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仲間を失ってなお、前に進めるのか?――『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』感想

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  『バケモノの子』を見て細田守監督作品を見返したくなってきたので、とりあえず『ONE PIECE THE MOVIE オマツリ男爵と秘密の島』をみました。多分2年ぶりくらいの視聴な気がします。せっかくなので適当に感想を。

 「監督・細田守」のターニングポイントとして

 グランドラインを航海中の麦わら一味は、偶然オマツリ島への地図を手にする。スパや美女や満漢全席、そして「もし、君が 海賊の中の海賊の中の海賊の中の海賊ならば 信頼する仲間をつれてこの島に来るがいい」という挑戦に誘われた一味が上陸したそこでは、島の主、オマツリ男爵が「地獄の試練」を用意して待ち構えていた...。

 序盤はコミカルな「地獄の試練」とそれに立ち向かう麦わら一味の奮闘が描かれるわけだが、試練をこなしていくなかで麦わら一味の信頼関係に次第に暗雲が立ち込め、彼らの心がバラバラになるやオマツリ島は、ひいては『オマツリ男爵と秘密の島』は真の姿を現すことになる。

 なぜそんな重苦しいストーリーが展開されることになったのかについては、細田守監督のキャリアから説明されることが多いような気がする。イアン・コンドリー『アニメの魂』のなかでもそのような解釈がなされているので、該当部分を以下に引用しよう。

細田の『オマツリ男爵』も、最初は楽しげに試練に挑戦する海賊仲間たちが次第に身の危険にさらされていく。海賊船長ルフィは仲間とはぐれ、自力で事態を解決できるかどうか自問を迫られる。特に暴力的な場面では、ルフィの伸縮自在の四肢は岩に矢で居抜かれ、身動きの取れないルフィの絶望を観客も味わうことになる。このシーンは当時の細田には特別の意味を持っていた。ある側面で、彼がスタジオジブリで制作していた『ハウルの動く城』の顛末を反映していたのだ。六カ月もの間スタッフとともに『ハウル』を完成に導こうと奮闘していた細田は作品から降ろされてしまう(理由についてはあまり語られない。おそらく「創作上の不一致」とでもいうものなのだろうが、実際にはそんな言葉をはるかに超えた激しい衝突があったものと想像される)。スタッフは解散させられ、信用地に堕ちた細田は、「もうアニメーションでは生きていけない」と思った。それでも細田は『オマツリ男爵』のルフィと同様、何とか前進する途を見つけ、東映アニメーションに戻って映画版『ONE PIECE』の第六作目を作ることになる。*1

 作家論的な見地からはなされたこの解釈も、まあなるほど、というか、説得性はあるな、と思う。後半の陰惨さは監督の精神状態を映しているんだ、というのも納得の来歴というか。「監督細田守」を語るなら決して外すことのできない作品だと思います。

 

仲間という窮極の根拠

 しかし同時に、『オマツリ男爵と秘密の島』は『ONE PIECE』本編に対して大きな批評的機能をもち、それは公開後10年を経ても色あせることはなく、むしろ強まってさえいる、と感じた。なぜならそれは、『ONE PIECE』においてたびたび行動のための究極の根拠としての役割を果たす「仲間」という存在について、痛烈な問いを投げかけているからである。その問いとはすなわち、「かけがえのない仲間を失ってなお、ルフィは前に進めるか?」という問いである。

 相対する敵であるオマツリ男爵は、「かけがえのない仲間」を失ってしまったことによって、前に進めなくなってしまった男。ゆえに島にとどまり続け、奇妙な花リリーカーネーションが具現化したかつての仲間たちとの偽りの毎日に耽溺する。

 一方オマツリ男爵に仲間を葬られた男、チョビヒゲ海賊団船長のブリーフは仲間を失ってもなお、前に進もうとする。「一人ではオマツリ男爵は倒せない」と彼はたびたび強調する*2。彼の助けがあってはじめて、ルフィはオマツリ男爵と互角に渡り合い、そして彼以外の新たな仲間の力によって、オマツリ男爵を完全に打ち倒す。

 オマツリ男爵とブリーフという、仲間を失うという共通の経験を持ちつつも、しかし対照的な生き方を選んだ二人。この鮮烈な対比は、ルフィははたして「かけがえのない仲間」を失ってなお、前に進めるのか?という問いを喚起する。

 見直す前まで、「ルフィという男はたとえ仲間を失っても、新たな仲間をみつけて前に進むのだ」という結論が作品の中で描かれている、という風に記憶していた。しかし見直してみるとそうでもない。ルフィは6人の仲間がリリーカーネーションに飲まれて死んだと思い込んでいるうちは、完全に戦意を喪失している。彼が戦う意思を取り戻すのは、少女デイジーの並外れた聴覚によって仲間がまだ死んではいないと判明する瞬間なのだ。だから、「かけがえのない仲間を失ってなお、ルフィは前に進めるか?」は宙づりにされたまま、未決の問題として滞留し続けている。

 そしてその問いは、本作公開から10年を経た現在ますます重みを増しているとさえいえる。

 『オマツリ男爵と秘密の島』公開から5年の時を経た2010年、ルフィは決定的な、そして絶対に挽回不可能な敗北を経験する。それは兄、エースの救出に失敗したこと。エースの死はルフィに大きなダメージを与えるが、しかしそれでも彼は前に進もうとする。すべてを失った?いやそんなことはない、まだ残っているものがある。

「仲間がいる"よ!!!」

 たとえ決定的な敗北、取り返しのつかない失敗を経てなお、仲間がいるから立ち上がり、前に進める。仲間はルフィを支える窮極の根拠として機能する。これ以前から、仲間は『ONE PIECE』作中でそのような機能を担ってはきた。だからこそ『オマツリ男爵と秘密の島』でも「仲間」が主題化されているんだろうと思う。しかしエースの死によって、それはより巨大な意味をもつようになったんじゃなかろうか。

 ゆえに、「かけがえのない仲間を失ってなお、ルフィは前に進めるか?」という問いの意味もまた重大な価値をもつのである。だからオマツリ男爵と秘密の島』は、『ONE PIECE』に対して極めて批評的な作品だったし、これからもそうあり続けるんじゃなかろうか。

 

 そんなことを思いました。再見してもやっぱり後半の陰惨さはつらく、細田監督のフィルモグラフィの中では苦手な作品かもなーと。暗い色調の画面のなか、劇伴なしでルフィが責め苦にあうの、つらい。とはいっても序盤の軽快なテンポは「細田監督らしい」と感じますし、キャラクターがそれぞれ「らしく」動いているので、『ONE PIECE』劇場版のなかでは断トツに好きなんですが。

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【作品情報】

‣2005年/日本

‣監督:細田守

‣脚本:伊藤正宏

作画監督・キャラクターデザイン:すしお、山下高明久保田誓

‣出演

*1:イアン・コンドリー『アニメの魂』pp.76-7.

*2:「一人では無理」ということが強調されるあたりに、『オマツリ男爵と秘密の島』におけるルフィは、一人のキャラクターである以上に、「監督細田守」の具現として存在していると読めるかもしれない。海賊は一人でも戦えるかもしれないが、アニメは一人では作れないのだから。