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『切腹』 未だ色褪せぬ傑作時代劇

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 小林正樹監督『切腹』を観た。三池監督が最近リメイクしたことを知り、そっちを観る前にこの1962年版を観ようかなと思い立って観ることにしたのだが、期待をはるかに上回る面白さだった。石濱朗の、壮絶に痛みを感じさせる切腹、仲代達矢三国連太郎の鬼気迫る舌戦、そして最後の大立ち回り。50年の時を経ても色褪せぬ魅力がそこにはあった。

 本作の魅力は語りつくせないほどあると思うが、自分が何より感動したのはそのストーリーである。その中で語られるのは、現代的/普遍的なテーマであると感じた。それこそが、本作が50年の時を経て鑑賞に耐えうる映画足る所以ではないか。それについて以下で書き留めておきたい。

 現代的なテーマ―『切腹』の新自由主義批判

 『切腹』から読み取れる現代的なテーマ。それは端的に言って、全ての選択とその結果の責任を個人に帰する、新自由主義的な発想に対する鋭い批判である。このモチーフは、物語が終盤に差し掛かるあたりの、仲代達矢演じる浪人、津雲半四郎と三国連太郎演じる井伊家家老、斎藤勘解由の問答において表出する。

 津雲は、婿養子であった千々岩求女と娘、自分の身の上を語り終え、求女に強硬に切腹を迫った井伊家の在り方を糾弾する。対して斎藤は切腹を申し出たのが求女であった以上、その責任は求女自身にあり、井伊家には何の非もないと切り返す。

 この斎藤の発想は、まさに新自由主義の一面を表したものであり、たとえ人の死ですら、「自己責任」に帰することを厭わない。求女の行動が、徳川幕府が福島家を取りつぶしたことがそもそもの原因であり、彼自身のみに責任があるわけではないことが、津雲の口から語られてきた。故に、斎藤の発想は観客の共感を得られようはずもない。津雲の語りによって、斎藤の発想の傲慢さ、つまり新自由主義の負の側面が暴かれたのである。これこそ、『切腹』が現代においても見る価値ある映画であるゆえんでないかと思う。

普遍的なテーマ―「常識」への疑義

 また、『切腹』は普遍的なテーマを語った映画でもある。それが語る普遍的なモチーフは数多いと思うが、自分が特に感じたのは「常識」の怖さ、である。『切腹』は「常識」への疑義を呈する映画だとも言うことができるのではないか。

 ここでの「常識」とは、武士道に体現される倫理観である。作中で、斎藤の価値観には疑義が呈されることはあれど、結局のところ彼の「常識」である武士道は揺るがない。それに沿って、最終的な事態の収拾が図られ、津雲の決死の覚悟は、結局のところ個人的な復讐劇へと陳腐化することになる。

 これは、我々が無批判に従っている「常識」、それが如何に強固であるのか、そしてそれが個人の感情を回収し無意味化するものであることを、端的に表しているのではないかと感じた。そんな「常識」の恐ろしさが、衝撃的なラストに込められているのではないだろうか。

 

  こんな傑作をリメイクしようとした三池監督はじめとするスタッフの心意気はすごい。リメイク版では津雲を演じるのは市川海老蔵だそうだが、仲代の鬼気迫る名演にどこまで肉薄できるか。そして物語はどう変わっているのか。近いうちにリメイク版もみてみよう。

 

 

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