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はぐれものと居場所―アンドレイ・タルコフスキー『ストーカー』感想

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 アンドレイ・タルコフスキー監督『ストーカー』をみました。タルコフスキー監督の作品ってみたことなかったんですけど、最近近所のTSUTAYAの品ぞろえがいい感じに強化されたので、いい機会だと思って借りてきました。長いっていうのは聞いてたんで寝落ちしないか不安だったんですが杞憂でした。面白かった。以下で適当に感想を。

 奇妙な廃墟

 隕石だかUFOだかのせいで、政府が立ち入りを禁止した場所、「ゾーン」。その中の部屋にたどり着くことで願いが叶うというその場所に、それぞれ思惑を秘めた作家と大学教授、そして彼らを導くゾーンの案内人、ストーカーが分け入る。

 上映時間160分の大半は、この3人の男のゾーン探索に費やされる。彼らの挙動をカメラは執拗にとらえ続ける。長回しが繰り返され、不気味な廃墟の探索はなかなか進まない。案内人のストーカーはゾーンの危険性をことさらに強調し、焦ったり勝手な行動をとったり時に先に進むのを拒んだりする作家と教授をいさめたりしたりなんなりする。

 遅々として進まない探索は、しかし意外なほど退屈ではない。それは画面構成の美麗さも大きいだろうが、なによりゾーンの不可思議な感触によるものではないかと思った。ストーカーの振る舞いやただならぬ気配によって、ただの無人の廃墟は緊張感に満ち満ちたキルゾーンと化す。3人がなんとなく誰かに見られているような印象を与えるカメラワークも手伝って、いつなにが起こってもおかしくない雰囲気が漂う。このせいで平板な展開ながら一瞬たりとも気が抜けず、見終わったころにはけっこうがっつり疲弊していました。それだけでも見た価値があったというもの。

 

はぐれものの唯一の居場所

 何が起こるかわからない場所、ゾーン。その恐怖や緊迫感のなかで疲弊した3人の男たちは、それぞれの実存に向き合うこととなる。作家と教授ももちろんそうだと思うんだが、やはりタイトルにもなっているストーカーの苦しみが、強く胸に残った。

 ゾーンの外では、彼はうだつのあがらない男に過ぎない。しかしゾーンの内部を、彼ほど熟知した人間は他にはいない。ゾーンの中でなら、男は作家や教授のようなイテリゲンチャですら自身のコントロール下に置くことができる。現実世界で自己実現を図れない男にとって、ゾーンは唯一の居場所だった。セピア調で描かれた世界が、ゾーンに入ると一転色彩豊かになるのは、そうした男の心情を映しているように僕には思われた。

 だからストーカーは、願いがかなうという部屋を爆破してゾーンの価値を消滅させようとした教授に、あれほど強烈に反発する。ゾーンの存在価値の消失は自身の価値の消失を意味するからだ。結局爆弾は爆発することなく、その価値は宙づりにされたまま男は再び現実へと帰還する。破壊されなかったとはいえ、作家によってゾーンの真価を突き付けられてしまった男は、それまでの男とおなじではいられないだろう。彼はそれでもゾーンに魂を惹かれ続けるのか、それとも新たな途を見出そうとするのか。セピア色で描かれた世界の中で唯一色彩を保っていた彼の娘に生じた変化は、彼に何をもたらすのだろうか。

 

 そんなことを思いました。それとゾーンの設定とか描写は、『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』のゲートのそれの元ネタというか、リスペクト先だったんだなーという気付きを得ました。インタビューとかで言及されてたりすんのかしら。はいというわけでDTB再見の機運が高まったのでした。

 

 

 あ、全然関係ないですけどアクセスカウンターが10万回ってました。イェイ!

 

 

 

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

ストーカー (ハヤカワ文庫 SF 504)

 

 

【作品情報】

‣1979年/ソヴィエト連邦

‣監督:アンドレイ・タルコフスキー

‣脚本:アルカージー・ストルガツキー、ボリス・ストルガツキー

‣出演

  • 「ストーカー」:アレクサンドル・カイダノフスキー
  • 「ストーカー」の妻:アリーサ・フレインドリフ
  • 「作家」:アナトリー・ソロニーツィン
  • 「科学者」:ニコライ・グリニコ
  • 「男」:ナターシャ・アブラモヴァ