宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

愛は恒星間を超える―『インターステラー』感想

f:id:AmberFeb:20130904212226j:plain

 『インターステラー』を字幕版で鑑賞。Twitterで流れてくる感想があんまり楽しそうなので我慢しきれず、やるべきこともほっぽり出して見に行ってしまいました。いや、その甲斐は十二分にあったというか。IMAX上映ではなかったけれども、これは大きなスクリーンで見れるうちに見ておいて本当によかった。以下で感想を。

宇宙空間という「未知」の恐怖 

 この映画を大画面で見てよかったと思う第一の理由はやっぱり、宇宙空間の圧倒的な描写。昨年の『ゼロ・グラビティ』も震えるほどの臨場感を味わえたわけですが、『インターステラー』はそれとはまた違った味わい。とはいえ、『ゼロ・グラビティ』を意識しているような宇宙描写も散見された気がするんですよねー、無音の宇宙空間とか。もちろんそれがメインじゃないんですが、やっぱりあれは恐ろしい。映画館で見るとなおさら際立ちますしね。

『ゼロ・グラビティ』 宇宙に放り出される、極限の90分 - 宇宙、日本、練馬

  『ゼロ・グラビティ』が地球の重力圏内での極限状況を徹底して描いたのに対して、『インターステラー』はその意味するところ通り、太陽系を超えた遥か彼方の未知の世界へ飛ぶ。今回は全く予告編などで情報をいれずに見たので、その未知の領域への期待感というか、それと裏返しの恐怖感も半端なかった。

 しかし、その期待と恐怖をぶっちぎりで上回るヴィジュアルを見せつけられた感じがある。ワームホールに始まる宇宙の旅は、『2001年宇宙の旅』の現代版と言ってもいいんじゃねーかと思うくらいの豊かな映像の宝庫だと思いました。こんなこというとなんかケーハクな感じがしますが。映像について語る語彙がないんですよね、僕には。

 

幽霊=愛は恒星間を超越する

 この『インターステラー』、映像はめちゃくちゃにすごいんですが、それを通して語られる物語は意外なほど情感にあふれている。滅びゆく地球を離れ、人類未踏の地へと飛び立つ主人公チームを駆動させるのは、なによりも家族への、主人公の場合は息子、娘への愛。愛する娘と生きて再会したい父親の心情は、実際に娘がいなくとも胸に迫るものがある。というかこれ、実際に子どもがいる人が見たらめちゃくちゃガツンと撃たれるんじゃないかと。

 人類という種を救うために何よりも必要だったのは、なんとなく漠然とした愛なんかじゃなく、交換不可能な個人への愛である。それは主人公クーパー・ヒロインのアメリアと、作中唯一の悪人とも言えるマン博士との対比を通して鮮明に語られる。

 クーパーは地球に残した家族への強い愛情、そして再会の希望を隠そうともしないし、アメリアは、父はもとより先に未知の惑星に降り立った恋人との再会を強く願っていることが中盤で明らかになる。対してマン博士はその類稀なる勇気と有能さが印象的に何度も言及こそされるが、その人間関係が語られることはない。そして実際、マン博士は自身の生存のためになりふり構わぬ行動に打って出るのである。

 マン博士の行動が正しいのか間違っているのか、倫理的には判断は困難、というか個人の価値基準によるだろうとも思う。しかし映画での描写を見る限り、マン博士の行動は決して肯定されてはいないことは、その無残な死に様から考えるに明らかだ。多分彼は、極限状態での生存のために、自己愛、我執の究極を選択した人間なのだろう。

 クーパーとマンとの対決は、固有の他者への愛と、究極的に研ぎ澄まされた自分への愛との対決と読み替えられるんじゃなかろうか。そして、固有の他者への愛の前には、いかに研ぎ澄まされていようとも、自分自身への愛など敗れ去るほかないのである。その固有の他者への愛がいかに尊いものか。いかに強力な推進力になりうるか。それこそ、作中でクーパーの身に起きた奇跡的な出来事の示すものだろう。愛ゆえに、クーパーは「幽霊」として娘にメッセージを伝え得る。

 そもそも愛とは、「幽霊」のようなものなのかもしれない。決して目に見えるものとして現前することはなく、しかし時たまその存在を感じることがある。そして、すでにこの世を去ってしまったはずの死者との交感を予感させるという意味で、「幽霊」は本来的に時間の秩序を乱す、アナクロなものでもある。そのアナクロさを、SF的な舞台装置を通してまさしくアナクロに描き、「幽霊」つまり「愛」は時すら超えると言うある意味当たり前のことが、如何に奇跡的なことであるのかをエモーショナルに提示して見せたのが『インターステラー』だと僕は思うわけです。時間を超えられる幽霊にとって、恒星間=インターステラーなど物の数ではないとも。

 

 こんなことを思ったりしたのでした。他にも、静かな、しかし絶望的な滅びのイメージは結構新鮮だったなーとか、地球を捨てることを欠片もいとわないあたりが、アメリカの建国の神話を想起させもする(『トップをねらえ!』&『トップをねらえ2!』の地球そのものへのこだわりと対照的!)とかいろいろ考えたりしましたね。地球に住む人間は大事だけど、地球はそれほど大事じゃないなんて大胆な発想だなと思ったりしますけどね。それがフロンティアスピリッツってやつなのか。そんなわけで大変『ザ・レイド GOKUDO』で荒みきった心が浄化されました。また行きたいかも。

 

【作品情報】

‣2014年/アメリカ

‣監督:クリストファー・ノーラン

‣脚本:クリストファー・ノーランジョナサン・ノーラン

‣出演