映画版『昭和歌謡大全集』をみました。村上龍の原作は特に理由もなく中途で投げ出して久しいんですが、U-NEXTさんに映画版があったのでつい手が伸びました。以下で適当に感想を。
昭和的殺人遊戯
東京都、調布市。なんだかよくわからない無軌道な若者グループの一人の通り魔事件をきっかけに、若者グループとオバサン軍団の全面戦争が勃発する。
そのよくわからない抗争は、コスプレした松田龍平たちがピンキーとキラーズ『恋の季節』をやる気なさげに熱唱する冒頭に端的に表れているように、昭和の歌謡曲が散りばめられる中で戦われる。
この歌謡曲が実際に歌われたり流れたりするのは、原作にない映画版の強みだよなーと。本から音は出ませんからね、当たり前ですが。昭和を生きた人々は脳内再生余裕なのかもですがこちとら平成野球少年なので、実際に音楽が流れる映画版のほうが、なんというか、選曲の妙を感じることが容易いという気がします。
そのBGMの効果か、気の抜けたサイダーのごとき雰囲が全編に漂い、どことなくタランティーノ監督作品を彷彿とさせる。登場人物は若者もオバサンも無駄口叩いてばっかりだし。
で、全体の雰囲気ははっきりいって弛緩していて退屈にも感じられるんですが、すげー印象に残っているシーンが序盤にあってですね。それがオバサンが通り魔に復讐し戦端が開かれる場面なんですよ。
悲しさも楽しさも『チャンチキおけさ』
最初にオバサンを通り魔的に殺した男、スギオカ。彼は、オバサンののどを掻っ切った時、頭の中に三波春夫の『チャンチキおけさ』が流れたという。その時初めて、その歌の素晴らしさがわかったのだと。
『チャンチキおけさ』は1957年に出された三波春夫のデビュー曲で、220万枚もの売り上げを記録したんですって。それをスギオカはこう評する。
「あれはほとんどブルースなんだ。つまり、悲しい気分を楽しく歌うわけ。それは、僕のやったことと似てるんだよ」
殺人の経験から唐突に導き出されるこの音楽論は、『昭和歌謡大全集』の名を冠した本作にあってほとんど唯一、真に迫る歌謡曲への言及であるといっても過言ではない。こう語ったスギオカはこのあとすぐ、いつものようにいつもの場所で立小便をしようとしたところで、オバサンの刃にかかって無残に死ぬことになる。
ダスキンのモップの柄の先に包丁を括り付けスギオカに突進するオバサン。
呆然とそれを見つめるスギオカ。
このスギオカの死の場面で流れるのが、ほかでもない『チャンチキおけさ』。この殺人のシーンのバランス感覚が非常に好みでですね。ほかの殺人場面ってわりとスタイリッシュだったりするか、もしくはぶっ飛びすぎな感じがするんですよ。
スギオカが首をナイフで一閃するとことか、死体はシュールだけど殺人という瞬間自体はわりとかっこいい感じだし、スギオカを殺したオバサンの頭をトカレフで打ち抜く場面はマフィア映画っぽくもあるし。
で、振り切れちゃったほうはもうこれ『コマンドー』じゃないすか。それに対して、スギオカ殺害の場面は、シュールさと実在感の間を薄氷を踏むかのように渡り歩いてる感じがして。
で、その後は『チャンチキおけさ』をみんなで唄ってスギオカを弔う。
「悲しい歌なのに、明るい」
「希望は何もないのに、死にたいって気にさせないように」
この一連の『チャンチキおけさ』シークエンス、大変好きです。このくらいの感じで全編いってくれてたらなーという。はいそんなことを思いました。
関連
村上龍、以前は結構好きでした。
本作と一部キャラが共通。
【作品情報】
‣2003年/日本
‣監督:篠原哲雄
‣脚本:大森寿美男
‣出演