今日は、友人に誘われて慶應義塾大学日吉キャンパスにある、かつて旧日本海軍の連合艦隊司令部が置かれていた日吉台地下壕の見学に行ってきました。
その地下壕なんですが、よっこらせと行って見学できるところではなく、上のリンクにある日吉台地下壕保存の会さんの定期見学会に事前に申し込んで、それに参加するという形でないと中は見学できない感じになってます。そこらへんの雑事は友人がやってくれて、僕は完全にフリーライドしました。持つべきものは友人です(ゲス顔)。
日吉駅の改札前に集合して受付(保険料800円を支払い、小冊子を受け取る)を済ませてから、慶応大学のキャンパス内に移動。正直参加者とか二桁ぎりぎりくらいだろ...とか予想してたんですが、いや予想外に大勢の人が。50人くらいいたっぽいです。中高年、とくに高齢者の方が多かったような印象。
キャンパス内のラウンジみたいなところでお話を聞いて、いざ保存の会のボランティア方の引率のもと見学という流れでした。
見学するまえは、開放して自由に見せてくれたらいいのになーとか思ってたんですが、中に入って納得しました。地下壕の内部は結構入り組んでいて、方向感覚もあやふやになるので間違いなく迷子になる。使われていた当時は電灯も整備されていたみたいで、その痕跡とかも残っているんですが、今は電灯なんて存在しないので暗くて危ないし。というわけでガイドの方のお話を聞いたりしつつ見学。
なんか写真があれですけど、これが連合艦隊司令長官の個室だったそうです。つねにここにいたというわけではなく、空襲の危険を察知したら地上施設から降りてきていたそう。当時は畳があったりして和室っぽくなっていたらしい。
軽巡洋艦大淀から連合艦隊司令部がこの日吉に移されたのは1944年夏ごろだそうで。当時の連合艦隊司令長官であった豊田副武さんは昇ったり降りたりがこたえたちか。
この空気抗は地上ではこんな感じ。
弥生時代の遺構にカモフラージュされているのです(嘘)。
ボランティアの方々は熱心に日吉地下壕にまつわる様々なことを説明してくださり、いろんなことを知れたような気がします。
こういう遺構を尋ねたりすると、「終わった戦後と終わらない戦後の二重構造が日本を規定している」*1なんてことがリアリティをもって感ぜられるようなられないような。とはいえ戦争遺跡の意義や意味なんかは、(自分のそれも含めて)戦争や平和なんかの意味付けは脱臭されて、ある意味懐古趣味の域を出ないようなものになってしまう気もしてですね。「戦争を語り継いでいく」ための社会的な実践としては意味があるんだろうとは思うんですが、もはや戦争非体験世代が戦争を語り継いでいく、という状況が現実化している昨今において、戦争遺跡の持つ意味ってなんなんだろうなとか思ったりしました。
ボランティアの方がおっしゃってたように、博物館が整備されたりするとまた印象が違うのかなという気はします。明治大学生田キャンパスの陸軍登戸研究所跡みたいな感じになったら。
見学会のあとは、横浜中華街に繰り出して思うさま飯をくらったのでした。楽しかったです。
*1:中村政則『現代史を学ぶ』