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博物館・歴史館の領分とは―「描かれた「新選組」」展から考えたこと

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 昨日、日野市にある日野市立新選組のふるさと歴史館に行ってきました。今新選組のふるさと歴史館では「描かれた「新選組」」という特別展をやっていまして、それを目的に行ったわけなんですが、歴史学を学ぶ身としては結構思うところがあったので、それを書きとめておこうと思います。博物館とかに関してはズブの素人なので、事実誤認や勘違いがあるかもしれませんがご容赦ください。

※2/24追記 学芸員の方にコメントを頂きました。ありがとうございます。それをもとに若干記事の方にも追記いたしました。

 「描かれた「新選組」」展はいかなる企画展だったのか?

http://www1.hinocatv.ne.jp/shinsenr/tenji/chirashi_1m.JPG

 

 その「描かれた「新選組」」展はどんな企画展だったのか。僕が連想したのは司馬遼太郎の『燃えよ剣』や大河ドラマ新選組』だったのだが、公式HPに表示されているチラシ(上の画像)を見る限り、女性向けのサブカルチャーがメインで取りあげられてるっぽいな、という予感を感じた。

 実際その予感は的中して、司馬遼太郎の著作をひとつの転換点に位置づけながらも、展示の半分以上が現代のマンガや乙女ゲームなんかを取り扱って、社会学的なアプローチを行なって「新選組」の受容の様子と未だ愛されている理由を探る、という主旨の企画展だった。その問題意識を引用するとこんな感じ。

新選組が結成されて150年余り、新選組を主役とした初の本格的な長編小説が書かれてから80年余り、新選組は今でも多くのファンに愛され、新選組を題材とした創作物は毎年新たに作られ続けています。

そして、新選組結成150周年の年であった平成25年(2013年)は、実に10本を超える「新選組漫画」(長期連載、短期連載、書き下ろし単行本の合計。他媒体のコミカライズや同人誌等は除く)が掲載・出版されており、漫画界でも新選組ブームと言っていい状況でした。

歴史上果たした役割の大きさと比べると、新選組のファンの数は他の歴史上の人物や事象と比べて大変多いように思われますが、何故新選組はこれほどまでに人を惹きつけるのでしょうか。

当企画展では、当館で常時行っている、史実の「新選組」を明らかにするというスタンスではなく、漫画・アニメ等に描かれた新選組の「広く知られたイメージ」から、イメージの変遷や新選組ファンの動向、新選組が人を惹きつけるようになった理由などを、新選組を題材とした漫画やアニメを中心とする創作物と、そのファンの「文化史」について探ってみたものです。

 企画展のご案内(日野市立新選組のふるさと歴史館HP)より転載

 なるほど、常設展では史実に基づいた展示をやっているけど、ある種の変わり種としてこの企画展が開催されている、ということか。

 ただ、正直な感想を言わせてもらえば、展示内容はあくまで「好きなもの分析」の域を出ないものだったんじゃないかなとも思う。「新選組」がいかに我々に定着していったか、という司馬を転機として大河『新選組!』に至るまでの流れはすっと頭に入ってきた一方で、現代のサブカルチャーを題材にしたブースの主張は、特にデータなんかも裏付けもなかったような気がするし*1、説得的な論証がなされているとは言い難く、博物館・歴史館の展示としての満足度に欠けるように思えた。

 しかし、史実と創作の関係を意識化しようとする学芸員の方の強い意志みたいなのも垣間見れて、それは大変共感するところがあった。この企画の内容でも、創作物を対象としているとはいえ、「まるで」史実であるかの「ように」歴史を提示してきた司馬遼太郎*2に対する辛辣な指摘なんかもあったりして、そこに企画した学芸員の方の真摯な姿勢が伝わってきた。創作物を楽しむことと史実をしっかりと把握しようとすることは、両立が可能なんだという熱い思いは、確かに伝わった。

博物館・歴史館の在り方に対する疑問

 しかし常設されている展示のところで、いくつか疑問に思うところもあった。常設展示自体は限られた史料をもとによくここまでの展示をやっているな、と感じるものがあったが、上映されているVTR*3からこんな言葉が聞こえてきた。

 「冷徹な鬼の副長、と呼ばれた土方も、戊辰戦争、函館では、やさしい多摩の青年の気持ちをとりもどしていたんですね。」*4

  僕は耳を疑った。歴史館に携わっているかたの談話のようだったが、これこそまさに司馬の提示した新選組像を「まるで」史実であるかの「ように」語っているではないか!限られた史料から土方歳三という人間のパーソナリティがどこまでわかるのか。確かに、組内の苛烈な粛清であるとかから、それを類推することはできなくもないかもしれないが、そうしたことから単純に歴史上の人物の性格について語ることを禁欲してこその歴史学徒ではないのか。

地域振興と学問のあいだ

 こんな落差が生じているのは、新選組のふるさと歴史館が、避けようもなく地域振興を目的とした施設であることに起因していんじゃなかろうか。日野近隣にいたころの土方なんかはただの無名の人間にすぎない。一次史料なんかも必然的に限られてくるだろう。そんななかで一種の町おこしをせねばならない新選組のふるさと歴史館の苦労は察するにあまりあるものだとも思う。

 しかし、企画展のような、司馬史観を徹底的に意識化するような意思は、博物館にかかわる人間が全て持つべきものである、と思う。史実と向き合いつつも創作を受け入れる広い度量が大事なのはもちろんだが、史実と創作を注意深く弁別する姿勢もまた必要だろう。新選組という、史実と創作がないまぜになりがちな対象であるならなおさら。

※2/24追記

  学芸員の方からのコメントを拝見して、いかに自分が外部から現実を見ずにものを言っていたのかを痛感しました。郷土史家の方との関係、限られた予算、そのような現実と相対しながらも真剣に歴史と向き合おうとなさっている日野市立新選組のふるさと歴史館の皆様の姿勢には、同じく歴史を学ぶものとして尊敬を禁じ得ません。コメントを頂き本当にありがとうございました。

 

燃えよ剣〈上〉 (新潮文庫)

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新選組血風録 (角川文庫)

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*1:見落としているだけかもしれないが。しかしデータがあったところで、サブカルチャーのヒットの要因や受容態度の変容の原因を探ること自体、かなり困難なことではあるとは思う。2/24追記、どのような根拠を元に論を展開しているのか、学芸員の方がコメントで教えて下さいました。ありがとうございます。

*2:というふうなキャプションがあった。

*3:2/24追記、このVTRの性質について学芸員の方からコメントを頂きましたのでそちらの方をご覧ください。

*4:正直一度しか聞いていないのでうろ覚えなのだが、このようなニュアンスであったように記憶している