さきほど2話の放送が終わった『キャプテン・アース』期待通り、いや期待をはるかに超えて面白い。
五十嵐×榎戸アニメの、これまでと、これから―『キャプテン・アース』によせて - 宇宙、日本、練馬
放送前にこんな記事を書くくらい楽しみにしていたくらいなので、期待値はかなり高かったんですが、それを悠々と上回る横綱相撲。
そんな話はひとまずおいて、僕が『キャプテン・アース』を見るときに、五十嵐×榎戸コンビの前作、『STAR DRIVER 輝きのタクト』を通して見てしまうんですよね。スタドラをみた多くの人がそうかもしれませんが。なので『キャプテン・アース』と『STAR DRIVER 輝きのタクト』、それぞれの主人公に着目して現段階での感想を書いておこうと思います。
意外と空気を読む主人公だったタクト
さて、スタドラの主人公、ツナシ・タクト君、今にして思えば意外と「空気を読む」主人公だったんじゃないかと思います。銀河美少年という肩書のエキセントリックさ、奇抜な衣装とその性格のギャップがそう思わせている面は確かにあるんじゃないかという気はするんですが、全体としてそんな印象を漂わせている。
その「空気を読む」のが上手いことが、序盤スガタから強烈な反発を受けていた要因なんじゃないかなと。空気を読めるタクトだからこそ、空気を読んで自分の意志とは別にして綺羅星十字団と戦ってるんじゃないかという疑念というか。器用な生き方が癪にさわっていたのでは、と「8話 いつだって流星のように」における言い合いから読み取れるんじゃないかと思います。
それ以降スガタに対しては空気とか関係なく接する関係になるような気がするんですが、だからこそカナコやベニオ他、多くの友人に対しては空気を読んで接していることが際立つ。そんな感じで、僕はタクトを、空気を読むことにたけた器用な主人公だと感じるわけです。
あえて「空気を読まない」ダイチ
一方、『キャプテン・アース』の主人公真夏ダイチは、あえて「空気を読まない」主人公だと感じる。「空気を読まない」というの「空気が読めない」のとは決定的に違う。多分ダイチは周囲の空気は理解している。どんな期待をされているかもわかっている。だが、ダイチはそれを理解してなお、自分の意志で「あえて」それに従っていないと感じるのだ。
なんとなーく場の空気や大人たちによって要請されるような役割をなんとなーく意識してはいるけれども、それが自らのやりたいことと一致しなければやらない。1話で示された成績の急落はいい例だ。ダイチは周囲の大人に押しつけられた役割期待なんぞ悠々とすり抜けて、自分のやりたいと意思することをやる。
タクトも究極のところでは空気なんぞお構いなしに自らの意思で決然と行動するけれども、ダイチはそれ以上にあえて「空気を読まない」ことが行動から強く表れている気がする。
二人の違いの意味するところは?-「やりたいこと」と「やるべきこと」
この二人の違いは多分パーソナリティの差異というよりも、置かれている環境の違いによるところが大きいだろう。タクトは、誰に頼まれて戦っていたわけでもない。「やりたいこととやるべきことが一致した時、世界の声が聞こえる」という言葉に象徴されるように、タクトにとって戦いは「やるべきこと」でもあるが「やりたいこと」でもあったのだ。
おそらくダイチにとって、敵との戦いは「やりたいこと」ではないような気がする。「やるべきこと」のニュアンスがより強くなっているのを、今の段階で強く感じる。加えてダイチはタクトよりもはるかに、周囲の大人たちの圧力にさらされているように思えるし、そこから自由にはなれないだろう。
この点から、『STAR DRIVER 輝きのタクト』から『キャプテン・アース』の間で、「やりたいこと」から「やるべきこと」の軸へ、戦いという行為の意味するところが変わってきているように思える。いま、「やるべきこと」が含むところはなんなのか。それを『キャプテン・アース』は示してくれるんじゃないか。そんな期待をほのかに抱いています。
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