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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

浅田次郎『日輪の遺産』感想 「遺産」は血に塗れている

 

日輪の遺産 (講談社文庫)

日輪の遺産 (講談社文庫)

 

  今日、9月2日が何の日かご存じだろうか。69年前、1945年9月2日に、アメリカの戦艦ミズーリ艦上で、重光葵外務大臣梅津美治郎参謀総長が降伏文書に調印した。つまり、法的に日本が敗戦したのはこの9月2日。僕は、恥ずかしながら佐藤卓己『八月十五日の神話』を読むまで知らなかったんですが。ニュースとかでも特に取り上げられたりはしてないと思うんですが、「玉音放送の八月十五日」だけじゃなくてこの9月2日も、もうちょっと光があたってもいいんじゃね、なんて思ったりします、はい。

 それと関係あるようでないんですが、アジア太平洋戦争末期の日本を舞台にした浅田次郎日輪の遺産』を先日読了したので、その感想を書いておこうと思います。ネタバレ前回なのでご留意ください。

 目にはみえない「遺産」

 謎の老人、真柴の死を偶然看取ってしまい、その死の間際に手記を託された中年男性、丹羽と、生前の真柴を知る海老沢が、その手記を通して戦争末期に隠されたマッカーサーの財宝と、それにまつわる知られざる悲劇を知ることになる...とあらすじはこんな感じだろうか。

 現代と過去を行きつ戻りつしながら、財宝はどうなったのか、ということをフックに物語が展開されていく。しかし、結末で結局財宝そのものは、だれにとっても「財宝」=「遺産」が本来持つであろう、金銭的な価値を発揮することはない。あくまでその価値は、精神的なものにとどまる。これが作品のテーマをストレートに表している。「遺産」が金銭的な価値を発揮し、アメリカの裏取引に使われて日本の発展を支えたのだ!みたいな偽史的な展開や、遺産が現代日本の経済危機を救う!みたいな展開にしたことで、秘密作戦に従事させられた女子学生たちの運命が、より普遍化された経験へと昇華されたんじゃないか。女子学生たちは、単なる悲劇の犠牲者ではない。あの戦争中、その生に意味すら与えられないままに死んでいった多くの名もなき人たち。その具体化として、作中の女子学生は存在するんじゃなかろうか。

 女子学生たちが、その身を捨てて守ろうとした「遺産」。その血に塗れた、そしてそれゆえ目に見えない「遺産」をひとつの古層として、我々の社会は、普段の生活はあるのかもしれない。

 

美談か、狂信か―その死のおぞましさをこそ、目に焼き付けねばならない

 とはいっても、女子学生の殉死をある種の美談として読み込むのは、僕はそう読むべきではないと思うし、そのようにテキスト自体も書き込まれているんじゃないかと思う。これは断じて「国に殉じた、ふるきよき日本を生きる美しい国民たち」の、誇り高き美談として読まれてはならないと思う。

 読書メーターで感想を見ていると、作中で描かれる真柴をはじめとする軍人たちや女学生に、「誇り高き日本人」を読み込もうとするような人がある程度いる気がして。それは恐ろしいことだと思うんですよ。まったくかけ離れた話題ですが、甲子園で話題になった「おにぎり二万個を握った女子マネージャー」に勝手に美談を読み込むのと、根は同じfだと思うんですよね。

春日部共栄 おにぎり作り“女神”マネ - 高校野球ニュース : nikkansports.com

「おにぎり2万個」握った女子マネージャーの美談に賛否両論! 「夏の甲子園」は本当に必要なのか?|社会貢献でメシを食う。NEXT 竹井善昭|ダイヤモンド・オンライン

 

 

 女子マネージャーはさておいて、作中で女子学生の殉死がどうとらえられたか。財宝を発見したのにも関わらず、それを手中にはできなかったマッカーサー。それは女子学生の白骨に、とてつもない「おぞましさ」を感じ取ったからではなかったか。

 現代に生きる登場人物は、作中で彼女らの遺体を直接目にすることはない。あくまで手記を頼りにその死に様を想起できるに過ぎない。彼らにとって、「遺産」はどこまでも不可視なものにとどまる。だからこそ、それを前向きに受け止めることができるのかもしれない。

 しかし、前向きに受け止めることと、そのおぞましさを忘却することとは全く違う。その不可視の遺産を認識しよう試みること、そしてそのおぞましさも捨象せずに受け入れること。そのおぞましさを忘れたとき、また悲劇を繰り返さねばならない状況になるんじゃねーかと、そんなことを考えたりしました。

 

 映画版は未見なんですが、ここらへんをどういうバランス感覚で描写しているのかすごい気になるので、近いうちにみたいなーと思ってます。

 

 

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八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

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