宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

2015年1月に読んだ本

 今月はいろいろバタバタしたり、体調が安定して低空飛行気味だったりしました。体調不良の原因は、正月休みにはめを外し過ぎたことなんじゃないかと。我ながらあほでした。最近はどうにか上向きになっている感じがあるので、2月は生産的に過ごせたらなと思います。体調が優れなかった割りには本は読めているような気もします。まあ数を読めばいいってもんじゃないですけど、学生の身分でいられる時間も刻一刻と減っていっているわけで、今のうちにお勉強しておきたいとも。

 先月のはこちら。

2014年12月に読んだ本と2014年の読書のまとめ - 宇宙、日本、練馬

 

印象に残った本

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

 

  1冊選べと言われたら、間違いなくこれですね。年が明けて早々に読了し、そして打ちのめされた。年末から考えていたような、「隔絶した他者への共感」という話題にも重なったんですよね。その意味で僕にとっては大変クリティカルだった。自分の手の届かないところで物事はどうしようもなく生起し、そして終わる。そのことを嫌というほど突き付けてくる物語だったと思います。

 なんとなく考えたことは以下の記事をお読みいただければ幸いです。

他者を決然と隔てる扉―米澤穂信『さよなら妖精』感想 - 宇宙、日本、練馬

「橋と扉」の希望と絶望―米澤穂信『さよなら妖精』とエミール・クストリッツァ『SUPER 8』に関する雑感 - 宇宙、日本、練馬

 

  僕の『さよなら妖精』の見方は、どうしようもなくこの文章に規定されているという気が。

カタストロフと日常、あるいは希望を語るということ―『涼宮ハルヒの憂鬱』と東日本/阪神淡路大震災の連関についての雑感 - 宇宙、日本、練馬

読んだ本のまとめ

2015年1月の読書メーター
読んだ本の数:26冊
読んだページ数:7815ページ

さよなら妖精 (創元推理文庫)

さよなら妖精 (創元推理文庫)

 

 ■さよなら妖精 (創元推理文庫)

 地方都市に住む少年は、異国の少女と偶然出会う。短くも忘れ難き邂逅。壊れゆく祖国に戻った彼女は今、どこで何をしているのだろうか。それが明らかになったとき、少年はどうしようもない自身の無力を知る。
 背負うものが全く異なる人間は、果たしてわかりあえるのか。「日常の謎」を梃子にそのわかりあえるかもしれない希望を示唆しつつも、結局埋めがたい、越えがたい一つの線があることを残酷に示してみせる。生まれる国は選べないし、それが人間の運命をどうしようもなく決定付けてしまう。それでも、それでもわかりたいという思いは真実だし、かけがえのない輝きを放ちもする。それがあるからわかりえないことはより一層悲劇なのかもしれないけれど。この物語を受け止めることは、その悲劇を自覚させられ、背負わされることに他ならないと思う。

読了日:1月1日 著者:米澤穂信

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他者を決然と隔てる扉―米澤穂信『さよなら妖精』感想 - 宇宙、日本、練馬

「橋と扉」の希望と絶望―米澤穂信『さよなら妖精』とエミール・クストリッツァ『SUPER 8』に関する雑感 - 宇宙、日本、練馬

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クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

 

 ■クルーグマン教授の経済入門 (ちくま学芸文庫)

 フランクな書きぶりで経済の見方を概説する。経済にとって本当に大事なのは生産性、所得分配、失業で、しかし生産性をあげる確実な方法はわからない、インフレは不可避の問題でそのリスクも極端に大きいわけでもない、保護貿易は巷の批判ほど良くないわけではない…などなど、「そうなんですか」と唸らされることしきり。90年代後半の時点でリフレ政策的な方針を示していたりとかも驚く。解説にもあるが、よくわからないものは「わからない」、大事ではないことは「大事じゃない」と直裁に書いてあってよかった。
読了日:1月1日 著者:ポールクルーグマン
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涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

 

 ■涼宮ハルヒの溜息 (角川スニーカー文庫)

 文化祭に向けて、SOS団の面々は超監督ハルヒのもとで映画を撮ることに。

 憂鬱もそうだったんだけど、この溜息は輪をかけて朝比奈さんの虐げられっぷりが非道くてつらい。映画撮影というイベントを通して日常が非日常に侵されていくという大筋は、憂鬱とは別ベクトルで日常と非日常の境界の曖昧さを描いていると思う。その曖昧さを封じ込め、日常と非日常とをすっぱり選り分けてあくまで日常を日常たらしめることで秩序と調和を取り戻すことをもって結末とするのだけれども、その結論は予定調和的でもあり、やがて「消失」によって乗り越えられるものにすぎない気もする。

 多分5年以上ぶりの再読なので大筋はともかく細かいところを意外と覚えていなくて新鮮だった。朝比奈・古泉のバックにいる組織のハルヒ観の相違とか、すっかり頭から抜けていました。それとなんだか冗長に感じたりもしたんですよね。短編にまとめられんじゃね?とか読んでて思ってしまった。アニメ1期でああいう形で1話に圧縮したのはまことに英断であって、馬鹿正直に映像化してしまった2期は、あんまスマートじゃないな、とも。「エンドレスエイト」の失策ばかりがとりざたされがちですが。
読了日:1月1日 著者:谷川流

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「日常」と「非日常」の曖昧な縁―アニメ版『涼宮ハルヒの憂鬱』と『涼宮ハルヒの消失』に関する雑感 - 宇宙、日本、練馬

カタストロフと日常、あるいは希望を語るということ―『涼宮ハルヒの憂鬱』と東日本/阪神淡路大震災の連関についての雑感 - 宇宙、日本、練馬

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現代政治学入門 (講談社学術文庫)

現代政治学入門 (講談社学術文庫)

 

 ■現代政治学入門 (講談社学術文庫)

 政治学の入門書であると同時に、政治そのものがいかなるものなのか、ということも扱っている。「政治学ってどんな学問やねん」ということを知りたいなと思って読み始めたのだけれも、なんとなくの雰囲気はつかめたような気がする。哲学的な問題から具体的な制度分析、歴史的な視角から社会学的なデータの使用など、対象もアプローチも幅広く存在している、とまとめるのはあまりに雑な気がするけれども、本書を一読した印象はそんな感じ。それと関連して政治学と歴史学やら社会学やらの他学問との接続についても言及があって勉強になった。

政治学は、それを学ぶ者に放浪する自由をたくさん与える。

 結構紙幅を割いて、学問としての政治学のあり方(価値から自由ではありえないが、学問としては客観的、中立的であろうとせねばならない)が語られるけど、これってウェーバーの言う「価値自由」とほぼ同じ含意なんだろうか。この箇所では特にウェーバーが言及されなかったのでちょっとわかんないけど。

政治科学は価値から自由ではない。それはいやおうなく、自由という価値にコミットさせられているのだ。それゆえ政治を研究する者は価値から自由であってはならない。ただしそれは、政治学者がもつべき職業的誠実さを犠牲にしてまで、ひとつの大義にコミットしてもよいということではない。わたくしたちはいやおうなく、自由、真理、客観性、そして有意性に責任を負っているのである。

読了日:1月5日 著者:バーナード・クリック
http://bookmeter.com/cmt/44029518

 

 

古代ユダヤ教 (中) (岩波文庫)

古代ユダヤ教 (中) (岩波文庫)

 

 ■古代ユダヤ教 (中) (岩波文庫)

 中巻で取り上げられるのは、主に「祭司」と「平信徒知識層」。上巻でみた地理的、歴史的諸条件のなかで、どのようにヤハウェへの信仰がエジプトやバビロニアなど他の宗教との対抗関係を持ちながら鍛えられていったのかということが記述してあるように思われた。祭司身分が民衆の「魂のみとり」を行うことで、現実的な苦難に対応する術を与え、倫理的=合理的な「教え(トーラー)」が整備されていく、というのが大きな流れだろうか。一読しただけでは錯綜した因果関係やら比較の目線が十全に理解できたとは言い難い。むずい。
読了日:1月7日 著者:マックスヴェーバー

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ユダヤ教とキリスト教と現代―マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

http://bookmeter.com/cmt/44078810

 

 

格差ゲームの時代 (中公文庫)

格差ゲームの時代 (中公文庫)

 

 ■格差ゲームの時代 (中公文庫)

 2000年代前半から半ば過ぎくらいまでの時評的なエッセイを所収。全体として『不平等社会日本』のその後という色が濃かった気がするが、その中にも普遍的に現実を切り取るようなフレーズが満載されていて、単に時評に留まらないほど胸を抉ってくる。特に「HIROSHIMAと広島」なんかは、大震災を経験した現在だからこそもっと読まれるべき文章だと強く感じた。すべての意味をそこに吸収してしまうほどの引力を持つ、広島にとっての原爆。それはさながら大震災とも重ならないだろうか。それでも語ることの意味を謳うのが力強い。

 昨年末に大いに僕の心をゆさぶった「涼宮ハルヒは私たちである」も、多分「HIROSHIMAと広島」で語られているものと相通ずるのかなと。どうしても思考がそれに向いてしまうような「すべての意味を吸収する零点」として機能している「震災」の、どうにも抗いがたい魔力。佐藤さん自身もハルヒを語る時に震災に言及せずおれなかったことの意味に思いをめぐらしたり。
読了日:1月7日 著者:佐藤俊樹

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カタストロフと日常、あるいは希望を語るということ―『涼宮ハルヒの憂鬱』と東日本/阪神淡路大震災の連関についての雑感 - 宇宙、日本、練馬

http://bookmeter.com/cmt/44086331

 

 

 ■地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)

 東京に人口が流入し続け、結果として一極集中する「極点社会」に警鐘を鳴らし、地方中核都市のインフラ整備を軸とする「選択と集中」の道を提示する。人口移動に関する認識や極点社会のもたらす災禍については納得なのだけれども、結局のところ「なぜ東京に人口が流入するのか」という問いに対して一面的にしか回答を与えられてはいないと感じる。いくら東京は子育てなどが不便と言ってみたところで、この文章を書いた人たちは地方に生きることの堪え難い辛さ、息の詰まるような感覚に思いを馳せたことがあるのかな、なんて思ったり。「選択と集中」の道は僕の眼には別段魅力とも思えず、やはり地方は消滅するしかないと思う。

読了日:1月9日 著者:増田寛也
http://bookmeter.com/cmt/44124877

 

 

梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯 (中公新書)

梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯 (中公新書)

 

 ■梅棹忠夫―「知の探検家」の思想と生涯 (中公新書)

 梅棹忠夫の伝記。本書の記述はその生涯を貫くひとつの軸として、未知の領域の「探検」を設定しているように思われた。梅棹のフィールドワークの経験や学問的業績、民博の館長としての指針など、それらをつなぐキーワードとして、それ以上のものはないなと読み終えて思う。常に未踏の地を目指した梅棹は、同時代的には十二分に理解されたとは言い難かったようだが、だからこそ後知恵でその人生を眺めることのできる立場にいる我々には、その生がこれ以上なくきらめいて見えるような。梅棹忠夫その人の魅力がぐいぐい伝わってくる伝記だと感じた。

 梅棹さんがある意味では登山から学究生活をスタートさせた、という印象があるのが興味深い。現代の登山とかつての登山という営みの持つ意味って全然異なるものだったんだなあと改めて思った。もはや人跡未踏の地はなくなってしまった現代において、それは学問という世界にしか求めることができない感じもする。でも一方で登山と学問ってアナロジカルに語れそうな気もすんですよね。
読了日:1月10日 著者:山本紀夫
http://bookmeter.com/cmt/44145780

 

 

二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス)

二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス)

 

 ■二十世紀の法思想 (岩波テキストブックス)

 「言語論的転回」と「法の自立性」を大きな軸に、20世紀の法思想の展開を追う。言語論的転回を法思想に持ち込み、パラダイムを大きく転換させたハートが20世紀の法思想におけるメルクマールなのかなという印象。ハート以後の流れも彼の議論の批判的継承という形でなされている、という記述だったように思う。教科書という体裁ながら最初にあげた二つの軸によってひとつの「物語」としても読みごたえがあり、かつ個々の論者の主張も簡潔に整理されていて多くのことを教えてもらったという感じ。これでちくま学芸文庫の『法の概念』に挑む準備ができました。挑むとは言ってない。
読了日:1月11日 著者:中山竜一
http://bookmeter.com/cmt/44168156

 

 

ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))

ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))

 

 ■ワイマル共和国―ヒトラーを出現させたもの (中公新書 (27))

 第一次世界大戦から、ヒトラーが首相に就任するまでの政治史の概説。戦後の経済的、政治的な混乱の中でじわじわとナチズムの足音が聞こえてくるさまを丁寧に記述している。現代日本に生きる僕には、当時のドイツの分権的な政治体制や、なにより軍というものの社会の中での存在感の大きさに驚く。結局のところ民主主義、政党政治の機能不全がナチズムの台頭を導いたわけだが、そうしたものが生じる要因のひとつとして、軍隊という暴力装置があるんじゃないかと感じる。その意味では、先日のテロなんかも回り回って民主主義の破壊につながるのでは。
読了日:1月12日 著者:林健太郎
http://bookmeter.com/cmt/44220705

 

 ■マネー・ボール〔完全版〕 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

 新たな評価軸を導入し、野球界の常識を覆したアスレチックス。そのマネーボール思想の伝記ともいえる本書は、本文中で何度も引かれるように、「ダヴィデがゴリアテ」を倒す物語の現代版という表現が正鵠を射ている。現代のゴリアテは金に物を言わせてダヴィデから投石機すら奪うけれども、統計とコンピュータという武器を得たダヴィデはゴリアテを倒す可能性を十分に秘めている。そうして見出された選手たちのドラマの記述も厚く、胸が熱くなる。それでも未だアスレチックスは栄光を掴めていないあたり、物悲しくもあるが、それがまたいい。

読了日:1月13日 著者:マイケル・ルイス

関連

原作を読んで、改めて映画版はよく出来てんなと思いました。

『マネーボール』 これぞプロフェッショナル - 宇宙、日本、練馬


http://bookmeter.com/cmt/44255009

 

きみがモテれば、社会は変わる。 (よりみちパン!セ)

きみがモテれば、社会は変わる。 (よりみちパン!セ)

 

 ■きみがモテれば、社会は変わる。 (よりみちパン!セ)

 「任せてブーたれる」奴が大多数の日本社会はクソであり、そして最近の若者は輪をかけてクソである。そんな社会でいかに「よく生きる」のか。「モテる」ことよりそちらに主眼があるのでタイトル詐欺甚だしい。展開されるアジテーションというか、日本社会のダメさ加減の現状認識はともかくとして、自立した共同体を構築するために、個々人が「内発性」を高めなければならないという結論はあんまり納得できない。でもここ十年くらい宮台氏の議論の核であると思われる「他者の承認こそが救いである」というのは的を射ているとは思う。

 とはいえ宮台教に入信させよう試みているとしか思えない語り口は結構辟易する。宮台さんのかつての著作は面白いと思うんだが。
読了日:1月14日 著者:宮台真司
http://bookmeter.com/cmt/44278330

 

 

ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))

ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))

 

 ■ナチズム―ドイツ保守主義の一系譜 (中公新書 (154))

 ナチズム、とりわけヒトラーの思想を彼個人の異常性から生じたものではなく、当時のドイツの保守層の流れをくむものとして位置付け、それが大きな影響力を持つにいたる過程を跡付ける。ゆえに叙述はナチが広範な支持を獲得していく過程やその支配構造ではなく、ミュンヘン一揆をひとつの頂点とするバイエルンの政治状況に大きな紙幅が割かれている。そのなかでヒトラーが果たした役割を重要視しているような印象を受け、彼がどのように思想を形成していったのかを本国の研究を引いて丁寧に論じている。ヒトラーユダヤ人説の棄却される過程なんかも丁寧に紹介している。

 個人的な興味として、バイエルンの一政治運動だったナチズムがどのようにして全ドイツ的な影響力を獲得していったのか、という点が気になっていたのだけれども、そこらへんの展開をすっ飛ばして第二次世界大戦下のナチズムの分析に入ってしまうのが若干残念だった(版を重ねる際に付されたあとがきで若干フォローされてはいるけれど)。それと、ドイツ保守主義の文脈から捉えているとはいえ、ヒトラー個人に問題を帰着させすぎの感も。フィッシャー『世界強国への道』の影響下に書かれたんだろうなーとかぼんやり思っていたら後半でまさに言及されていた。
読了日:1月16日 著者:村瀬興雄
http://bookmeter.com/cmt/44310453

 

 

哲学マップ (ちくま新書)

哲学マップ (ちくま新書)

 

 ■哲学マップ (ちくま新書)

 主に西洋哲学の流れを概観し、著名な哲学者の位相をマッピングする。イントロでは「哲学とはなにか」的な深遠な問いが提起されるが、本書のメインは哲学史の大きな流れの叙述。250頁という限られた紙幅の中で、それぞれの哲学者の思想が簡潔簡明に整理されている。簡潔簡明ゆえに物足りなかったり違和感を覚えたりする箇所もあったけれど、なんとなくの流れを掴むという意味ではそのくらいの理解でいいのかもしれない。だけどやっぱり東洋思想の位置づけはあまりにもアドホックな感じなので「本当か?」とか思っちゃう。

読了日:1月17日 著者:貫成人
http://bookmeter.com/cmt/44340585

 

 

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

 

 ■ユーゴスラヴィア現代史 (岩波新書)

 ユーゴスラヴィア解体の混乱が冷めやらぬうちに書かれた同時代史的な概説書。「現代史」と銘打っていて実際に第一次世界大戦以後のユーゴスラヴィアの歩みに大きな頁が割かれているが、前近代の状況もざっくり整理されている。第一次世界大戦を機にユーゴスラヴィアが成立した時から、セルビア人クロアチア人との軋轢があり、チトー政権下でも薄氷の上を歩むかの如き緊張関係の中で「ユーゴスラヴィア」という国家は成立していた。ユーゴスラヴィア人という新たな民族を創るという試みの挫折に、エスニック的なものの強固さを感じた。

 『さよなら妖精』の参考文献に挙がっていたので読んだ。これを読むとさらに絶望が深まる気がする。マーヤの夢は、はじめから敗北を宿命づけられていたのではないか。それは歴史の後知恵かもしれないですが。
読了日:1月18日 著者:柴宜弘
http://bookmeter.com/cmt/44381224

 

 

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

 

 ■憲法と平和を問いなおす (ちくま新書)

 民主主義の正当性の問題を入り口に、立憲主義の観点から平和について論じる。比較不能な価値観が並立する状況を前提に、公的領域と私的領域とを区別し、万人の万人に対する闘争を引き起こす可能性のある対立を私的領域に封じ込めることで、公共の事柄に対する理性的な解決と、多様な価値の共存を両立させようとするのが立憲主義である、というのが著者の主張。その立憲主義の観点から平和を考えるならば、武装の放棄も徴兵制も、合理的な選択とはいえない。軍隊に対する姿勢に象徴されるよう、リアリスティックな見方が印象的だった。
読了日:1月19日 著者:長谷部恭男
http://bookmeter.com/cmt/44406007

 

 

1789年―フランス革命序論 (岩波文庫)

1789年―フランス革命序論 (岩波文庫)

 

 ■1789年―フランス革命序論 (岩波文庫)

 フランス革命をアリストクラート、ブルジョワ、民衆、農民それぞれの革命の複合体として捉え、人権宣言が効力を得たことを一つの頂点とみなしてその理念を描き出す。利害関係では一致をみない四者の動きが奇妙な形で連動し大きな流れが生じていく過程が平明に叙述され、当時の政治過程に詳しくなった気になる。歴史叙述かくあるべしという感じ。後半で発露する人権宣言への熱い願いは、ドイツの侵攻が目前まで迫っていた当時のフランスにおいてだけではなく、西欧近代的な価値観のなかで生きるすべての人間が受け止め、背負うべきものだと感じた。

 経済的な危機とそれに関連する生活苦から生じた動きが、ここまで大きなうねりとなっていく一つの要因として、著者は「アリストクラートの陰謀」の流布を挙げている。事実とは関係なく生じた陰謀論なよって、暴動が広範に広まり無秩序状態が出現するというのは現代に生きる人間からすると驚きがある。一つの事件から瞬く間に流血の惨事に繋がらなくなったことは、人類の進歩の結果なのか、はたまた歴史の終わりなのか、なんてことを思ったりもした。
読了日:1月21日 著者:ジョルジュ・ルフェーヴル
http://bookmeter.com/cmt/44445808

 

 

古代ユダヤ教 (下) (岩波文庫)

古代ユダヤ教 (下) (岩波文庫)

 

 ■古代ユダヤ教 (下) (岩波文庫)

 第2章とウェーバーの遺稿「パリサイびと」が収められた下巻で重要なタームは予言。バビロン捕囚期の危機の時代に「デマゴーグ」として現れた予言者が、ユダヤ教の宗教倫理に決定的な刻印をあたえ、それがパーリア民族としてのユダヤ人の未来を大きく方向づける。ユダヤ民族が他の宗教を奉ずる民族からいかに自らを遮断し、独特の民族性を形成していったのか。ここらへんの分析は近代のユダヤ民族とも重なるような。「パリサイびと」では初期キリスト教ユダヤ教の分岐が描かれるが、ここから先のウェーバーのビジョンに思いを馳せずにいられない。
読了日:1月22日 著者:マックス・ヴェーバー

関連

ユダヤ教とキリスト教と現代―マックス・ウェーバー『古代ユダヤ教』に関するメモ - 宇宙、日本、練馬

http://bookmeter.com/cmt/44471900

 

改訂版〈学問〉の取扱説明書

改訂版〈学問〉の取扱説明書

 

 ■改訂版〈学問〉の取扱説明書

 哲学、政治学、経済学、社会学、法学に関する「半入門書」。それぞれの学問のディシプリンを解説するというより、その方法論に則った気になって偉そうなことをのたまっている連中を痛罵することがメインなんじゃないかと思える。「新自由主義」の濫用やらサンデル流の正義論の誤解なんかが代表例で、そうした間違った取扱例を示しているあたりが「取扱説明書」たるゆえんなのかと納得。全体的に苛立ちが迸っており心が濁ってくるような感じがあったが、いろんなトピックを摘み食い的に参照できて面白かった。
読了日:1月22日 著者:仲正昌樹
http://bookmeter.com/cmt/44486829

 

 

悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

 

 ■悪者見参―ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

 民族問題が噴出し大きな傷を負った20世紀末のユーゴスラヴィアで、それでもサッカーに情熱を賭けた選手たちの軌跡。コソボ問題で国際社会の「悪者」としてユーゴ、セルビア人のイメージが構築されるなかで、選手たちが味わった想像を絶する苦悩と、だからこそ選び取られた矜持。それが一つの大きな軸ではあるものの、そうした選手たちの美しき誇りと対照的なただ民族が違うというだけで、互いを憎み合う人びとの有様も映し出されている。本書を読んでも「悪者」が誰かはわからないし、そもそもわかりようがない。大いなる悲惨と誇りとが胸に残る。

 これもやはり『さよなら妖精』に導かれて。ピクシー*1(妖精)に導かれたという意味では、木村氏と同様ですね(適当)。

読了日:1月24日 著者:木村元彦
http://bookmeter.com/cmt/44537143

 

言説の領界 (河出文庫)

言説の領界 (河出文庫)

 

 ■言説の領界 (河出文庫)

 それまでの言説に対する自身の論点を整理し、今後の研究の方向性を示した講義。言説に課される排除、制限、占有という管理のシステムを踏まえたうえで、そうした管理の手続きの実際や、そうしたシステム下における言説の形成を描きだすことを目指す、というのが大筋だろうか。訳注、訳者解説が充実しており、フーコーの思想の変遷を踏まえてこの講義の位置付けなんかも明確に理解できる。その後のフーコーの権力観は、本講義で語られる制限の方向以上に、言説そのものを生み出すようなものへと転換する。その転換点がフーコーの語りから見えてくる。
読了日:1月25日 著者:ミシェルフーコー
http://bookmeter.com/cmt/44557052

 

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

 

 ■自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)

 リバタリアニズムに基づく具体的な社会設計と、その根拠となる論理を簡明に概説する。個人は自身の身体を自由にできるべきであるという自己所有権を大きな根拠とし、「国家が個人の自由を侵害している」ことに対する異議申し立てとして最小の国家を提示する著者の主張は、確かに頷ける部分もあるなと感じた。リバタリアニズムというともっとアナーキーなイメージがあったので、右でも左でもないのだという主張とそれを納得させる社会設計にはなるほどなーと。でもやっぱりリバタリアンの国家に自分が住みたいと思うかはビミョーだなーとも。

 それは著者も指摘しているようにリバタリアニズムは「人間の利他性を過大評価している傾向がある」(p.195)と強く感じたから。国家による規制がなければ、無秩序のカオス状態になるか、不文律が個人を今以上に縛り付けるんじゃないかという気がする。どちらにせよ、経済的に弱い立場の人間は今以上に苦境に立たされるのではという印象をもった。
読了日:1月27日 著者:森村進
http://bookmeter.com/cmt/44606777

 

フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)
 

 ■フランス現代思想史 - 構造主義からデリダ以後へ (中公新書)

 構造主義からポスト構造主義、そしてそれ以降の思想を簡明に概説している。レヴィ=ストロースの厳密な「構造主義」が「構造主義的思考」へと変化していき、厳密なものではなくなった。そして68年運動を経てポスト構造主義の潮流が出現し、その担い手たちが世を去って現在に至る、というのが大きな見取り図か。現在ではフーコードゥルーズデリダの遺した問題に対して、「メディア論的転回」とも呼ぶべき新たな視角からの研究潮流があり、まだ<フランス現代思想>はまだその可能性を汲み尽くされてはいないという結論に至る。

 それぞれの思想家の思考がその変遷も含めて主著を読み解くかたちで簡潔簡明に述べられていて、いい意味でまさに新書という感じ。十分にはわからない、難解であるというのを直裁に述べてくれるので、読んでいてなんとなく勇気が得られる。またソーカルの批判をある種の導入として用いていて、それとの関連もなるほどなという感じだった。
読了日:1月28日 著者:岡本裕一朗
http://bookmeter.com/cmt/44642416

 

クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)
 

 ■クリプキ―ことばは意味をもてるか (シリーズ・哲学のエッセンス)

 『ウィトゲンシュタインパラドックス』に即すかたちで、クリプキの提示した問題を取り上げる。章タイトルにもあるように「グルー」や「クワス算」の事例を詳しく紹介し、私たちが当たり前のように行っている思考のパターンを正当化するのがいかに困難なことなのかを明快に論じていると感じた。クリプキの示した、「懐疑論の懐疑的解決」に対しての著者からの疑義もストレートに述べており、言葉の意味とはなんなんだろうかという問題が最後まで明確な解決をみないまま本書は閉じられる。まさにてつがくって感じがした(小並感)。
読了日:1月29日 著者:飯田隆
http://bookmeter.com/cmt/44654953

 

マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)

マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)

 

 ■マルクスその可能性の中心 (講談社学術文庫)

 マルクスを「その可能性の中心において読む」ことで「まだ思惟されていないもの」を読まんとするマルクス論、死と歴史に関する論考、漱石を手掛かりとして階級論、文学論の計4編の論考を所収。表題論文のマルクス論は異なる価値、差異を覆い隠す貨幣の奇妙さから出発し、やがては西洋形而上学の思惟のあり方に着地する。それぞれの論考の論旨を十全につかめたとは言い難いが、「可能性の中心において読む」という姿勢に端的に表れ、幾度も語られる「読むこと」の可能性についての柄谷のスタンスが印象に残っている。

 若林幹夫さんの著書で紹介されていたのがきっかけで読んだ。たしかにここで示される柄谷のテクストへの向き合い方には感じいるばかりだった。
読了日:1月31日 著者:柄谷行人
http://bookmeter.com/cmt/44695124

 

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

ポストコロニアル (思考のフロンティア)

 

 ■ポストコロニアル (思考のフロンティア)

 開国から現代に至る、日本の植民地的無意識と植民地主義的意識の葛藤と論理を提示する。欧米列強の圧力の下開国を迫られた日本がとった選択は、万国公法に代表される列強の論理を「自発的に」内面化しようとするものであった。著者が「自己植民地化」と呼ぶその論理は、やがて自らの植民地的無意識を植民地主義的な列強の「模倣」によって隠蔽しようという志向性を持つようになるが、模倣は模倣に留まり続け、完全な同化は不可能であった。戦後もアメリカの新植民地主義的政策のなかで、かつての植民地に対する加害の意識の隠蔽され続ける。

 戦前の日本は、「文明」と「野蛮」の間である「半開」として自己を規定したがゆえに、常に「文明」としての西欧と「野蛮」としてのアジアのイメージを創出し続けなければならなかった。そのようにあくまで「文明」に到達できない日本の葛藤と矛盾を夏目漱石のテクストに読む第2部が特に印象的だった。

 読んだきっかけはもちろん(?)『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』。ポストコロニアルという観点からすると、『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス』って現代日本の植民地主義的な欲望というか、〈父〉になりたいという強いコンプレックスがみえてくる気がするんですよね。またあとでくわしく書くかもです。これでフランツ・ファノンに挑む準備も整ったことですしね。
読了日:1月31日 著者:小森陽一

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*1:日本でもプレイしたサッカー選手、ドラガン・ストイコビッチの異名