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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

全体意志 2.0、あるいは『ガッチャマンクラウズ インサイト』の私たち

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 

 昨日と今日で溜まっていた『ガッチャマンクラウズ インサイト』を11話までみて、それとどうにも響きあう予感がしていた東浩紀『一般意志 2.0』を読むなどしていました。「ゆっくり ふかく」をひとつのキーフレーズにしている『インサイト』を一気見するのはなんだか本義にもとるような気がしますが仕方なかった。以下でガッチャマンとあずまんを絡めたり絡めなかったりして適当に思ったことを書いとこうと思います。

 猿の惑星の憂鬱

 『インサイト』に先立つ1期『ガッチャマン クラウズ』が描いたのは、ベルク・カッツェとの対決。人々の悪意の増幅器ともいうべき彼は、ひとつの街を混乱状態に陥れ、それに対する対応が作品のクライマックスだった。クラウズという「特別な力」を与えられた、しかし「普通の人々」をアジテートする、という特異な点に作品固有の領域みたいなものがあったと思うしそれが『ガッチャマン クラウズ』の面白さを形作っていたけれど、言ってしまえばヒーローの敵は一人のテロリストともいえて、「事件の解決」即ハッピー、とまではいかないかもしれないけどさしあたってひとつの終わりではあった。

 しかし『インサイト』で一ノ瀬はじめをはじめとするガッチャマンたちが相対するのはテロリストの起こした事件という「状況」ではなく、それよりはるか大きい、この列島を覆う「空気」。「この国の空気」に戦いを挑んだ先人、『東のエデン』の滝沢朗は、国民全員にテロを予告するという形で最終的に空気を少しは揺さぶってみせたような気がするのだけれど、ガッチャマンは「ヒーロー」としてどう「空気」と戦うのか、というのが一つの焦点となっている、と思う。

 『東のエデン』では「この国の空気」はヒロイン森美咲に流れ込み、彼女の口から滝沢へと伝えられるという経路で描写されていたと思うのだが、『インサイト』はもっと露骨に、はっきりとした共通体験を呼び起こすことによってこの国を空気を伝えてみせる。それはこの国の政治を巡る戯画の再演である。

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 失言、漢字の読み間違い、3000円のビーフシチュー...。麻生太郎安倍晋三両氏の顔が嫌でもちらつく。そしてそんな、(政治とは直接には関係しないであろうという意味で)些末な事柄をあげつらう人々の姿。そこまで含めて架空の世界で反復されると流石に馬鹿らしさに気付きもするが、それはかつてマジになってやっていた「私たち」の反復にすぎないことに一抹の絶望を覚えもする。鈴木理詰夢のいう「猿の惑星」の猿とはまさしく私たちの謂いであることを直截に突き付けられているのだから。

 そんな「猿の惑星」の「空気」を掴み、首相の座を得たのが宇宙人ゲルサドラ。彼は地球人離れした人柄と処理能力、そして何よりスマートフォンを通した国民投票によって人々を、というか人々の間にある「空気」を掌握してゆき、もはやあらゆる政策を「おまかせ」されるまでになる。そのようにして「みんな一つ」になってゆくかと思われたところで、ゲルサドラの処理能力も限界を迎え「みんな一つ」の方向に向かってドラスティックに「空気」が舵を切っていくのだが、宇宙人首相ゲルサドラの在り方って『一般意志 2.0』っぽいのでは、みたいなことを思ったりしたんですね。

 

情報技術からルソーを読む―『一般意志 2.0』

 というわけで長らく積んであった東浩紀『一般意志 2.0』を読んだのですけど、結論から申しますと、ゲルサドラさんの政治の在り方は一般意志 2.0にのっとった民主柚木 2.0ではありませんでした。当たり前だ。

 『一般意志 2.0』はどういう議論がなされているのかというと、情報技術の進展した現代の目線でルソーの『社会契約論』、とりわけそのなかの一般意志論を読み直す、という試みから、来るべき民主主義の在りようを構想する、という感じ。

熟議もなければ選挙もない、政局も談合もない、そもそも有権者たちが不必要なコミュニケーションを行わない、非人格的な、欲望の集約だけが粛々と行われる「もうひとつの民主主義」の可能性を説く。*1

 そんな民主主義の条件になるのが「一般意志 2.0」というわけです。それはルソーの一般意志がそうではないように、人々の意志の単純な総和ではなく、それに数学的な操作を加えた概念であるという。情報化の進展は、ネットワーク上に人々の様々な行動や入力の痕跡を無数に刻み込む。そうして「情報環境に刻まれた行為と欲望の集積、人々の集合的無意識」こそが、一般意志 2.0である。と僕は読んだ。

 なんらかのアーキテクチャによってその集合的無意識をうまい具合に可視化し、それによって専門家同士の熟議にある種の制限を加える(さながらニコニコ生放送のリスナーが、コメントを通して生主に間接的に作用を及ぼすように)のが、東の構想する民主主義 2.0であり、それによって現代を「動物的」に生きざるを得ない私たちが政治に参加することができるようになる、というのが東の議論。こんな雑な要約が許されるのかわかりませんが。

 

2.0に届かない私たち

 だから、「サドラにお任せ」する『インサイト』の政治はそれとは程遠い。ゲルサドラは無意識を「空気」として色付けし可視化するけれども、それをうまい具合にフィードバックはできない。単純に意志の総和を感覚することしかしていないように思われる。ゲルサドラの依拠する「空気」は「一般意志 2.0」というよりは「全体意思 2.0」(単純な意思の総和)という感じ。それは私たちの想像力が、「民主主義 2.0」の思考実験を映像上のガジェットとして楽しむほどには養われていない故の演出なのかもしれないですが。

 

しかし発想自体は東のそれと響きあうものがあるような気もする。 「現代社会はあまりに複雑で、その理解が有権者の認知限界を超えているために政治が麻痺している」*2という感覚は『インサイト』においても自明の前提と見做されていると感じるし、下の記述なんかはまさしく『インサイト』っぽい。

日本人は「空気を読む」ことに長けている。*3

 

わたしたちはもはや、自分たちに向かない熟議の理想を追い求めるのをやめて、むしろ「空気」を技術的に可視化し、合意形成の基礎に据えるような新しい民主主義を構想したほうがいいのではないか。*4

  とはいえ、『インサイト』と『一般意志 2.0』はその結論に相当大きな隔たりがあり、『一般意志 2.0』は動物的であらざるを得ない私たちを踏まえて制度設計することに未来を賭けるわけだけれども、『インサイト』はそれでもサルからヒトへ這い上がれることを信じているように思える。はじめは言う。「ひとりで考えよ」と。多分一人考えてもどうにもならないことって私たちの周りには無数にあって、だからはじめのその言葉は鋭くて残酷かもしれないけど。でも、だからこそ、ゆっくり、ふかく、考えよ、そういうことなんだと思います。

 動物的な私たちを制度によって方向づけするという決着は『ガッチャマン クラウズ』で通過しているわけで、それを乗り越えねばならない2期『インサイト』の宿痾という感じもするのですか、これがどうなるのかは最終回をこうご期待というところでしょう。はじめちゃんが「空気」とのうまい付き合い方を示してくれることを願って。

 

 

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 1話みた直後の感想。

 

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*1:p.3

*2:p.181

*3:p.7

*4:p.7

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