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「スキをあきらめない」ものたちの行きつく先は―『ユリ熊嵐』1話「私はスキをあきらめない」感想

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 『ユリ熊嵐』1話「私はスキをあきらめない」を視聴しました。ウテナを見終えてから...とか思っているうちに放送が開始されてしまったのであせりました。ウテナはあと5話を残すのみなんですが...。1話を見ただけではいろんなことがわからなすぎるので感想を書くのも躊躇われるんですが、せっかくなので書いとこうと思います。

 「断絶の壁」、「透明な嵐」、そしてそれでも「スキをあきらめない」...

 あるとき、宇宙のかなたで『小惑星クマリア』が爆発した。
 こなごなになったクマリアが流星群になって地球に降り注ぐと、何故か地球上の『クマ(熊)』が一斉に決起し、人類に襲いかかった!『ヒトVS クマ』クマはヒトを食べ、ヒトはクマを撃ち、果てのない戦いと憎しみの連鎖。やがて、ヒトとクマの間には巨大な『断絶の壁』が築かれ、互いに不可侵な状態となった…。

 一読して、お前は何を言ってるんだという感想しか出てこないこのあらすじが真剣に映像で語られ、摩訶不思議な世界観でなにかが始まるのだということぐらいしか、ぶっちゃけ僕にはわかりませんでした、1話。

 ユリとして表象される女性たち、そしてその女性=ユリを喰らうクマ。ユリとクマとが、今後どのように関わり合っていくのか。クマが人を「喰らう」とははたしてどのような水準においてであるのか。意味ありげなユリ裁判、そこで承認されることの意味はなんなのか。愛する人を奪われた椿輝紅羽は、クマとどう対峙するのか。

 クマがヒトにほぼ完璧に擬態できている(ようにしか思われない)以上、単純にヒトとクマとは真っ向から対立するような展開にはならないんじゃないか、なんて思ったり。とはいっても、ヒトとクマを隔てる「断絶の壁」を乗り越えるとか、そんな陳腐というか安易な落とし所も、幾原監督ともあろうものが選びはしないんじゃないか。それでは今後、両者の関係はどう展開されるのか。その手がかりとして、1話のタイトルにも引用され、しかもヒトとクマとの両者に関わる、「スキをあきらめない」という言葉が重要なんじゃないかと思ったわけです。

 1話で示されたヒト=ユリにとっての「スキをあきらめない」とは、文脈的には、異性愛的な価値観が圧倒的に支配するこの社会の中で、それでも同性愛的な価値観を貫こうとする決意表明だった。性的なニュアンスを強く感じる。

 一方、クマにとっては「スキ」の対象はユリと同じくヒト=ユリであっても、それは自身の食欲を満たすものでしかない。しかしその捕食(と思われる)シーンがこれまたセクシャルな雰囲気だったことは結構意味深な感じがするというか。全く違う目的でありながら、それはユリの「スキ」と似たような雰囲気を纏っている。加えて、両方とも多くのヒトに承認を得られないであろう欲求であるという点も共通している。そうした欲望の成就を阻む社会的な圧力こそが、「透明な嵐」なんじゃなかろうか。

 そんなことから、今後の『ユリ熊嵐』は、「透明な嵐」に抗して、ヒトとクマとが「スキ」を貫き通せるのか、それが試される物語になるんじゃなかろうか。そんなことを思ったりしたのでした。

 

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ユリ熊嵐 (1) (バーズコミックス)

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