Netflixでアニメ『BLACK LAGOON』をこのところだらだら見ていました。以下感想。
この日本で生まれた人間の多くは、殺人や銃声なんてものとは無縁に生きていく。少なくとも、戦争から遠く離れた現在においては。彼が生まれ育った時代もまさにその平和を享受していて、だから彼も野蛮な殺人やら銃声とは無縁で生きていくはずだった。まがりなりにも身を捧げてきた、会社という組織に見捨てられるまでは。組織に見捨てられ、一度は「死んだ」彼は、日本を遠く離れた異国の地、ロアナプラで生きていく。殺人と銃声とに満ち満ちた「夜」の世界で。
アクシデントから裏社会に生きることになった日本人の青年、岡島緑郎=ロックが、彼を生かした運び屋・ラグーン商会の人々とともに様々な事件と対峙していくのがアニメ『BLACK LAGOON』の大筋で、それは人の命が吹けば飛ぶような世界の残酷さと、ロックが対峙していく物語でもある。とはいえ、その世界の残酷さを描き出すために、この2クールのテレビアニメという形式はそれほどマッチしていないのでは、という気もして、それは何故かといえば、どうしても主要人物が不自然なまでに傷つかないことがどうしても目についてしまうからだ。
犯罪都市ロアナプラでは銃声が響き人があっけなく死ぬ。それは真であるのだが、その世界を貫く法則のようなものから、ラグーン商会の周辺の人間たちは外れているように感じられてしまう。彼らが死んだり重大な傷を負うことは物語を進行させるのに、大きな不都合が生じるのではないか、そんな予感があるが故に、どんなに命の奪い合いをしていても、ラグーン商会の面々は死なないだろう、という感じを受けてしまって、ストーリーが進むにつれ緊張感を感じることができなくなっていった。これは受け手である僕の問題かもしれないけれど。
これは彼らの得物が銃や爆弾という、それによって傷つける/傷つけられることがすなわち重傷ないし死に直結する武器を使っているがゆえに生じるのかもしれないのだが、同じくガンアクションを主体に据えて命のやりとりを描いていた『ヨルムンガンド』なんかは、なんというか緊張感が全編通して持続していたという気もして、得物が本質的な問題ではないのかもしれない。2クールで物語を語りきって完結している『ヨルムンガンド』と、原作も未完のこちらを比べるのも適切ではないかもしれないが。
とはいえ、そういうロックたちのもつ特権性のようなものが、このTVシリーズ最後のエピソード、日本編において糾弾されもする。それはロックの立ち位置の中途半端さを指摘するような論旨ではあったけれど、それをメタ的に読み込んで、作中の彼の一種の特権的なポジショニングを糾弾するものとしても読めるかもしれない。
鷲峰雪緒は自身が否応なしに関わらざるをえなくなったヤクザの世界を「夜の世界」と名指し、それに対してロックを未だ夜に至らざる「夕闇」のなかに位置づける。ロックが、ひいてはラグーン商会の面々がいまだ死や銃弾というものにたいして特権的な位置にいるとするなら、それは単に夜の世界に彼らがまだ至っていないからかもしれない(ラグーン商会自体は明らかに「夜」の側に位置しているとはいえ)。そうすると、鷲峰雪緒や双子がそうであったように、いずれ彼らにも夜のとばりが下りてきて、ロアナプラという街が容赦なく牙をむく時機が訪れるのだろうという気もする。原作でどのような展開になっていくのかは知らないのだけど、ロックが夜に至ったとき、この物語が真の相貌をあらわすのではないか。そうなったとき、夕闇の犯罪の街で生きたこの日々は、むしろ懐かしく思い返されるのかもしれない、彼にとっても、われわれにとっても。
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『BLACK LAGOON』を見始めたのって、『この世界の片隅に』の片渕監督作品だっていうのが大きかったのですが、かえって戦時下の呉の街の、もしくはすずさんの運命の残酷さが際立つような感覚を覚えました。
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【作品情報】
‣2006年
‣監督:片渕須直
‣原作:広江礼威
‣シリーズ構成・脚本:片渕須直
‣キャラクターデザイン・総作画監督:筱雅律
‣美術監督:金子英俊
‣音楽:EDISON
‣アニメーション制作:マッドハウス