宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

『127時間』 壮絶な映画体験。壮絶なバイオレンス。

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 『127時間』をみた。ダニー・ボイル監督作品ということで、みたいみたいとは思っていたが、どう考えてもつらそうだし、痛そうだし、見るのを何となく避けてきた。つい先日、意を決してTSUTAYAでレンタルして、鑑賞することにした。結果、想像以上に感情が、魂が揺さぶられた。その感想を書き留めておきたい。

 圧倒的な感情のリアリティ―壮絶な映画体験

 なぜ、『127時間』が、こうまで自分の感情を揺さぶったのか。それは、究極の極限状態に追い込まれた主人公の感情の揺れを、みるものが追体験せざるをえないような、そんな映画だからだと思う。つまるところ、映画鑑賞なんて生易しいものではない、生々しく、グロテスクでさえある映画体験を、『127時間』は見るものに強要してくるのである。

 なぜ、5日間も一歩も動けない男の、その一挙手一投足に釘づけになるのか。全く自分の人生とは関係なく、多くの人が死ぬまで体験しないような極限状況におかれた男の、しかし退屈にも感じられる可能性のある一挙一動を。主人公から目が離せなくなる、その理由は、おそらく、主人公に感情移入することを余儀なくされるからだろう。脚本、演出、編集、それらが混然一体となって、主人公に強制的に感情移入させる。まさに神業といえる映画作りを、ダニー・ボイルはじめとする製作陣は成し遂げたといっていい。

 そして、主人公を演じたジェームズ・フランコの演技も、我々の感情移入の度合いを更に高める。不安、焦り、恐怖、束の間の安堵。そして究極の苦痛。身体の動作が大幅に制限されているのにもかかわらず、彼の演技はそれらをダイレクトに伝えてくる。この感情移入を喚起するという点で、この演技を超える演技がはたしてあるのか。それほど凄まじい演技だった。

 

 このふたつの神業があってこそ、かけがえのないものを失ったが、同時に命という何にも変えられない宝を得た主人公の、言語を絶する解放感を、見ているだけの観客も共有できる。この解放感を後押しする劇伴もまたいい。シガーロスのこの曲が盛り上がる時の感情の高ぶりといったら。


Sigur Rós - Festival - YouTube

 

 この映画で、主人公が失ったものは間違いなく巨大だが、それでもなお前に進み続ける男の姿はまぶしすぎるほど。本当に見てよかったと思える映画だった。

 

身体を傷つけることの意味―壮絶なバイオレンス

 と、こんな感想を書いて記事を閉じようと思ったのだが、もうひとつ、『127時間』を語るにあたって外せない要素があったことを思い出したので、追記しようと思う。それが、バイオレンス描写だ。

 

耐えられない「バイオレンス」の軽さ―アニメ・ゲームにおける暴力描写に関する雑感 - 宇宙、日本、練馬

 

 以前、上の記事で、日本の美少女ゲームのバイオレンス描写に関する違和感を書いた。そこで、『ノーカントリー』や『ハートロッカー』など、ハリウッドのメジャーな映画は暴力に真摯に向き合っている、と書いたが、『127時間』は、それらをはるかに超えて、人間の身体を傷つけるとは、いったいどういうことなのかをこれ以上なく示していた。

 『127時間』の、自傷シーンは、これ以上なく直接的に描写され、その痛みがジェームズ・フランコの一世一代の演技からひしひしと、しかしダイレクトに伝わってくる。正直、正視できないレベルだったし、実際このシーンで変な脂汗がでてきて心臓の動悸が激しくなった。このえも言われぬ感覚こそが、人間の身体を傷つけるという行為のもたらすもの、ひいては暴力一般と分かちがたく結び付くものなのだろう。

 

 『127時間』は、強烈な痛みを描写する必然性があったからここまで直接画面に写したのだろう。全ての映画にこんな凄絶な暴力描写をしろとはいわないし、されたらこまる。でも、暴力という行為に無自覚なテキストを生み出す人間は、この映画を一度見てみてほしいと願っている。

 

 

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127 Hours

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