斎藤環氏の『戦闘美少女の精神分析』を読了。2000年に出版されたとは思えぬ、新鮮な論考だった。特に「第5章 戦闘美少女の系譜」は、1990年代までのアニメ史を、戦闘美少女という観点から網羅的に記しており、純粋に知的好奇心が満たされる。
筆者の問題意識は、なぜ「戦う美少女」というキャラクターの類型が、日本でのみこれほど広範に受容されているのかというところにある。その問いかけに対し、日本のおたくや海外のオタクとの対話や、アウトサイダー・アーティストのヘンリー・ダーガーの作品、そして今までの日本アニメの歴史を俯瞰して回答を試みる。その回答は要約すると以下の通り。現実の模倣によってリアリティを確保してきた「西洋的空間」におけるフィクションに対し、「日本的空間」におけるフィクションは現実からの積極的な乖離を試みる。そうしていわば「もうひとつの現実」と化したフィクションがリアリティを確保する手段こそ、「セクシャリティの磁場」、すなわち戦闘する美少女なのである。
読んでいて大変面白かったため、雑に読み進めてしまい、あんまり論理展開とかをつかめなかったことに反省。特に結論部分は、精神分析の概念だと推察される「ヒステリー」がキーとなるのだが、そこらへんの議論がいまいちわからない。門外漢とはいえ、もっと勉強せねば。
- 作者: 斎藤環
- 出版社/メーカー: 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 発売日: 2012/06/30
- メディア: 単行本
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