『花咲くいろは』を視聴し終えてからしばらくたった。このアニメは、1話見るたび「明日もがんばろう」という気持ちになる、そんなアニメだった。これは、Blu-ray9巻に付属の小冊子のインタビューでも言及されており*1、多くの人がそう感じていたようである。では、多くの人に対する応援歌として機能したのはなぜか。緒花をはじめとするヒロインたちの前向きな姿、喜翆荘の面々が真剣に仕事に向き合う様など、様々な要素がからみあい、そのようなメッセージを発信していることは明らかである。
今回はその中でも、「日常」と「非日常」に着目して、『花咲くいろは』を見ると元気が出てくるわけを考えてみたい。
緒花にとっての「日常」
まず緒花にとっての「日常」とはどんなものなのか。そしてそれがどのように変遷していくかを確認する。第1話で描写される緒花の東京での「日常」は、彼女にとって退屈なもの、つまらないものとして描写される。夕暮れの商店街がその中で、彼女を引き付けるが、基本的には「つまらない」ものであるというのが彼女の認識で、「非日常」へのぼんやりとしたあこがれがある。「非日常」は彼女にとって、なんとなく魅力的なものなのだ。
しかし、いきなり「日常」は崩され、旅館で住み込みで働くという「非日常」へつき落とされることになる。そして、緒花の持っていた「非日常」観はもろくも突き崩されるのである。これは、カビ臭い布団に端的にあらわされている。「非日常」は実際は魅力的なものではなく、「つらい」ものだったのである。そのつらい「非日常」の中で懸命に前に進もうとする緒花の姿を描くのが、『花咲くいろは』の前半部分の基本的な流れといっていいだろう。
やがて中盤になって、旅館で働くという「非日常」が、しだいに緒花にとっての「日常」になっていることが明らかになる。それは11話から13話にかけて、緒花が東京に行き孝一と再会するエピソードで端的に示される。緒花は、孝一と再会したことにより、自分の「日常」が、かつては「非日常」であった喜翆荘にあることを自覚する。
ここで重要なことは、もはや「日常」は退屈でつまらないものではなくなっている、ということである。緒花の喜翆荘での「日常」はやりがいのある、がんばりたいことへと次第に変化していた。それこそが、東京でのつまらない「日常」を生きる孝一との決定的な溝として立ち現われたのがこのエピソードであるといえよう。
最終話で、結局緒花は東京へと戻ることになる。東京で、かつてとは全く異なる表情で「日常」を生きる緒花。これが単なる「非日常」から「日常」への回帰でないことは、今までの話の展開からもあきらかである。では、これはいったい何を意味するのか。
「日常」と「非日常」の境界
それは、物語を通して「日常」と「非日常」との境界が曖昧にされ、突き崩されたことに着目すれば明らかになる。つまらない「日常」と魅力的な「非日常」という、緒花が前提としていた二項対立は、物語を通して徹底に突き崩された。「日常」の中でも「輝く」ことができるのだ、という確信にたどり着いた。その確信があればこそ、東京での、かつてはつまらないものにすぎなかった「日常」が、新たに魅力的な「日常」として再構築されたのではないか。それが、あのすがすがしいラストショットの意味ではないかと思う。
さて、緒花の持つつまらない「日常」と魅力的な「非日常」という前提は、我々が無自覚のうちに持つものではないだろうか。その無自覚な二項対立をあらわにし、そして脱構築してみせたその物語の構造にこそ、『花咲くいろは』を見ると元気が出る理由ではないかと思う。
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