宇宙、日本、練馬

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『風立ちぬ』 堀越二郎の「夢」と業

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 先日、『パシフィック・リム』を観た後続けて『風立ちぬ』を観た。やはりいい映画だと再認識したが、物語全体を貫く芯は堀越の飛行機設計であり、菜穂子との恋愛は(印象的ではあるけれども)あくまで添え物にすぎないとの思いも強くした。

 堀越の追う、美しい飛行機を作りたいという夢は、幾重にも犠牲を払わなければやり遂げられないものであることは、劇中で何度も示される。しかし、それに対する堀越の明確なスタンスは明示されていないように思える、と前に書いた。この点について、少し考えてみたい。

 飛行機を作ることの業=矛盾

 まず、飛行機設計がなぜ業深きものなのかを確認せねばなるまい。作中で示されるのは、以下の2つの論点である。

  1. 飛行機作りをするためには莫大な金がかかるが、日本は貧しく、子どもも飢えている。
  2. 飛行機は、必然的に戦争の道具として使われ人を殺す。

 ①の論点を提示するのは同僚である本城である。彼はそれを矛盾と自覚しつつも、飛行機は作らねばならない割り切っている。

 ②の論点は、夢の中のカプローニと、本城の二人によって示されるが、より印象的なのは前者の方だろう。カプローニは、飛行機をピラミッドに例え、たとえそれが犠牲の上に立ったものだとしても、私はピラミッドのある世界を望むと声高に主張する。

 どちらの論点が提示された際も、堀越がどう考えているかは一見してはわからない。堀越の姿勢はどこに表れているか。それは堀越自身が見る「夢」の中であると私は考える。

 

「夢」に漂う破滅の予感

 『風立ちぬ』の演出において特徴的なのは、二郎の見る「夢」がたびたび登場することだろう。この「夢」が出てくる場面は、以下の通りである。

  1. 少年時代、自作の飛行機で飛ぶが、謎の空中戦艦の登場によって墜落
  2. 少年時代、草原でカプローニと出会う。
  3. 学生時代、震災の最中にカプローニの試験飛行失敗を見る。(白昼夢と思われる)
  4. ドイツにて、雪原から列車に乗り、カプローニと出会う。最後の飛行。
  5. 戦後、墜落した戦闘機のただなかを歩く。草原でカプローニ、菜穂子と再会。

 この夢のうち、カプローニが登場する夢はどことなくアニメ調の演出がなされている。しかし、二郎単独で見ている夢はどうであろうか。それは番号で言うと①、④の前半、⑤の前半ということになる。それぞれについて考えてみよう。

 ①では、中途まで快調だった飛行が、謎の空中戦艦の出現によって一転する。眼鏡なしでも全く問題なかった視界がぼやけ、自分の現実での目の悪さを思い出す。そして最後には飛行機は脆くも墜落してしまう。この夢が暗示するところは、パイロットにもなりたいが、現実的にそれは無理だろうということを堀越少年は内心分かっている、ということであろう。

 ③では、雪原を歩く堀越の頭上で、雲から飛行機の残骸がぱらぱらと落ちてくる。これは、本城との会話から、日本の貧しさと、それでも飛行機を作らねばならない自分たちの立場ということを自覚してからみた夢であることが重要ではなかろうか。そうした矛盾を抱えた中で、飛行機を作る。そのことによって、破滅が訪れるのではという不安感が夢という形をとって表れたのではないだろうか。

 これこそ、矛盾を突きつけられた堀越の偽らざる感情だったのではないだろうか。矛盾を抱えたままでは、いずれなんらかの形で矛盾が露わになり、破局に至ることはわかっている。それでも、そのあとに夢に登場するカプローニの後押しによって、自分の才能を賭けて飛行機を作ることを決意する。この③の夢こそ、物語上での堀越のターニングポイントの一つといえるのではないだろうか。そしてその後カプローニにかわって、二郎を現実で後押しする存在として、ようやく菜穂子が表舞台にでてくるわけだ。

 ⑤では、言うまでもなく、前述した不安感が現実のものとなり、どうにもならない破局を迎えた現実が夢まで侵食している。その後かつて夢を後押ししてくれたカプローニと菜穂子との再び邂逅することによって、堀越は歩き出すのである。

 

 「夢」というモチーフを元に、こんな風に考えてみた。飛行機設計の業に対する堀越の姿勢は、明示されていない分、議論の余地がある部分であると思うので、リアルでも話してみたいトピックだなと思う。

 

風立ちぬビジュアルガイド (アニメ関係単行本)

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