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映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

「犯罪者」だけが「凶悪」なのか?―『凶悪』感想

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 『凶悪』をみました。後輩からずっと「先輩が絶対好きな感じだと思うんで見てくださいよこと」的な感じでお勧めされていたので、見よう見ようと思い続けていたんですが、今更ようやくレンタルして。以下で適当に感想。

 「よし、ぶっこんじゃお!」

 死刑囚からの手紙をきっかけに、雑誌記者がまだ捕えられていないその犯罪の黒幕、「先生」を調査し、その凶悪極まる犯罪が明らかになる。山田孝之演じる記者が死刑囚須藤のことばを頼りに「先生」をめぐる犯罪を追う現在を軸に、それらの犯罪が「先生」と須藤によって演じられる様を描く過去の場面が挿入される。

 やっぱりこの映画でなにが印象に残っているかって、残虐シーンですよね。容赦も躊躇いもないバイオレンス。「ぶっこんじゃお!」の決め台詞から始まるとんでもない残酷な暴力と、それを楽しんでいるようにしか思えないリリー・フランキー=「先生」=木村孝雄とピエール瀧=須藤純次。

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 特に印象的というか肝が冷えたのは、保険金のかかった老人に強制的に飲酒させて殺害しようとする一連のシークエンス。須藤の舎弟である五十嵐は、若干のためらいというか、老人との些細な会話を通してもはや一人の人間としてその老人を認識してしまっているようなそぶりを見せるのに、木村と須藤はおそらく人間だと思ってない。いや、むしろ人間だということなんてわかりきった上で、「ぶっこんでいる」のかも知れませんが。このリリー・フランキーの表情ときたらもう本当に心底楽しんでいるんだなというのが伝わってくる。『凶悪』をみていなかったら、このシーンでまさに老人の殺害が行われているとわかるだろうか。

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 殺害を終えた後、死体を氷水につけた後、その横で須藤は平然とシャワーを浴びる。そのシーンに象徴されるように、彼らには殺人行為が日常化し、死体に特有な意味付けをすることはない。また焼却炉で死体を焼いている最中、死体の焼ける匂いに「肉が焼けるいい匂いがする」「食いたくなっちまうなあ」と感想を述べた後、悪趣味にもクリスマスにチキンを頬張る彼らに一気にカットが飛ぶ。とんでもない嫌悪感を催すこの編集こそが、彼らの異常性を際立たせ、そして異常性こそが、「凶悪」でない人物、そしてなにより見ている我々を撃つことになる。

 

「凶悪」への道は、日常に敷かれているかもしれない

 彼らの異常性は、いかなる仕方で「普通の人間」を撃つことになるのか。それは彼らの異常性が、容易に「普通の人々」にも発現しうることを示すことによって、である。雑誌記者藤井は、調査に没頭するあまり、老いて認知症となった母と、それを介護せざるを得ない妻の問題に対処できずにいる。いや、その問題を見ようとしないがために、彼は調査によりのめりこんでいるのかもしれない。

 しかし、そうした藤井の逃避も、妻が母に対して暴行を加えていること、それに罪悪感を感じなくなっているという告白を聞くに至り、ついに母を介護施設に入所させることを決意する。なぜ、母を施設に入れることを再三にわたって訴えた妻の頼みを、なぜその時になって聞き入れたか。それは、老人を想像を絶する仕方で痛めつけた木村らと、自分の妻とが、どうしようもなく重なって映ってしまったからではないか。とはいっても、同義的には両者は比較不可能な問題ではあると思うんですが。

 そもそも木村の保険金殺人は、厄介な老人を殺したい、という家族の酷薄な、しかし真に迫った欲望がなければ、動き出しえなかった。藤井が凶悪犯罪を追うことでみてしまった、知ってしまったのは、「異常な人間」の異常性ではなくて、「普通の人間」の切実な欲望が、むしろ凶悪な犯罪を招いているという一面がある、という事だったんじゃなかろうか。

 そしてラストでは、錦の御旗を掲げて凶悪殺人犯の調査をしている藤井も、ある一面では「人を殺したい」という欲望によって駆動しているのではないか、ということを木村によって暴かせる。このことによって、「義憤」の正当性は解体され、正義が宙吊りになったまま物語の幕は閉じる。この終幕の意味、なんとなく消化しきれてない感があるので、うーん、またなんか書くかも。書かないかも。

 

 

【作品情報】

‣2013年/日本

‣監督:白石和彌

‣脚本: 高橋泉、白石和彌

‣出演

 

凶悪 [Blu-ray]

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凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)

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