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宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

残念な僕らはいつもまちがう――アニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』感想

アニメ

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 ここ2週間くらいかけて、Amazonプライムビデオでアニメ『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』をみていました。Twitterで熱心なファンのみなさまの呟きを目にする機会が多くて興味あったんですが、こういう感じで配信とかされると気軽にみれられるのでありがたいです。気軽すぎてどうもうすぼんやりと視聴してしまった感は否めず、作品の勘所のようなものを見逃してしまったのではないかと恐れているんですが、ぼんやり視聴していなくともそういうことは日常茶飯であろうとも思うので、感想を書いておきます。

  『やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』はどういうお話であるか、一言で要約すると主人公である比企谷八幡(もしくは総武高校奉仕部の面々)が、まちがい続ける物語、というふうになるんじゃないかと思う。彼の、彼らが「まちがい」続けるさまを、ネットスラングやらに彩られた、しかし同時に非常に学校空間のリアリティを感じさせもする雰囲気の中で、描き出してゆく。

 「奉仕部」とかいうよくわからない部活、その中心に立つ変な美少女、巻き込まれる主人公...なんて構図には『涼宮ハルヒの憂鬱』を想起したりもしたのだけれど、ハルヒが日常/非日常のあいだでの葛藤というか、非日常への渇望あるいは断念をSF的な道具立てを導入して描いていたのに対して、『俺ガイル』はあくまで(それが時折戯画化されたものではあるにせよ)現実の高校生が生きる日常世界のなかでのドラマが描かれ、その外には大きくはみ出すことはない。

 戯画化された、しかしそれでいてどことなく真実味も感じさせる、島宇宙が分立する教室空間。その島宇宙同士の序列化された関係性をスクールカーストという言葉で言い表してもよいのだろうが、その島宇宙がときおり不意に接触せざるをえないのが、学校空間の面倒くささであると同時に可能性でもあると思うのだけれど、そういう形で教室内で孤立する比企谷八幡と、最上位に位置する集団に属する由比ヶ浜結衣が出会うとき、あるいは学校内で独特の地位を確立する才女、雪ノ下雪乃と出会うとき、物語ははじまる。

 他者の悩みを解決しようとする奉仕部の活動にあって、あるいはそもそも他者との関係にあって、比企谷八幡は「まちがう」ことでしか解決できない、という運命を背負わされている。それは人助けの局面においては、『泣いた赤鬼』における青鬼のごとき自己犠牲を通してしか、問題を解決できないということを意味する。自身が悪役となること、それしか八幡は選べない、もしくは選ばない。また、好意を向けられてもそれを露悪的に突っぱねてしまう。自分自身でフラグをへし折っていく様は、『四畳半神話大系』における「私」に代表されるような森美登美彦が好んで描く大学生像に通じるところがあると思うのだけれど、森美のそれは「そのように振る舞うことが善いことなのである」とでも言外に伝わってくるような、確信犯的愉快犯的な立ち振る舞いであって、それゆえそれにはむしろ底抜けに明るい雰囲気が漂っているのに対して、八幡くんのそれは、「そのように振る舞うことしかできないのだ」というようなもの哀しさが時折滲んでいるように思えて、それが彼の魅力の一端を形成しているのだろう、と思う。

 「どうして、そんなやりかたしかできないんだ...」という、12話で彼に投げかけられる言葉は、1クール通して彼の活躍ぶりを眺めてきた視聴者の心情とも重なるのではないかと思うし、それはそれでまっとうすぎるほどにまっとうな意見ではあるのだけれども、彼の活躍ぶりを眺めてきたからこそ、彼はもはやそのようにしか問題にアプローチできないのだろう、ということも十二分にわかってもいる。『泣いた赤鬼』で、赤鬼のために悪者になった青鬼は、どこか遠くに旅立ち消えた。でも学校空間は、そういう形での撤退をおおよそ許さない場所で、だから「まちがい」続ける八幡の苦痛は時とともにいや増していくだろう、と思う。それでも、「まちがい」続けながら、彼の物語はしばらく続いていくんだろう。でも、たぶんいつかまちがわなくてもすむような場所に辿り着くのかもしれないし、あるいは、この「まちがい」こそが逆説的にただ一つの「まちがいではない」道だったのだと気付くのかもしれない。

人生はいつだって取り返しがつかない。こんなどうしようもない一幕でさえ、いずれは失うのだ。そして、失ったことを、きっといつか、悔やむのだろうと思いつつ…

  ラストの独白は、遠い未来の後悔を先取りしている。だからこそ、そのただ中にいる時点で先取りされたからこそ、この後悔は、必ず裏切られねばならないと思うわけです。ということで、「まちがい」続ける八幡くんの物語がその意味を反転させた瞬間に、物語の幕は下りるのでないかなーとか、そんなことを思ったりしました。はい、そんな感じです。

 

 関連

 

 「きっと10年後、この毎日を惜しまない」と豪語する『氷菓』の折木供恵は、ラストの八幡の独白と対極の地点にいるよなーなんてことをとりとめもなく連想したりして。それが折木姉が作中最強人物たるゆえんなんじゃなかろうか、なんて思ったり。

 

「結局のところ学校は「他人と一緒にいるところ」である。 」というのは上遠野浩平の弁だけれども、それゆえにドラマが生まれると思うんですよね...とここしばらくずっと言ってる気がする。

 

 

 

 原作は未読ですが図書館で借りてよもうと画策中。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 (ガガガ文庫)

 

 

 

 

【作品情報】

‣2013年

‣監督:吉村愛

‣原作:渡航

‣シリーズ構成・脚本:菅正太郎

‣キャラクター原案:ぽんかん⑧

‣キャラクターデザイン:進藤優

美術監督池田繁美

‣音楽:石濱翔、MONACA

‣アニメーション制作: ブレインズ・ベース

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