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「選ばれなかった者たち」の物語としての『STAR DRIVER 輝きのタクト』

STAR DRIVER 輝きのタクト Songs & Soundtracks

 

 先日寝る前に『STAR DRIVER 輝きのタクト』のサントラを聴きながらぼんやりしていたんですが、ふと、スタドラって「選ばれなかった者たち」が必死でもがく物語なんじゃないか、と思ったんですよね。なんでそんなことが頭をよぎったのかというと、それは多分僕自身が「選ばれなかった」人間だと日々思い知らされているからなんじゃねーかとか推測してみたりもするんですが、まあそれはそれで。とにかく、その線でちょっとスタドラについて考えたことを書き留めておこうと思います。

 ツナシ・タクトは「選ばれなかった」男である 

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 『STAR DRIVER 輝きのタクト』の主人公、ツナシ・タクトは「選ばれなかった」男である。何をばかなことを言っているのだという反応をなさる方もおられるかもしれない。その反応はある一面では正しい。 ツナシ・タクトはタウのシルシの継承者として選ばれた銀河美少年なのだから。継承者として「選ばれなかった」ことで取り返しのつかないほどこじらせてしまったタクトの父、ツナシ・トキオ=ミヤビ・レイジとの対比でいえば、間違いなくタクトは「選ばれた」人間だ。

 しかし「第16話 タクトのシルシ」で垣間見える、彼がシルシを祖父から受け継ぐ前のエピソードを思い起こすならば、ツナシ・タクトは「選ばれなかった」男でしかなかった。コモリ・ナツオとオカダ・ハナ、そしてツナシ・タクト。ナツオの挑戦を応援するハナの姿、彼の名前を呼び捨てにする彼女の姿をみたタクトは、自分の与り知らないところで何かが起こっていたことを直観する。二人の間で本当は何が起きていたのか、起きていなかったのかは、タクトにとっては問題ではない。

 結局のところ、本当にはわかりようなどないのだから。しかし「第6話 王の柱」でスガタを呼び捨てにするワコにのっぴきならない感情を抱いていた様子から見て取れるように、「呼び捨てか否か」に奇妙に執着しているとしか思えないタクトにとっては*1、このハナ‐ナツオ関係において置き去りにされたような感覚、言い換えるならば「選ばれなかった」感覚というのが、その後の本編時間軸における彼の行動を決定づけたように思われる。

 ナツオの死後に彼と同様人力飛行に挑んだことはもちろん、スガタに「自分の命で運命を試した」のではないかと揶揄された、南十字島へ泳いで辿りつこうとした奇行も、「この島のサイバディは、僕が全部破壊する」という正義感に溢れすぎる決意も、「選ばれなかった」というコンプレックスによって突き動かされた故の行動だったんじゃないだろうか。さらに付け加えるなら、タクトがたびたび口にする「青春の謳歌」とは、誰かに「選ばれる」ということに他ならなかったんじゃないか。

 しかし、「第6話 王の柱」で端的に露わになるワコ‐スガタ関係に象徴されるように、本編時間軸でも、タクトは「選ばれなかった者」としての得も言われぬ感覚を味わったのではないかと思われる。なぜなら、彼の傍らに立つシンドウ・スガタは紛れもなく「選ばれた」人間だからだ。選ばれたがゆえにスガタは苦悩を背負っているわけだが、それは置いておいて、脚本の榎戸氏が「本来ならばこの物語の主人公はスガタ」だったと語るのは象徴的だ。それを象徴するのが、シナダ・ベニオ =スカーレットキスと剣を交える「第13話 恋する紅い剣」。タクトは剣を直接交えてもスカーレットキスの正体がシナダ・ベニオであるとは気付かないが、スガタはどうやら感付く。この直観の感度の差異に、「選ばれた者」とそうでないものの差異を見取るのは勘ぐりすぎだろうか。

 ともあれ、タクトはそれでも選ばれなかった者としてもがく。好きな女の子に「呼び捨て」にしてもらうために。

「選ばれなかった者たち」が、それでも立ち上がる―「最終話 僕たちのアプリボワゼ」の価値

 そして、『STAR DRIVER 輝きのタクト』において「選ばれなかった者」は主人公のタクトだけではない。綺羅星十字団において、サイバディとアプリボワゼするためのシルシをもたない者たちもまた、「選ばれなかった者たち」だろう。特に第5隊フィラメントは、シルシを受け継ぐ家系に生まれながらもシルシを失った者達で構成されているという設定からも、まさしく「選ばれなかった者たち」だといえる。彼ら3人組とタクトが、学校生活やら寮生活では結構仲良くやっているように見えるのは、やっぱり「選ばれなかった者」としてのシンパシーがあるような気もして。

 一方、作中で唯一絶対的な敵として現れるヘッドも、「選ばれなかった」人間の一人ではある。しかし自身のために他者を使い捨ていることをいとわず、全人類の未来を対価に過ぎ去った過去に耽溺する道を選びとろうとする彼は、「選ばれなかった者たち」の中でも異質といわざるを得ない。タクトはあくまで、「選ばれた者」であるスガタとともに歩もうとする道を選択するわけだが、ヘッドのそれは、「選ばれた者」の生を徹底的に利用し、復讐する道と言いかえられもするだろう。ゆえに、ヘッドは、他の「選ばれなかった者たち」たる綺羅星十字団のメンバーと決裂することになるのである。

 「選ばれなかった者たち」が、シルシを受け継いだという意味では「選ばれた者」であるタクトとともに闘う最終決戦の素晴らしさについては、語る言葉はない。ただ、「選ばれなかった者たち」がそれでも意地をみせる、という展開がゆえに、この最終話がぼくの心に強く刻み込まれているんじゃないかと思うわけです。

 

 というわけで、『STAR DRIVER 輝きのタクト』は「選ばれなかった者たち」にとって極めて楽観的な希望を示してくれているのだと思いました。それはあたかも、『輪るピングドラムが「きっと何者にもなれない」人のための「生存戦略」を提供してるかの如く。そんなことを思ったのでした。眠い頭で書いたので加筆するかも。しないかも。

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*1:Blu-ray9巻付属のブックレットに所収の榎戸洋二氏の発言によれば『STAR DRIVER 輝きのタクト』は「タクトが好きな女の子に呼び捨てにしてもらうまでの物語」だそう。氏の発言がどこまで本気かどうかは置いておいて、呼び捨てにされる=選ばれるという発想で僕の記事は書かれているのかもしれない。