十万スイや、日々の業務をこなす姿が印象的に映し出される板場の3人組や仲居の二人、仕事に対して積極的に向き合ってゆく松前緒花の姿からも、誇りをもって懸命に仕事に取り組むことの素晴らしさが伝わってくる。まさに「仕事は楽しい」と思えるアニメだといえるだろう。

 

 だが、ポジティブな面だけでなく、ネガティブな面もきちんと描かれているのである。主人公の母、松前皐月が、その仕事を緒花になじられるシーンは印象的だ。ここで、「誇れる仕事」だけが仕事ではない、という現実がさらっと言及される。

 また、若旦那である四十万縁は、その生まれから仕方なく、適正がないとわかっていながら今の仕事についていることが語られる。やりたいと思った仕事を、だれしもやれるわけではないのだ。

 仕事に人生を捧げてきた四十万スイも、そこに後悔が無いわけではない。仕事と引き換えに、娘や息子との関係を犠牲にしてきたことを自覚していることが、物語の終盤で明らかにされる。このスイの語りが、仕事に熱中することで、失うものもあるのだということを隠さず語っている。

 このように、仕事の正負の側面を描いている、この点において『花咲くいろは』は仕事に真摯に向き合っているといえるだろう。正負の両面に言及しつつ、それでもなお、一生懸命に仕事に取り組むことを肯定する。仕事とはすばらしいのだと言いきってみせる。そんなメッセージが自分の心に強く響いた。

 

 そんなわけで、『花咲くいろは』は面白い。またの機会に、「夢」をどう描いているのか、なぜそれに感銘を受けたかを書こうと思う。

 

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