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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

それと自覚されない悲劇―『ソーシャル・ネットワーク』感想

映画

THE SOCIAL NETWORK

 

 先日みた『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』と『ソーシャル・ネットワーク』を比較する感想をTwitterで見かけたので、後者を再見しました。やはり半端ではなく面白かった。簡単に感想でも書いておこうと思います。

 普通でない男の悲劇

 再見して感じたのは、至極当たり前かもしれませんが、本作は『バードマン』とは全然違うな、ということ。両者の決定的な違いは、『バードマン』が「普通の人間」(であるにも関わらず「有名人」として祭り上げられてしまったが故の)悲劇なのに対し、『ソーシャル・ネットワーク』は「普通でない人間」の悲劇を描いているという点だ、と僕は思う。その意味では最近の映画でいうなら『バードマン』より『イミテーション・ゲーム』に近いのでは、とも。

 facebookの創業者、マーク・ザッカーバーグは随所で「普通ではない人間」として描かれる。誤解を恐れず言えばある意味病気ともとれるほどに。彼の内面はそれほど描かれず、訴訟手続きのシーンに代表されるように、むしろ大多数の「普通の人間」たちにはマーク・ザッカーバーグという人間がどう映っていたのか、という点に力点が置かれているように思われる。マーク・ザッカーバーグという天才は、凡人たる私たちの共感を許さない。だからこそ、彼を知るには他者を通して表象される彼の像を通して知るしかない。

「あなたは最低の人間じゃないけど、そう見える生き方をしている」

 この最後の台詞は、そういう彼の立ち位置を過不足なく表現している。「最低の人間じゃないけど」なんてお為ごかしにすぎない。重要なのは、「そう見える」ことなのだ。凡人に彼の内面は推し量ることすらできないから、「最低の人間」というレッテルをはってさしあたってその理解不可能性を消化するしかない。

 

孤独であることすら理解していない孤独

 そして上記の台詞は、もうひとつこの映画の際立った点を表現しているように思われる。

 『ソーシャル・ネットワーク』は、マーク・ザッカーバーグという一人の天才が孤独になる物語だ。こうした類型は『市民ケーン』やら『ゴッドファーザー Part2』やら、映画で繰り返し描かれてきたものであることは、町山さんなんかがどっかで語っていた気がする。町山さんはそのことから、SNSという現代的な道具立てを使っていながら意外と昔堅気な、クラシックなドラマを描いている、と評していたような記憶がある。

 しかしそれら古典的な「天才が孤独に陥る物語」と『ソーシャル・ネットワーク』を決定的に分かつ点がある、と思う。それは、クラシックなドラマでは孤独に辿りつくことが悲劇である、と当人に自覚されていたのに対し、『ソーシャル・ネットワーク』では悲劇だと本人には理解されていないのではないか、ということだ。

 結局推測でしかないが、マーク・ザッカーバーグという男は、この映画で描かれていることが悲劇である、ということすら理解していないのではないか。悲劇であることすら理解されない悲劇。自分が最低の人間かどうかも、自分では理解できなかったマークは、弁護に関わった女性、マリリン・デプリーの台詞によって、ようやく自己の像を取り結ぶ。そうしてfacebookの立ち上げをめぐる一連の騒動が、悲劇として解される。いや、その発言を経てマーク・ザッカーバーグが悲劇と受け取ったかは、結局知る由もないのだが。

 そのことは滑稽な喜劇であるかもしれないし、エンドクレジットで流れるThe Beatles - "Baby, You're A Rich Man"はそれを強調してもいるかもしれない。でも、僕はそれはより沈鬱な悲劇である気がしてならない。

 だから多分、マーク・ザッカーバーグはバードマンにはならないんじゃないか。みたいなことを改めて思ったのでした。

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【作品情報】

‣2010年/アメリカ

‣監督:デヴィッド・フィンチャー

‣脚本:アーロン・ソーキン

‣出演 日本語吹き替え

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