宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

村上龍への愛をこめて―『69 sixty nine』と『五分後の世界』

 

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

愛と幻想のファシズム(上) (講談社文庫)

 

 『残響のテロル』1話感想 今、太陽を盗めるのか? - 宇宙、日本、練馬

 先日から『残響のテロル』のことがなんとなく頭から離れずにいるんですが、ぐぐったりしてみたらなんと、主人公の一人の名前が村上龍『愛と幻想のファシズム』から取られていたんですね。高校の時分に村上龍にどはまりした人間として、自分で気付けなかったのは不覚としか言いようがない。それでなんとなく、村上龍への熱いパトスがふつふつ湧きあがってきたので、せっかくなので書いとこうと思います。

 意外と作品を読んでいなかった

 村上龍への熱いパトスは湧きあがってきたけれども、思い返してみればその作品をそれほど読んでいないような気もする。デビュー作『限りなく透明に近いブルー』は読んでないし、それに続く『海の向こうで戦争が始まる』もそう。『昭和歌謡大全集』と『イン ザ・ミソスープ』は積読本の海に溺れて久しい。大学に入ってからはまったく新作を読んでいないので、僕のなかでの最新作は未だに『半島を出よ』で、それ以降の作品は全然知らない。

 多分読了した作品の数なら司馬遼太郎とかの方が多いし、キャリアすべてを追うような読み方をしていたわけじゃない。よく考えてみたら、高校のとき何読んでたんだっけ、と自分でもわからなくなる。実家の本棚をみれば思い出すんだろうけど、今強烈に思い出せないってことは、結局それほど身になってない読書をしてたんだなーという。

 そんなあれな感じの読書経験のなかでも、村上龍は燦然と輝いているわけなんですよ!それは、『69 sixty nine』と『五分後の世界』のせい。『半島を出よ』とか『希望の国エクソダス』、『愛と幻想のファシズム』みたいな超熱心な取材の果てに書かれた作品ももちろん好きで、それが村上龍の魅力だとも思うんだけども、好きなのはこの2冊。

 この2冊で僕の人生は変わった。といったら言い過ぎかもしれないけど、この『69 sixty nine』のせいで人生のある瞬間の選択は左右されたし、『五分後の世界』は未だに僕の創作物の好みを強く規定してる気がする。というわけなんで、この2冊を通して自分語りをします!(宣言)

 

かっこつけ方はすべて『69 sixty nine』に教わった

69 sixty nine (文春文庫)

69 sixty nine (文春文庫)

 

  僕が村上龍の小説を読み始めたのは、この『69 sixty nine』からだと思う。それ以前にも、小説以外のもので村上龍の文章に接する機会はあった。それは、両親に『13歳のハローワーク』買い与えられたから。当時小学6年だったかと思うが、こんなに仕事について教えてくれる大人は当然いなかったし、「自分の知らない世界」を開いてくれる気がして、熱心に読み漁った記憶がある。

 その1年後ぐらいだろうか、多分中学に入ってからだと思うが、『13歳のハローワーク』の人の小説が映画化される、というのをテレビかなんかで知った。その映画化された作品というのが、『69 sixty nine』だったというわけだ。その映画化に際して新しく出版されたと思われるのが、下のこれ。

69(シクスティナイン) (集英社文庫)

69(シクスティナイン) (集英社文庫)

 

  この表紙をみて「なんかダサえ...」と思いながらも、複雑な気分で買ったような気がする。上の黒地に白抜きのスタイリッシュな表紙のやつは、2007年に再刊された時のもの。出てすぐにそれを書店で買った僕は、しぶしぶ買った妻夫木くんがだらしない笑顔をみせる表紙の本を奥にしまった。

 閑話休題。この『69 sixty nine』、中学生にとってはまさしく猛毒みたいな本だと思うんですよね。高校を舞台に、バリケード封鎖するやらフェスティバルを開催するやら、ひたすら「かっこよく」高校生活を謳歌するやつらがいた。こういう高校生へのあこがれがつのった。とはいえ、僕はもちろん高校をバリケード封鎖なんてしなかったし、祭りもぶちあげなかった。高校生になって、「こんな高校生活」はありえないし、それを今真似するのはまったくもって現実的じゃないんだと、流石に気付いたから。直接倣ったことといえば、「進学校で生徒会なんかはいるやつはダサい」という言葉*1に素直に従って、生徒会に入らなかったことぐらいですね。今では入ったら入ったで楽しかったんだろうなーとは思いもするけど、当時はマジでそう思っている部分がちょっとはあった。そんなネガティブなところしか、彼らの真似はできなかった。

 とはいっても、『69 sixty nine』の示した「かっこよさ」へのあこがれは未だにある気がして。若さにまかせてひたすら楽しむこと、楽しむことそれ自体を肯定しているようなその筆致に後押しされて、3年間を楽しめた。ということにしておく。楽しんでるやつがかっこよくて、楽しめてないやつはダサい、みたいな考えって結構問題だと今では思うんですけど、でもやっぱり楽しむことはかっこいいことだと思います、はい。

 

『五分後の世界』にぶん殴られる

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

五分後の世界 (幻冬舎文庫)

 

  別段停学になったりすることもなかった平穏な高校生活の中で出会ったのが、『五分後の世界』だった。

 この『五分後の世界』、宇野常寛は『ゼロ年代の想像力』のなかで、「幼稚」だとか評していて、確かにそれも一理あるとは思うんですよ。ガンダム的な偽の歴史と、その中で戦う異様に美化された日本人とか。それでもこの作品に引き付けられるのは、なによりもそのラストにある。ラスト以外はどうでもいいんですよ!緻密に描写される戦闘描写なんて類似品は掃いて捨てるほどある。そんなものを読みたかったら福井晴敏を読めばいいんですよ*2。とにかくラストがいい。中二マインドにぶっささる。このラストを読んだ瞬間の心の震えは一生忘れないと思う*3

 ラスト、絶体絶命の状況に立たされた主人公の決断。それを書いてこの小説は終わる。その決断の結果などどうだっていい。そこでその決断をしたという事実が、圧倒的な輝きを放っている。このラストがいい。よすぎる。

 このラストが好きすぎるので、すべての創作物はこういうラストがいいんじゃないかと思う瞬間もあるぐらいで。はい。

 

 というわけで村上龍への熱いパトスを適当に書き散らかしました。また気が向いたら書き散らかします。

 

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈上〉 (幻冬舎文庫)

 

 

 

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

半島を出よ〈下〉 (幻冬舎文庫)

 

 

 

*1:文庫本をぱらぱらめくってみたけど見つからず。でも確かにあったと思うんですよねー、その一文が。

*2:福井さんを貶めているわけではありません、念のため。福井のアニキも大好きです。

*3:こうしてブログにも書いてるのできっと忘れない