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壊れたブレーキと下り坂――『時をかける少女』と歴史の夕暮れ

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 細田守監督『時をかける少女』には、破局の予感が漂っている。それは時に成就し、あるいは繰り延べされ、そして作品世界の歴史全体を規定してもいる。

  『時をかける少女』において、破局はまず主人公の真琴に降りかかる。唐突な、しかし同時に奇妙に予感されてもいた、ありふれた悲劇として。自転車の壊れたブレーキと、踏切へと続く下り坂。そのそれぞれは、ただありふれたものでしかなく、それが直ちに破局につながるものではない。そうした危険性は私たちの身の回りに溢れているが、それが私たちの身に直接危害を及ぼすことはそうそうありはしないし、あったといしてもたいした災いではないことがほとんどだ。しかし、『時をかける少女』においてはそうではない。その二つの内在するありふれた危険が不意に結びつき、そして偶然、電車が踏切を通り過ぎようとしていたというタイミングの悪さが重なって、真琴に破局が訪れる。死という破局が。

 しかしそれが超自然的な力で回避されたことを、そのすぐ後に私たちは知ることになる。まったくありふれたリスクによって引き起こされた破局が、まったくありふれていない力によって回避される。このことによって、時が絶えず不可逆に流れてゆく、私たちの生きる日常世界から作品世界は遊離し、アナクロニスティックに真琴が時間とそれが構成してゆく世界とを弄び始める。破局の回避から始まったこの冒険のなかで、そこに破局があったという事実は忘却される。

 とはいえ破局は何度も回帰する。それは死という形で訪れるのではなく、真琴と彼女を取り巻く世界が否応なしに変化すること自体もここでは破局と呼ぼうと思うのだが、真琴は繰り返し繰り返し、自身を取り巻く関係性の変化という破局を回避するために超自然的な「時をかける」力を使う。それは、他者によって避けがたく成形されてゆく運命を否定し、自身の意図によって自身の運命を成形してゆこうとすることでもある。しかしそれが最終的にたどり着くのは、自身ではなく他者の、代替不可能な他者の死という破局だった。こうして破局が別様な形で避けがたく回帰したことで、その超自然的な力をこの日常世界にもちこんだ未来の人間が現れ、そしてその語りの断片から、未来の有様を私たちは知るのである。

 未来の世界について、私たちが彼の語りから知りうることはそう多くはない。川が地面を流れていることを眺めることができないこと、空は私たちの知るそれよりずっと狭いらしいこと、そしてなにより、人がたくさんはいないらしいこと。このことが示唆するのは、おそらく、未来において、人類に破局が訪れているだろうということ。この語りが作品世界の歴史を規定するとき、真琴と彼女を取り巻く世界は、やがて闇へと向かう、歴史の夕暮れのなかに立たされるのである。

 未来のことと同様に、私たちには超自然的な「時をかける」力、タイムリープについて知りうることもそう多くはない。厳密にどのような法則が未来人の作り出したタイムリープを規定するのか、それははっきりとはわからないし、その歴史改変が世界のありさまにどのように影響を及ぼし得るか、それは推定するしかない。しかし、以下のような推論は可能だろう。タイムリープという技術によって、おそらく未来に生きる人間たちは破局を回避しようとしただろう――真琴がそうしたように。しかし、その未来に生きる人間の口から語られる未来の風景は、その破局の回避の不可能性を証明しているように思われる。すなわち、タイムリープによって歴史の破局を回避することはかなわなかったのだと。

 だから、真琴の運命をそのまま人類のそれに重ね合わせることも可能だろう。人類もまた、壊れたブレーキと下り坂のようなありふれた危険性の発露によって、偶然にも破局へと導かれ、そしてそれは超自然的な力でさえも覆すことはできなかった。そうした人類の黄昏時に、少年は過去へと旅立った。破局の回避ではなくて、破局の時代にあってなお、描かれた美を目に焼き付けるために。「何百年も前の戦争と飢饉の時代」に描かれた「白梅ニ椿菊図」によって、作品世界の歴史は循環史観的な色彩を帯びる。かつて破局の時代があり、そしてひとときの繁栄を享受するいま・ここがあり、そして再び破局へと至る、という円環。

 だから「白梅ニ椿菊図」は、未来から来た少年にとってはある種の希望なのだろう。たとえ破局の時代があったとしても、再び時は巡り、歴史に朝陽が差す、そうした瞬間が訪れるに違いないことを、かつての破局の時代に描かれ、いま・ここに至ったその絵画が証明しているのだと。その絵画の不在はもう二度と朝陽は差さないかもしれないという不吉の象徴で、だから彼はなんとしてもそれをその眼で確かめなければならなかった。

 真琴にとっての最悪の破局――親しいものの死――は回避されたが、心地よい関係性の破局――それは時の流れによって避けがたく生じるものでもあるのだが――は訪れ、しかし同時に新たな関係性がそこにあらわれた。それでは人類の、未来の破局は?それを知るすべはない。しかし、僕はやっぱり、真琴の生きるいま・ここは歴史の夕暮れ時なのだろうと思う。たとえそうであっても、彼女は新たな友人からボールを受け取るのだし、そして誰かに再び投げ返す。それはやがてくる破局の忘却かもしれないが、その忘却によってこそ、破局は乗り越えられるのかもしれない。

 

 『時をかける少女』を離れて細田守フィルモグラフィーを眺めてみると、こうした破局の予感は続く『サマーウォーズ』、『おおかみこどもの雨と雪』、『バケモノの子』では見出すことは困難なように感じられる。それらの作品群では、むしろ時をこえ連綿と続く人間の営為の可能性が描かれているのではないか。その意味で、破局をめぐる問題系は細田にとってはこの『時をかける少女』で決着をみたのかもしれない。

 しかしこの破局がアクチュアリティを失ったとは僕は思わない。この破局をめぐる問題系は、2016年にスクリーンを賑わせた『君の名は。』、『シン・ゴジラ』に継承されているようにも思われる。それについては、またいつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。

 

 

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【作品情報】

‣2006年/日本

‣監督:細田守

‣脚本:奥寺佐渡

作画監督青山浩行久保田誓石浜真史

‣出演