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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

学校と不可知の他者―『ブギーポップは笑わない』と『STAR DRIVER 輝きのタクト』における学校

ブギーポップは笑わない (電撃文庫 (0231))

 ここ数日、物語における学校という場について、足りない頭を使って考えを巡らしていました。多分それは、現在放映中の『ユリ熊嵐』が「学校空間」という場を強く意識しているように感じたから。とはいえ、『ユリ熊嵐』を議論の俎上にのせるには材料が足りなすぎるし、完結した作品から考えた方が生産的という気もするので、とりあえず『ブギーポップは笑わない』と、「青春学園ロボットアニメ」である『STAR DRIVER 輝きのタクト』をとっかかりにして、今考えていることを書き留めておこうと思います。どっちかっていうとスタドラの比重のほうが重いかも。スタドラを取り上げる理由ですか?それは別にウテナスタッフつながりだからというわけでなく、単に僕が好きだからです。

 学校とはいかなる場所か?―不可知の他者との共存の場である

 学校とはいかなる場所なのか。その答えは無数にあるだろうし、そのいずれもが学校という場のある側面を切り取ってはいる。しかし以下で舞台としての学校を見ていくにあたって、強調したい特徴は一点に集約される。それは「不可知の他者との共存の場」である、ということだ。これはつまりどういうことかというと、上遠野浩平ブギーポップは笑わない』のあとがきの一文において的確に表現されている。

結局のところ学校は「他人と一緒にいるところ」である。そんだけだと思う。一人一人は互いのすべてに気づかないまま終わってしまうけど、それこそ色々なヤツが色々なことを考えて色々なことにぶつかって、それでも通ってきている。
上遠野浩平ブギーポップは笑わない』p.283

 学校とは、「他人と一緒にいるところ」であり、そしてその他人たちは如何なる人間であるのか、ほとんどの場合知ることはない。そうした学校という場の特質が、『ブギーポップは笑わない』の本編にも大きく関わっていることは自明であろう。

 学校という場に徘徊する人喰いの化け物=マンティコア。世界の危機を察知して姿を現す不気味な泡=ブギーポップ。そして人知れず世界を救うことになった一人の少女の善意。悪意も善意も、それが巧妙に隠される空間として学校という場は設定されている。学校にはどんな奴がいるのかわからない。だから食人鬼もいるかもしんないし、世界を救ってるやつもいるかもしれないぜ?みたいな、わからないが故に起こりうるかもしれない、いやおこっているかもしれない非日常を描きだしたことに、『ブギーポップは笑わない』の纏う得も言われぬわくわくするような雰囲気の核心はあるんじゃないか。

 とはいえ『ブギーポップ』シリーズで学校という場が中心に据えられているのは、この『ブギーポップは笑わない』ぐらいじゃなかろうか*1。続く『VSイマジネーター』では、主要な登場人物は高校生であるにも関わらず、学校という場は書割の背景以上のものではなかった。『ブギーポップは笑わない』において、上遠野浩平さんの考える学校的なるものの魅力は書きつくされたということなんだろうか。とはいえ、『ブギーポップは笑わない』で示された、「不可知の他者との共存の場」としての学校は普遍的であり、そのもつ可能性を開いたのが、『STAR DRIVER 輝きのタクト』なのである。多分。

 

不可知の他者との交感―『STAR DRIVER 輝きのタクト』の描く地平

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 『STAR DRIVER 輝きのタクト』は、主人公であるツナシ・タクトが、巨大ロボットであるサイバディを駆り、そのサイバディの悪用を目論む綺羅星十字団と戦いを繰り広げるロボットアニメである。このスタドラにおける学校という場を考える際に特筆すべきなのは、敵組織である綺羅星十字団の構成員の多くが、ツナシ・タクトと同じ学校=南十字学園に在籍しているという事実である。同じ学校に通う仲間と、タクトは剣を交えることになるわけだ。

 しかし、敵が学友であるということにタクトは気付くことはない。それは綺羅星十字団が仮面をつけているからだろうか。まあそういう説明もありうるだろうが、それは核心をついているとはいえない。タクトが綺羅星十字団の構成員の正体に気付くことがないのは、むしろ学友であるからだ。学校という場があくまで「不可知の他者との共存の場」であり、それ以上のものではない以上、学校という場でともに生活するということは、他者との距離を狭めはしないのである。仮面はあくまで学校で接する他者の不可知性を象徴するものでしかない。

 そうした不可知の他者と、それでも相互に交感できるかもしれない。最終話「僕たちのアプリボワゼ」の展開は、そんなほのかな希望を示してもいる。学校や寮での交流、そしてサイバディ上での対決まで交流に含めてもいいかもしれないが、その積み重ねの中で、タクトと綺羅星十字団の構成員たちと関係を取り結んで=アプリボワゼしていく。それが結果的に、かれらの仮面を打ち破れるかもしれないし、ゆえに不可知の他者とも交感が可能なのかもしれないと。

 

 はい、とりあえず学校の一側面からスタドラを考えてみたわけですが、なかなかいろんなところに応用が効きそうな感じがありますね。『氷菓』とかね。それは、まあ、おいおい。吉浦康裕監督の『アルモニ』なんてもろその線で論じれる気がしているので、これは近いうちに書いてみようと思ってます。とりあえずこんなところで。

 

追記

 『アルモニ』について書きました。

 

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*1:5年以上前に読んだっきりなのでうろ覚えです。もし事実誤認があるようでしたらご指摘いただければ。

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