『ハンナ・アーレント』をみた。20世紀を代表する哲学者ハンナ・アーレントの生き方を、アイヒマン裁判とそれを元にアーレントの書いた『イエルサレムのアイヒマン』を巡る騒動を通して描く。
岩波ホールで公開していた時に見に行こう見に行こうと思っているうちに公開終了してしまって、DVD待ちかなと思っていたら、吉祥寺のバウスシアターでやっている、と友人から聞き、その友人と一緒に見に行くことになった。平日なのに結構人が入っていて*1、岩波ブランドってすげー、と驚いた。以下でその魅力と、テーマについて考えたことを書いておこうと思う。
かなりわかりやすい、親切設計の映画だった
僕はハンナ・アーレントとその思想はちょっとは聞きかじって(読みかじって?)いたけれど、著作自体は読んだことがなかったので、予習がてら近所の図書館に行ったらアーレント関連書籍が結構貸し出されていて、ネットで情報を調べることくらいしかできなかった。この手の映画は、なんとなく初心者お断りというか、そんな先入観があったので、正直不安だったが、それは杞憂だった。
状況説明のテロップが最初に流れるから、序盤は置いてけぼりになることはないし、ハンナ・アーレントとそれをとりまく人たちの人柄や経歴は、映画の中で控え目かつスマートに提示されるので、特に人物のパーソナリティについて事前に知っていなくても問題なく話の流れを理解できる。『イエルサレムのアイヒマン』でアーレントが示した、「凡庸な悪」とナチスの犯罪に関わった者たちを捉える見方も、作中で繰り返し繰り返し反復されるので、アーレントの思想も特に知っている必要はない。ここらへんが親切だなと感じたゆえんである。
主演のバルバラ・スコヴァの強烈な印象、演技も、この映画をわかりやすくしているな、と感じた。その発するオーラが圧倒的で、正直それを見ているだけでも楽しめると思う。そんなわけで、ストーリーの面でも、俳優の演技の面でも、かなりわかりやすさを感じたので、扱う題材のハードさの割にかなり普通に楽しめた。
不屈の知識人、ハンナ・アーレント
さて、『ハンナ・アーレント』の提起する問題は、人間の生き方に関わる普遍的なものだと感じた。様々な人物との対比の中で表れる、ハンナ・アーレントという知識人の生きざま。それは、現代にあるべき人間の生き方を提示していると感じた。
アーレントとアイヒマン―思考し続けること
まずアーレントと対比されている人物は、なんといってもアイヒマンだろう。アイヒマンは俳優が演じるのではなく*2、アイヒマン裁判の映像をつかって、本人を登場させている。確かに「凡庸な悪」の典型であるアイヒマンを、プロの俳優に演じさせたら、「凡庸さ」の説得力はでないだろう。その点で、アイヒマン自身に演じさせるという本作の手段は全く成功しているといえる。アイヒマンの登場する場面はそれほど多いわけではないが、その残す印象は強烈で*3、もうひとりの主演といってもいいんじゃなかろうか。ポスターにも載ってるし。
そのアイヒマンは、ナチスの体制下で「思考不能」に陥って、ホロコーストという前代未聞の犯罪行為に加担した人物である、とアーレントは述べ、映画の中でもそれは説得的に描かれる。対して、アーレントは、「思考し続ける」人間だ。ハイデガーの薫陶を受け「思考」の意味を学び、そして映画のラストのテロップでは、アイヒマンを巡る論争を経て旧友と決別する、という結果に終わっても、その最期まで「思考」を続けたことが説明される。このように、アーレントとアイヒマンは完全に対比されているといっていい。
アーレントとハイデガー―「挫折」を経てどう生きるのか?
アーレントと対比されているもう一人の人物は、20世紀最大の哲学者、マルティン・ハイデガーだろう。1960年代を舞台にした本作が、ハイデガーとアーレントとの関係を登場させた理由は、その生き方を対比させるため、という意図があったからに他ならないのではないか。
ハイデガーはナチスに加担して、結果として戦後にその責任を追求され、大学から去ることになった。ナチスへの加担をどう捉えるかは多分多様な解釈がありうると思う。古東哲明さんとかは、ハイデガーのナチス加担は思想上必然だった、と述べているが*4、映画では政治上の失策、ぐらいに捉えていたように思う。ともあれ、ハイデガーはそこで「挫折」を経験した(と映画は解釈している)わけだ。
一方のアーレントも、『イエルサレムのアイヒマン』は被害者であるユダヤ人をも攻撃していると解釈され、大衆から攻撃を受け、古くから親交のあったユダヤ人たちとの関係も悪化する。それらの攻撃に対して自らの意図を弁明するスピーチが、本作のクライマックスとなるわけだ。そのスピーチには、多くの人が心を動かされたように思われた。しかし、旧友の一人である大学教授ハンス・ヨナスには理解されることなく、かえって決別が決定的となる。これがアーレントにとっての「挫折」ではないか。
ハイデガーは挫折ののち、大学を去り、アーレントにすがるも拒否されるというみじめな姿をさらした*5。先に述べたように、第一線に残って「思考」し続けることを選んだアーレントとは対照的だ*6。「挫折」を経ても「思考」し続ける不屈の精神、それこそが本作の示す理想の人間像だといえるだろう。
とりあえず今考えたことはこんな感じ。アーレントについてもうちょっと勉強すれば、また違った見え方がしてくるのかなー、とも思うので、いずれ勉強し直して再見しようと思います。
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【作品情報】
‣2012年/ドイツ・ルクセンブルク・フランス
‣監督:マルガレーテ・フォン・トロッタ
‣脚本:マルガレーテ・フォン・トロッタ、パメラ・カッツ
‣出演
- ハンナ・アーレント - バルバラ・スコヴァ
- ハインリヒ・ブリュッヒャー - アクセル・ミルベルク
- メアリー・マッカーシー - ジャネット・マクティア
- ロッテ・ケーラー - ユリア・イェンチ
- ハンス・ヨナス - ウルリッヒ・ノエテン
- クルト・ブルーメンフェルト - ミヒャエル・デーゲン
- ウィリアム・ショーン - ニコラス・ウッドソン
- ローレ・ヨナス - サーシャ・レイ
- シャルロッテ・ベラート - ヴィクトリア・トラウトマンスドルフ
- マルティン・ハイデッガー - クラウス・ポール
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