追記 2017/04/22
再読して改めてメモったのでこちらをあれしてください。
作者: 吉見俊哉- 出版社/メーカー: 河出書房新社
- 発売日: 2008/12/04
- メディア: 文庫
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2016年7月追記
読み返してみたらあまりにもうすっぺらくてあれなので再読して書き換える予定。
吉見俊哉『都市のドラマトゥルギー』を読了。カルチュラル・スタディーズの第一人者として知られる氏の処女作。明治期から昭和末期までの、東京の盛り場の変遷の様子が、演劇の概念を援用して描かれていた。
氏は盛り場の変遷の様子を、盛り場で演出をする行政側と、盛り場で「演者」となる人々の相互作用に着目して捉える。人々に着眼点を置いているという点で、まさしく本書は「社会史」的な試みである。そのような社会史的なアプローチに加え、強固な理論的枠組みと、「演劇」的な独自の分析概念を適用し論を進めていく。このことが単に歴史学とも、社会学ともつかない独特の読み味を生み出している気がする。
明治期の「浅草」から「銀座」、昭和期の「新宿」から「渋谷」へのヘゲモニーの移行を、同一の機制の中で描きだしているのが見事。社会史的なアプローチによって民衆の姿を詳細に描きだしたことが、この論に大きな説得性を与えていると感じた。
ただ、結章などで多用される演劇から援用されているとおぼしき概念に、かなり混乱させられた。特に、「役を演じること」についての吉見氏の解釈は理解が及ばず。
そこらへんの分野も勉強せねば。
最後の一文がかなり印象的だったので、引用しておこうと思う。いつかこんな名文を書いてみたいもんだ。
われわれは現在、いまを〈演じる〉こと呪縛のなかにいる。だがしかし、その呪縛を解き放つのも、いま、ここで〈演じる〉こと自体なのだ。