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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

不屈の男とアメリカの理想 ――『ブリッジ・オブ・スパイ』感想

ポスター アクリルフォトスタンド入り A4 パターンB ブリッジ・オブ・スパイ 光沢プリント

 

 『ブリッジ・オブ・スパイ』をみました。劇場で予告をみて以来楽しみにしていたんですが、いやー期待通り面白かったです。以下で感想を。

  現在から遡ること約半世紀、世界は二つに分かたれていた。東と西、共産主義と資本主義、ソヴィエト連邦アメリカ合衆国。互いが互いを滅ぼすにあまりある兵器を所持した両者が直接戦火を交えることは、世界の終わりを意味する。かくして戦争からは銃や戦車や爆弾の熱は取り払われ、別様の戦争形態が姿をあらわす。その冷たい戦争は、日常生活が営まれる空間にまで浸透し、それを変えてゆく。そこでは機密情報の収集を任務とするスパイたちが暗躍し、そのスパイを狩り出すため政府側も血道をあげるという、戦闘行為が陰に日向に繰り返されるのであった。

 冷たい戦争の主戦場のひとつであるアメリカ合衆国ソ連の老スパイ、ルドルフ・アベルが捕えられたことによって、物語の幕は開く。最前線で戦う兵士はかつてなら銃弾の雨あられに晒されて命を奪われてきたが、冷戦の最前線ではそれは許されない。なざならそこは、国家の法が十全に機能を果たす、人々が日常生活を送る場所なのだから。かくして老兵は銃弾によってではなく、その法の下で裁かれる。それはあくまで形式的なものであり、兵士には死が与えられるはずだった。しかし法の理念を信じる男によってスパイが弁護されることが決まったとき、予定調和の運命は突き崩されることになる。

 

 敵国のスパイをとっつかまえ、あくまで形式的な裁判にあたって弁護人に選ばれたジェームズ・ドノバンがこの『ブリッジ・オブ・スパイ』の主人公なわけだが、彼が主人公たりえているのは、彼が誰よりもアメリカ合衆国の理念をゆるぎなく信奉する男だからだ。接触してきたCIAから守秘義務を捨て国家に協力せよと要請された際、彼はこう返す。様々な民族・人種が入り混じるアメリカ合衆国を一つの国家足らしめている根拠は、合衆国憲法にある。それをないがしろにすることはできない、と。この理念へのゆるぎなき信仰が、彼を共産主義者の弁護という仕事に妥協なく向かわせる。マッカーシーの扇動した赤狩りが社会を席巻したのは、裁判が行われるほんの少し前の出来事。マッカーシーが退場しても反共の感情は社会に色濃く漂っていて、それが彼と家族に対して有形無形の圧力を与える。そうしたなかでも彼は理念に殉じることを選び取り、その理想を守るためにはからめ手を用いることも辞さない。高邁な理想家であると同時に清濁併せ飲む実務のスペシャリストがドノヴァンなのだ。

 反共感情が渦巻く社会の様子を、スパイも知らないわけがない。「不安はないのか?」と問われて「(不安を抱くことが)何か役に立つのか?」と返す老スパイ、アベルは、つねに冷静さを崩さず、表情からは感情の起伏をおおよそ読み取ることはできない。その老兵すら、ドノヴァンの弁護士としての、いや市民としての姿勢には感服せざるを得ない。彼がある男の回想を語ることを通じてドノヴァンへの尊敬を伝えるシークエンスは、本作の中でも屈指の名場面だと思っていて、ドノヴァンとアベルとの、立場を超えた共感みたいなものがこの映画の魅力だと強く感じた。共産主義とか資本主義とかそんなものは、人間が理解しあうための障害になんてならないんだよ、と朴訥として多くを語らないアベルがなんとかして感謝と尊敬を伝えようとし、ドノヴァンが同様の敬意をもってそれに応じるいくつかの場面は、そう雄弁に語っているように思われた。アベルが本来いるべき場所へと送り返され、ひととき心を通わした二人に今生の別れが訪れるクライマックスの橋の場面は美しく、アベルを見送るドノヴァンの背中が呼び覚ます感覚は筆舌に尽くしがたい。これが映画、なんだよな...みたいな。

 

 そんな理想の信奉者であるドノヴァンをめぐるまなざしは、作中で大きく変化する。ドノヴァンの生き方は変わらないが、彼をながめる視線は180度変化していて、それが同じロケーションにおける反復によって戯画的に提示される。敵国のアベルを弁護しているさいには人々のとげとげしいまなざしが彼を突き刺すが、人質交換を成功させ一躍英雄になったとたん人々は尊敬の目線を彼に向けるのである。彼が人々の視線にさらされるのは(おそらく)通勤電車のなかでなのだが、それが別様の仕方で露骨に反復されることで、なんというか報道一つでどのようにも転ぶアメリカの人々が滑稽に描かれている。

 とはいってもそんな社会がそれほど悪くもないんだ、ということがこの場面には写されてもいるのだけれど。ドノヴァンが電車で移動する場面はいくつかあって、そのひとつ(ふたつ)が上記の通勤の場面なのだけれど、映画の中で最もショッキングな出来事のひとつをドノヴァンが目撃するのも、またベルリンの電車のなかにおいてであった。ベルリンの壁を乗り越えようとした人々が銃弾によって命を散らすのを、ドノヴァンは車窓から目撃する。一方で、英雄となったドノヴァンがニューヨークを走る電車のなかから眺めるのは、無邪気に柵を乗り越え遊ぶ子供たちの姿。東側ではそれを乗り越えることがかなわなかった障害が、ここではいとも簡単に越えられる。そうした社会だからこそ、その基底にある理念をドノヴァンは信じ続けることができるのかもしれない。

 

 こんな感じで非常に楽しかったです。寒々としたベルリンの様子とか、ソ連の裁判とか、そういう歴史を感じさせる美術も大変印象的でした。

 

  スコアはトーマス・ニューマントム・ハンクス×トーマス・ニューマンって、個人的には子連れ狼 in 大恐慌期映画の『ロード・トゥ・パーディション』を想起します。トム・ハンクスのいでたちも結構似ているような感じがするんですよね。

Bridge Of Spies

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 スパイの渋さは『裏切りのサーカス』を想起しました。どちらも渋さとエモさがいい塩梅で同居してて好き。

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【作品情報】

‣2015年/アメリカ合衆国

‣監督:スティーヴン・スピルバーグ

‣脚本: マット・チャーマン、イーサン・コーエンジョエル・コーエン

‣出演

  • ジェームズ・ドノバン - トム・ハンクス(江原正士)
  • ルドルフ・アベル - マーク・ライランス
  • メアリー・マッケナ・ドノバン - エイミー・ライアン
  • トーマス・ワターズ - アラン・アルダ
  • フランシス・ゲーリー・パワーズ - オースティン・ストウェル
  • ブラスコ - ドメニク・ランバルドッツ
  • ヴォルフガング・フォーゲル - セバスチャン・コッホ
  • ウィリアムズ - マイケル・ガストン
  • アレン・ウェルシュ・ダレス - ピーター・マクロビー
  • ウィリアム・トンプキンス - スティーヴン・クンケン
  • ベイツ - ジョシュア・ハート
  • アール・ウォーレン - エドワード・ジェームズ・ハイランド
  • レポーター - マルコ・チャカ