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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

彼女と彼女の街――『たまこまーけっと』感想

たまこまーけっと Blu-ray BOX(初回限定生産)

 

 『たまこまーけっと』をみました。ありがとうと言いたい。感想書くのも野暮なのではというくらいに尊い気持ちなのですが、以下適当に感想を。

 世界の中心は餅屋の娘

 現代日本のとある商店街。そこに彼女はいた。餅屋の娘、北白川たまこはそのうさぎ山商店街で、生まれ、育ち、生きている。そんな彼女のもとに異国からの訪問者が現れて、ある一年は始まりを告げるのだった。

 『たまこまーけっと』が映し取る世界は、徹頭徹尾北白川たまこという一人のヒロインを中心点として編成されていて、それゆえ、彼女はこれ以上なく魅力的な存在として世界の中に屹立する。彼女が魅力的なのは、単にかわいらしい容姿をしているとか、魅力的な声としゃべり方をするとか、仕草からにじみ出るあいくるしさとか、悪意というものはこの世にないのではないかと信じたくなるようなパーソナリティとか、そんなことではなく*1、世界の中心に彼女がいることからくる。それが『たまこまーけっと』という作品の中での北白川たまこという人物の魅力なのだと思う。

 世界の中心にいるとは、具体的には、画面に映る登場人物のほとんど全員が、北白川たまこに魅惑され、好意を持ち、愛情を注ぐということ。画面に映るのは、彼女が愛され、そして愛する世界。それがドラマの舞台となる。だから、北白川たまこさんは女子高生という立場であるにも関わらず、学校はそれほど作品のなかで重要な位置を占めない。彼女の世界はある部分では学校も含みこんではいるけれども、中心により近いのは、うさぎ山商店街というひとつの街だろうと思う。

 彼女は女子高生でもあるのだけれど、それ以上に餅屋の娘で、うさぎ山商店街という一つの街を形作る一員として、おそらく自らを認識し、そのようにして世界を捉えてもいるのだろうと思う。それは物語の始まりが学校的な暦ではなく、年の始まり/終わりに対応することからも示唆されている。その世界に対する身の置き方みたいなものが、どうしても学校を中心として自分の生活が編成されてきたように思える僕にとっては新鮮だった。

 

故郷の幻風景

 そのように世界をみる北白川たまこにとって、世界は変わらないでそこにあるもの、という感覚が強くあるんじゃないか、と思う。

 学校は、世界は不可避的に入学、進級、卒業にともなう成員の変化によって変化と安定とが短いスパンで繰り返される。それと比べると、街の、というか街に住む人々の移り変わりはもっとゆるやかだ。成員の変化はもちろんあるけれど、それは学校のように1年刻みで整然とシステマティックに変わってゆくものではない。そんな世界に自らの軸足を置いているがゆえに、彼女はなんというか自らの居場所みたいなものをはっきりと持っている、と感じられる。安定した世界を愛し、それに愛されているが故の安心感に彼女は包まれている。

 とはいっても、その世界もゆっくりとではあるかもしれないが、確実に変化していく。そうした変化を積極的に望むようなメンタリティは北白川たまこには多分なくて、だから自分が異国にお嫁に行くかもしれないのに引き留めてくれない商店街の人たちにちょっと憤ったりもするのだろう。それが彼女を愛するがゆえに、幸福を願うがゆえの姿勢だとはいえ、街を愛する彼女は変わらずそこにありたいのだ。

 しかし、変化は時に唐突に訪れもする。謎の鳥、デラ・モチマッヅィが突然現れたように、誰かが新たに街の仲間となることもあれば、なにかのきっかけでそこを離れる人もいる。銭湯の看板娘は商店街の外へと嫁入りし、たまこの妹あんこの意中の男子は転校してしまう。そしてなにより、避けられない永遠の別れをもまた、北白川家の人々は経験してもいる。そのような出会いと別れを、北白川たまこは受け入れ、そこで生きていく。

 とはいえ、たまこ自身はそこにとどまり続けても、出会いと別れは無数に反復される。その繰り返しは、北白川たまこの世界を否応なしに変えていくし、いつしか大きな変化が訪れるのかもしれない。そのような予感を漂わせつつも、それでもうさぎ山商店街という街は確かにそこに存在し続け、彼女はそれを愛し続ける。そのような世界とのかかわり方があり得るのだという希望、そのようにして自らの故郷と関係を結べるという幸福が、この世界のどこかにはあるかもしれないという、そういう風景を見せてくれたからこそ、僕はこの作品をみて得も言われぬ感覚を覚えたのかもしれない。

 

雑感 京都アニメーションと「居場所」

  制作会社のつながりから作品語りをするのって、僕はあんまり好きではないのですが、『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』から『氷菓』、『たまこまーけっと』という京都アニメーションの作品群を眺めてみると、なんというか「日常」とか「居場所」ってものを執拗に変奏して描き続けているのでは、という感触を『たまこまーけっと』をみて得ました。

 『涼宮ハルヒの憂鬱』、『けいおん!』、『氷菓』って主人公たちの「日常」というか、「居場所」は基本的には学校空間の中だと思うんですよ。SOS団にせよ、軽音部にせよ、古典部にせよ、部活という枠組みのなかで彼らの世界は編成されている、と感じる。

 一方『たまこまーけっと』は上でも書いたように、うさぎ山商店街という街が「居場所」の位置を占めている、という気がする。これは学校空間よりよりフレキシブルというか、開かれた感じがして、だからこそモチマッヅィの人々が迎え入れられる余地があり、学校で仲を深めた朝霧史織さんなんかもその街の輪の中に入ることができる。その開かれてる感覚が北白川たまこさんの魅力の一端を担っているのでは、という感じがするんですが、それはおいておいて、「居場所」を学校の外においたことが、『たまこまーけっと』の新しさであって、それは『ハルヒ』や『けいおん』とは、また違う「居場所」の風景をみせてくれたよな、と思うわけです。これはもうちょっと考えて改めてなんか書くかも。書かないかも。

 

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ありがとう『たまこラブストーリー

 

 最終話の台詞なんかから、『たまこまーけっと』のうさぎ山商店街は、「お祭り/非日常」と「日常」が溶け合った空間なんじゃないか、なんて思ったり。それは『涼宮ハルヒの消失』でたどり着いた場所とも重なるのかも。

 

 

 

 

 

 

 

【作品情報】

‣2013年

‣監督: 山田尚子

‣原作:京都アニメーション

‣シリーズ構成:吉田玲子

‣キャラクターデザイン・総作画監督堀口悠紀子

‣美術:田峰育子

‣音楽:片岡知子

‣アニメーション制作:京都アニメーション

 

 

*1:それが重要なのは言うまでもないとは思うわけですが

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