宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

『キルラキル』感想 好きだよ!、でも、若干の不満もあるよ

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 『キルラキル』のTV放映全24話が終わったわけなんですが、やっぱり期待に違わず面白かった。正直、中盤は3話に1話くらいの頻度でしか、こう、超面白いとは思わなかったんですけど、皐月のクーデター以降、終盤のテンションの上がり具合は半端じゃなかった。でもでも、やっぱり期待にたがわぬ出来でも、期待以上の面白さじゃなかったというか、もっともっと面白くなった気もして、そこに若干の不満もあるわけですよ。以下で見終わったそのままの思いの丈を書いておこうと思います。

 ここが好きだよ、『キルラキル』!

声優の演技がすんばらしかった!

 やっぱり一番印象に残っているのは、主演の小清水亜美さんをはじめとする声優陣の熱演ですね。流子の啖呵の勢いは、作品全体を引っ張っていくレベルの熱さがあって、中島かずき一流のセリフ回しとあいまって、『キルラキル』という作品を貫く魅力になっていたと思います。

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 他のキャラクターを演じた声優さんたちも、もちろんスンバらしい演技だったと思うんですけど、特に印象に残っているのは蒲郡苛を演じた稲田徹さん。男塾を思わせる強烈な敵役としてまず舞台に上がって作品の雰囲気を締め、そして頼りになる味方への転身をさしたる違和感もなく演じたその器用さ、なによりも敵としても味方としても強烈な存在感を放ち続けたその「なんだかわからない」勢い。僕の中では『キルラキル』=蒲郡苛といっても過言ではない。

 声優陣の演技に関しては全く非の打ちどころがないアニメだったと思います。ハルコさんの声も久々に聞けたし。

『キルラキル』とは「革命」である

 僕が『キルラキル』の終盤が好きな理由は、やっぱりその展開にある。今まで羅暁の意志に従っていたと思われていた皐月が、その羅暁に反旗を翻す。ここで、それまで権威に従うだけの存在だった皐月の位置が反転し、流子と同じく「反体制」の側になる。この展開に得も言われぬ爽快感を感じました。

 そしてその皐月の「革命」があえなく失敗するのもいい。失敗してなお戦い続ける四天王とヌーディストビーチの姿のかっこよさたるや。この、どうあがいても勝ち目のない消耗戦をシリアス一辺倒で執拗に描いてくれたらなお良かったんですが…。

 この「革命」というモチーフ、今石×中島コンビの『天元突破グレンラガン』と共通するものがあるなと思うんですが、両者で全然描き方が違うなーと感じています。後でちゃんと記事を書きたい。

一寸の虫にも五分の魂があるんだよ!

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 僕が中盤の『キルラキル』があんまり好きじゃなかった理由は、学園全体で関西を攻める展開のはずなのに、序盤で流子に戦いをいどんで敗れたボクシング部部長袋田や、テニス部部長函館が、かけらも出てこないから、っていうのがあったんですよ。現実的にいえば、作画の手間とかで出せない、というのはわかるんですが、彼らの姿がないのはおかしいじゃないかと。流子に負けても、彼、彼女らにはそれぞれの人生があるわけで、だとしたら三都制圧襲学旅行に彼らが同行していないのはおかしい。

 でもその後最終盤に彼らが再登場して、マコと協力して裸の太陽丸を突き動かして戦う。もうね、この展開だけで、奴らは三都制圧襲学旅行の時はちょっとみかけなかったけれども、それぞれの人生を生きて、戦ってんたんだなと。裸の太陽丸を突き動かすという、土壇場の見せ場のために雌伏の時を過ごしていたんだなと、勝手に感動してしまって。まさしく一寸の虫にも五分の魂、それを描いてくれたのが本当にうれしかった。

 

『キルラキル』への、若干の不満

シリアスとコメディのあいだー脚本と演出のミスマッチ

 そんな『キルラキル』にも、若干の不満もあって。その一番の要因が、シリアス展開でもなお容赦なくその空気を壊してくるコメディ演出。その代表はやっぱりマコだ。

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 マコの底抜けの明るさがなかったら、作品全体のトーンがとんでもなく暗くなってしまうし、キャラとしてはトップ2のノノに通じるものがある気がして好きなんですが、マコのせいでシリアスな場面が台無しになっているところもままあるような気がする。

 そんな風にシリアスな雰囲気を脱臼させていくのが『キルラキル』的な演出の特徴かもしれないけれども、他の道もあったはずでは。一人また一人と人間が服に取り込まれていくという展開、とらわれた皐月、自暴自棄になった流子という絶望的状況には、絶望的状況に相応しいシリアス演出の方が自分好みだったなと。

 

鬼龍院羅暁の行動原理

 それと不満だったのは羅暁の行動原理の「納得できなさ」。彼女は、なぜ生命繊維の自己保存のために人類全体を犠牲にしようと考えているのか。人は服に着られるためにある、という理念はどこからくるのか。それらが全然共感できない。これは、『天元突破グレンラガン』と結構対照的だと思う。

 グレンラガンでは、螺旋王とアンチスパイラル、その両者ともに登場した際には、「理解の及ばない化け物」のごとく描かれていたように思う。おおよそ感情というものがないように見える螺旋王、そもそもニアという媒介を介してしか意思を見せず、人格があるのかどうかも定かではなかったアンチスパイラル。

 しかし、後に明かされた両者の行動原理には納得できるものがあった。アンチスパイラルの脅威を逃れるための防衛策として、苛烈な支配を敷いていた螺旋王。宇宙全体の崩壊を食い止めるために、螺旋族を止めなければならなかったアンチスパイラル。ラストもアンチスパイラルの行為、行動は否定しても、宇宙の崩壊を阻止しようという意志は受け継ぎ、別の方策を探すという道を選んだ。両者とも、「理解できない化け物」から「理解すべき他者」へとその位置が転換したといえる。

 

 一方羅暁は、後光が差しているけれども見た目はあくまで化け物ではなく「人間」である。圧倒的な権威の保持者として振舞っているという点では、皐月とつながる部分も少なくない。しかしその目的が明らかになるにつれ、次第に「理解できない化け物」と化していく。羅暁には、継承すべき意思をどうも感じ取れるだろうか。少なくとも、僕にはそう描かれていたようには見えなかったし、流子もその意思を完全に否定し、あくまで全くの他者として敵対し、倒された。

 この悪役の描き方は、どちらかに優劣があるとは思わないが、僕はグレンラガンの方が好きだ。全くの悪役なんて、この世にはいないと思うから。人間の見た目をした化け物を倒すことが、そんなに魅力的だとは思わないし。

 

 見終わった感想はこんな感じです。不満もあるけど、やっぱり半年間視聴者として楽しんだことは事実で、それはやっぱり作品に関わった人たちがクオリティを上げるため命をかけた結果、稀有な面白さを持つ作品になったからじゃないかと思う。この作品をリアルタイムで見れて幸せだった、そう思える作品でした。スタッフ及び関係者の皆様、半年間とても楽しませていただいて、本当にありがとうございました。

 

「キルラキル」オリジナルサウンドトラック

「キルラキル」オリジナルサウンドトラック

 

 

 

 

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