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密室から脱け出す夢をみる―『アルモニ』の学校空間

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 『ユリ熊嵐』から刺激を受けて創作物における学校空間について考えてみよう的なサムシングその2。今回は吉浦康裕監督の『アルモニ』における学校空間について、思うところを書き連ねてみようかなと思います。

基本的な立場―学校とは、不可知の他者との接触の場である

  「結局のところ学校は「他人と一緒にいるところ」である」、と上遠野浩平さんは言いました。僕の学校空間に関する認識は、この延長線上にある。それで、『ブギーポップは笑わない』を経由して、その延長として『STAR DRIVER 輝きのタクト』について考えてたのが昨日上げた記事で。

学校と不可知の他者―『ブギーポップは笑わない』と『STAR DRIVER 輝きのタクト』における学校 - 宇宙、日本、練馬

  ここでスタドラを論じてみたのは、そこからさらに発展させて、吉浦康裕監督の『アルモニ』を語りたかったから、というのが念頭にあってですね。『アルモニ』と学校空間という話題を自分なりに咀嚼するために、その作業が必要だった。というわけで、本題に入りたいと思います。

 

「密室」としての学校空間―『アルモニ』における学校の位相

 高校を舞台に、いわゆるおたくっぽい男友達とつるんでいる主人公・本城彰男と、リア充的な集団に属するヒロイン・真境名樹里が、ひょんなことから関わりをもって...。そんな感じで物語が展開される『アルモニ』は、密室を舞台にした会話劇である、と要約するのは乱暴に過ぎるかもしれない。とはいえ、現実空間として描写される空間は、学校の教室・同じく学校の廊下(階段の踊り場含む)・彰男の部屋の三か所しかないことを念頭におけば、『アルモニ』の主題と密室という空間は不可分に結びつくのではなかろうか。

 

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 このトークショーの中でも触れられているように、吉浦監督のフィルモグラフィは密室に彩られている。そういう安易な連想はどうかと思うんですが、やっぱり『アルモニ』における密室という舞台は取り上げて論ずるに値するものだと僕は思うわけです。

 

 『アルモニ』における舞台としての密室は、何を象徴するものなのか。それは冒頭の彰男のモノローグに端的に表れている。

人は皆、それぞれ自分の世界を持っている。吉田や渡辺なんかの世界は、多分僕のと近い。だから話も合う。でも、真境名樹里はそうじゃない。きっと、僕なんかには、触れることのできない世界。

 密室はある意味で「自分の世界」を象徴する。彰男の部屋はその具体物である。それぞれ固有の密室を抱えた人間たちが、不可避的に一か所に集まるのが、学校の、ひいては教室という密室の特徴である。不可知の世界=密室を抱えた人間たちが、不可避的に共存しなければならない場所、それが学校なのである。

 その教室という密室には、それぞれ「近い世界=密室」をもった人間たちの集団が形成される。密室内密室とでも呼ぶべきそれが、教室というひとつの密室を分節してゆく。流行りの言葉でスクールカーストとでも言い換えられるであろうそれは、単に密室を分節するのみならず、ゆるやかに序列化しさえする。その分節化され序列化された学校空間こそ、『アルモニ』における学校空間像なのである。宮台真司風にいえば島宇宙化とでもいうんだろうか。

 

 『アルモニ』は、この現実界の密室の間に、ひとつのランダムな線が走る、そんな物語と言い換えてもいいかもしれない。とはいえ、その線が引かれるには、教室という密室は窮屈すぎる。作中で大きく物語が転回するのは、教室という密室ではなく、廊下・階段の踊り場。教室とは異質な空間ではあるけれど、そこも学校の一部分である以上、密室の論理が密輸入される場所でもある。廊下で彰男と樹里がすれ違う場面では、樹里は教室の仲間と連れだって会話している、ということが強調されて演出されているのはその証左だし、彰男も階段の踊り場で友人たちと「帰宅部」を楽しんでいることも、学校内の空間には密室内密室が偏在していることを示してもいる。その意味で、廊下・階段の踊り場は、密室だけども密室化しうる、半密室とでもいうべき位置付けがなされている。

 しかし密室という場所から外れた半密室だからこそ、密室から密室へと、線が引かれる可能性に開かれてもいる。ランダムな線は、偶然によって引かれる。偶然によってしか引かれない。けれども、その薄く細く引かれた線を、強くなぞり返すことはできるかもしれない。半密室で引かれた線を、密室で引き直す。そのことが密室の論理を破壊まではしないかもしれないが、密室間の堅い壁の可塑性を露わにする。

 でも密室から脱け出ようとする試みは、はたして成功を収めるだろうか。それは結局はボタンの掛け違いを招くだけなのかもしれない。その契機すら、作中で提示されもする。

そういうことじゃなくて、かっこいいことしたいわけじゃなくて...

 この彰夫のモノローグから、『卒業』的な不穏さをかぎとれるかもしれない。しかし僕は、本城彰男と真境名樹里の二人の関係性はあくまで希望であり、学校空間の密室を内破する可能性なんじゃなかろうか。

 真境名樹里は、作中での言及から類推するに、いわゆる「高校デビュー」によって密室間の移動を図るという戦略をとった。「変な子」だった樹里が選び取った、ひとつの生存戦略。でも、それだけが学校空間における生存戦略じゃないんだと。密室そのものを無化していく可能性、希望があるんだと。それをファンタジーと嘲笑うことはたやすい。しかし『アルモニ』は明確に現実にある希望を描いているんだと、だからこそ、「普通の」学校空間が舞台なんだと、僕はいいたいわけです。

人は皆、それぞれ自分の世界を持っている。真境名樹里の世界は、なんていうか、すごく意外で、でももっと触れたい、そう思ってる。

  そんな調和への希望の祈りこそが、『アルモニ』という作品を輝かせていると思ったのでした。

 

雑記「密室」から吉浦康裕監督作品を捉えてみたら面白いんじゃないか

吉浦康裕監督作品における「他者」―『水のコトバ』から『アルモニ』まで - 宇宙、日本、練馬

  以前こんな記事を書いたこともあったんですが、いまだったら「密室」と「他者」という二つの軸をからませて話を展開させるんじゃないかと思います。というかこの『アルモニ』と学校空間を考えるならば、「密室」と「他者」の問題に帰着するんじゃないか、というのは今回の記事でも思ったというか。はい、それはまたいずれって感じで。なんか次回はアンノ的に大爆発があったりなかったり、というお話もトークショーなんかでされていたりしたので、次回こそ密室なんか大爆破するようなお話になるんでしょうか。楽しみにしております。

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作品情報

‣2014年/日本

‣監督:吉浦康裕

‣脚本:吉浦康裕

作画監督:碇谷敦

‣出演