飯田隆『新哲学対話』が素朴におもしろかったので、以下で感想。
本書は、プラトンが遺した対話篇を模倣するような形で、ソクラテスを召喚し議論させる、という形式の対話篇が4編収められている。ここでソクラテスが拠って立つのはプラトン的なイデア論ではなく、現代的な分析哲学(だと思うのだけど)なので、なんというかソクラテスがよりいまっぽい感じで生まれ変わっているという気がする。
本書のなかで最も興味を惹かれたのは、冒頭に配された「アガトン――あるいは嗜好と価値について」。このセクションの話題となるものは、「おいしいワインとは何か?」という問いで、「おいしいワインとは、人それぞれの好みによるもので、人それぞれである」という立場と、「おいしいワインとは、ワインをよく知る人たちが「おいしい」と判断するワインである」という立場が戦わされる。
そのふたつの立場を止揚するかたちで、ソクラテスがおおよそ次のようなことを述べる。おいしいワインとは、「ワインがわかる人」がおいしいと認めるワインであるが、その「ワインがわかる」人の好みは、さまざまな相互作用のなかで形作られる。それは必ずしも「おいしいワインは人それぞれ」という主張を否定するものではなく、その人それぞれ――それは時間的にも空間的にも離れた他者を含む――の好みと互いに影響しあいながら作られてゆく。そのなかでも、とりわけ重要視されているように感じられたのが歴史というモーメント、あるいは偶然という要素である。
つまり、いいワインがいいワインになるには、歴史があり、それは、多分に偶然によるものだ。だから、歴史が違っていれば、まったく別の種類のワインが、いいワインで、おいしいワインだということになったかもしれない。もしも全世界規模の、いいワインの基準というものができたとしても、それはさまざまな偶然の結果、そうなったので、それは、まったく違ったものになっていたかもしれないだろう。*1
そうして,これが「おいしいワイン」以外のものにも適用できるかしら、という議論が端緒についたところでこの対話は終わる。著者自身も述べるように、この議論は「美学の領域」に接近している。そこで例えば、この問いを変奏する形で、「よい映画とは何か」、「傑作マンガとは何か」、という問いが問われることができるように思う。
それは例えば米澤穂信『クドリャフカの順番』およびそのアニメ化作品『氷菓』で交わされた議論に接続することができるように思うのだけど、作中での議論って結構プラトンっぽいよね。(続く)(続くのか?)
*1:pp.101-2