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「わたしたちは最初からルーカスが大好きで、ルーカスが大嫌いだった」―『ピープルVSジョージ・ルーカス』感想


Star Wars: The Force Awakens Trailer (Official) - YouTube

 先日『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の予告編が公開されたせいで俄かにスター・ウォーズ熱が高まったので、Huluで『ピープルVSジョージ・ルーカス』をみました。なぜ本編をみなかったのかはおいといて、楽しかったです。以下適当に感想を。

 スター・ウォーズの悪いおたくはほんとうに悪い

 『ピープルVSジョージ・ルーカス』、ファンがひたすらルーカスを罵倒する映画だと聞いてはいたんですけど、ほんとうにファンがひたすらルーカスを罵倒する映画だったので驚きました。スター・ウォーズの思い出、作品への愛、無数のグッズの収集などなど、ファンが熱い思いを語るパートが見事な前フリとなって、それ以降もうずっとわるいおたくのターン。スター・ウォーズの悪いおたくは特別編も新3部作にも驚くほど不満たらたらで、それが絶妙に滑稽でいい。新3部作でスター・ウォーズの世界に入っていって特別編で旧3部作を視聴した世代である僕には到底理解できない世界。

 特別編が賛否両論なのは知ってたんですが、特別編はオープニングのロゴの出るタイミングが早くなってる、みたいな超些末な事柄から、ハン・ソロは先に銃を撃ってた、みたいなキャラクター造形に関わる問題、そしてCGで演出しなおすこと特撮に関わった人たちの努力をないがしろにしてる、なんていう作り手側の問題まで、ファンのこだわりを聞くと、ああなるほどそういうところが不満だったのね、と腑に落ちました。とはいえここら辺の不満は、オリジナル版がソフト化されたらもう解決なんじゃないかと思うわけですが。

 『ファントム・メナス』への落胆もすさまじくて、「自分がどれほど期待していて、そしてどれほど落胆したか」みたいなエピソードを語るおたく、それ飲み屋で何回も話してるネタだろっていう。『ファントム・メナス』から入った人間としては、ちょっとそこまで言うことないじゃん!って感じなんですが。とはいえ、ミディクロリアンという設定によってフォースの力が身体的な形質と結び付けられてしまったことへ失望、ってのはなるほどなって感じでした。

 そんなおたくたちのスター・ウォーズへの思い入れが罵倒からはっきりと伝わってくる、という編集もすごい。その思い入れは愛と呼ぶにはいささか歪にすぎるという気もしますが、悪いおたくたちの熱量は半端ない。

ルーカス不在のスター・ウォーズ

 そうしたファンのあらゆる不満がジョージ・ルーカスという一個人に集約されている点が、今からみるとこのドキュメンタリー映画の結構興味深い点なのかな、と。EP7でスター・ウォーズの世界は、ジョージ・ルーカスという一人の作家の手から完全に離れ、それが二次創作やパロディではなく「正史」としてこれから流通していくわけじゃないですか。

ジョージ・ルーカスが『スター・ウォーズ』から降りた理由とディズニーの条件 | マイナビニュース

 

 そんなことって、この映画が公開された2010年時点ではもしかして予想もつかなかったんではないか。いや、そんなことないのかもですが。とはいえ、世界を作ったのはジョージ・ルーカスという神だったかもしれないけど、2015年12月にいたって神の手をようやく離れることになる。けれども、スター・ウォーズの世界は、というかファンの心は未だジョージ・ルーカスという作家の重力圏内にとどまっているように思える。このパロディ動画なんかみると。


Star Wars: Episode VII Trailer - George Lucas ...

 こんな二次創作こそが、スター・ウォーズを支えた大きな要因である、というのは『ピープルVSジョージ・ルーカス』でも主張されているように思ったんですけど、結局やっぱりみんなジョージ・ルーカス大好きなんじゃないか。そんなことをやっぱり思っちゃうんですが、どうなんだろ。

 

 

追記

  GAKImode (id:EAbase887)さんのコメントを受けてちょっと思ったことを追記しときます。「ブランドの出来上がった作品と作者の意図、ファンの思い入れそれぞれの3角関係がある」というのがなるほど、というか、そういう見立てを導入すると(少なくともこのフィルムにおいて提示された)『スター・ウォーズ』における作品―作者―ファンの関係ってかなり独特だと思うんですよ。それがピープルVSジョージ・ルーカスという構図を成り立たせているというか。

 作品が世に出たら、それはすでに作者の手を離れ、ファンのもとに届く。一度世に出た作品はもう作者には改変のしようがなく、自立して流通していく。その自立した作品をファンが受容し、時に新たな意味を読み、書き加えていく。それが通常の作品―作者―ファン関係だと思うわけです。

 それが『スター・ウォーズ』の場合、一度は自立した作品をジョージ・ルーカスがファンの手から取りあげ、自身の手で改変し、「特別篇」として再び送り返した。〈作者〉、お前、死んだはずでは...。これってかなり『スター・ウォーズ』特有の現象というか、本編で「聖書が書き換えられたのと同じ」と嘆くおたくが出てきましたけど、そのくらいのインパクトが確かにあったのでは、という気もする。特別編によって、スター・ウォーズという作品にジョージ・ルーカスという神が、それまで以上にぴったり張り付いてしまったのではないか。ゆえに、ピープルVSジョージ・ルーカスという構図が成立しえる。しかしその基盤はEP7でついに掘り崩されるわけで、このドキュメンタリーの続編が構想されるならどんなタイトルになるんですかね。『ピープルVSウォルト・ディズニー』?

 

 

 

 

 

 

 

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【作品情報】

‣2010年/アメリカ

‣監督:アレクサンドル・O・フィリップ