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壊れゆく世界とその遺産―『グランド・ブダペスト・ホテル』感想

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 『グランド・ブダペスト・ホテル』のBlu-rayを購入、視聴しました。なんとなく気になってはいたんですが、結局劇場には見に行けなくて。今になってようやく見れたという感じなんですが、いや、素晴らしかった。昨年見ていたら、年間ベストはこの映画を選んだと思う。そのくらいよかった。以下で簡単に感想を。

 壊れゆく、古き良き世界

 1960年代、かつては栄華を誇ったというホテルに宿泊した作家は、その老オーナーからある物語を聞く。東欧にあったという架空の国・ズブロフカ共和国。そこで名を馳せた高級ホテル、グランド・ブダペスト・ホテルの伝説のコンシェルジュ、ムッシュ・グスタフ。大富豪の老婦人の殺人事件の容疑者としての疑惑を懸けられた彼は、それを晴らすため、ヨーロッパを駆け巡る。

 軽快なテンポで進むロードムービー的なサスペンスの楽しさとか、人工的な匂いを隠そうともしない緻密に設計された画面であるとか、魅力を数え上げたらきりがない。それこそが『グランド・ブダペスト・ホテル』の魅力の真髄であるかもしれないが、しかし悲しいかな、僕には映像的な魅力を言葉にする語彙も能力もないので、それについては多くを語れない。しかしそれでも語りたいと思わされたのは、結末で明白となる、この映画全体の主題にひどく心を動かされたから。

 ムッシュ・グスタフが活躍するのは、1930年代という不安の時代。今日から見れば第一次世界大戦第二次世界大戦のはざまにある戦間期は、ヨーロッパ的な価値観の根底がゆらぎ、危機的な状況を迎えた時期でもあった。第一次世界大戦直後の1918年に出版されたオスヴァルト・シュペングラーの『西洋の没落』は大きな波紋を呼び、1936年のエトムント・フッサール『ヨーロッパ諸学の危機と超越論的現象学』など、そうした感覚は大きく共有されていたんじゃなかろうか。

 その不安定な時代にあって、壊れゆく「古き良きもの」、「古き良き世界」を愛した男の物語である。

 ムッシュ・グスタフは、超有能なコンシェルジュであるばかりでなく、ホテルをたずれる多くの老婦人と性的な関係をもつ。それは殺人事件の被害者になった、84歳のマダム・Dも例外ではない。それを聞いて驚くボーイのゼロにこう語る。

ベッドの彼女は素晴らしかった。若いころはフィレステーキ、歳をとったら安い肉で我慢しないとな。そういう肉もまた乙なもんだ。いわく、言い難い味わいがある。

 後に敵対者からジゴロと詰られもする、この常軌を逸している(としか僕には思えない)、老い衰えたものすら愛するという性的嗜好。序盤で語れらるこの奇妙な嗜好すらも、結末において彼の人生の在り方を端的に象徴するものとして再発見されうる。

 彼と対置されるのは、軍隊に象徴されるファシズムであり、老婦人の息子に象徴される拝金主義であったりするが、それらは彼に雇われた殺し屋に象徴される暴力に収斂される。この暴力は散発的にさも当たり前のように発露し、いともたやすく人を殺す。それは1930年代という時代の危うさの暗喩でもあるのかもしれない。

 それらに対して、ムッシュ・グスタフは古き良き世界の価値を貫いて闘うことになる。高級ホテルのコンシェルジュたちの「鍵の秘密結社」は古き良きものを体現する存在といっても過言ではないだろう。古き良きものは、つかの間の勝利を得る。

 

 とはいえ、彼が収めた勝利が儚いものに過ぎなかったことは、彼の人生の結末に現れてもいる。じわじわとヨーロッパを蝕むファシズム、その暴力によってムッシュ・グスタフがは命を落とす。古き良きものは敗れ去り、その世界は壊れゆく。大きな歴史の流れの前では、一人の人間の命はあまりにもあっけなく消え去る。

人類という野蛮な生き物の中にも、まだ文明という言葉の意味を知るものが生き残っていた。彼もその一人だった。

 その生きざまをこう評するゼロ・ムスタファ。彼はまた、こうも言う。

彼の世界は、彼が現れる遥か前に消えてなくなっていたんだよ。だが、グスタフさんはもう存在しない世界の幻を見事に演じた。

 「幻の世界を演じる」というのは、この映画の雰囲気そのものによって暗示されてもいるような気がする。美しいシンメトリーにあふれ、不自然なほど調和を保っている世界。それはまさしくムッシュ・グスタフの演じた幻そのものではないか。歴史の後知恵の類かもしれないが、ムッシュ・グスタフの敗北はもはや運命づけられたものであったとさえいえる。彼は単に人々に幻をみせただけなのかもしれないし、そうである以上彼の勝利も幻なのかもしれない。

 

ムッシュ・グスタフの大いなる遺産

 しかし、この映画の構造は、ムッシュ・グスタフの幻に違った意味を付与する。ムッシュ・グスタフの物語をセロ・ムスタファから伝え聞いた作家が、それを著作として世に広め、それを現代で女性が紐解く。それにさらに観客である私たちはそれを見る。三重四重の入れ子構造の中にあるこの物語は、その構造によって様々な意味を付与されている。ムッシュ・グスタフなる人物は、ゼロ・ムスタファが戯れに創りだした架空の人物であるかもしれないし、作家が寂れてしまったグランド・ブダペスト・ホテルでオーナーであるゼロ・ムスタファに話を聞いたのかどうかも、現代で彼によって書かれた書物を読む「わたしたち」には判断のしようがない。映画というメディアによってフィクションとして語られているわけだから、そもそもムッシュ・グスタフの物語は虚構であるわけだが、その物語のなかにおいてさえ、ムッシュ・グスタフの物語は虚構であるかもしれないという幾重もの虚構。

 しかしその嘘かまことか判別不能の幻にこそ、現代の墓地で書物を読む女性が心を動かされた(であろう)という意味では、ムッシュ・グスタフの物語は彼女にとって真実でありうるし、それと同様の水準でわたしたちにとって真実でありうる。そのことは、少なくとも作家が、もしかしたらゼロ・ムスタファが、そしてなによりムッシュ・グスタフの信じた幻が、戦争、コミュニズム、消費社会etc、そんな途方もない変化を経てなお、現代でも生きていることを雄弁に語ってみせる。

  ムッシュ・グスタフの見せた、古き良き世界の幻は、確かに今も生きている。その大いなる遺産は、幻であるがゆえに、現実を離れて命脈を保ち続けている。いや、その幻がいまだに現前しているという事実は、現実でもまだその古き良き世界は滅びさってはいない、とさえいえるかもしれない。

 現代においてそんな感傷は単なる懐古趣味の域をでないのかもしれないが、それでも、壊れゆく世界の幻を演じきってみせたムッシュ・グスタフの生きざまに胸を撃たれました。そんな感じでヨーロッパ的なるものを信じていたという点で、かれはさながらシュテファン・ツヴァイクの生を映しているのかもしれないな、なんて思ったり。あんま詳しくないのであれですが。

 そんな感じで、僕は『グランド・ブダペスト・ホテル』がとても好きです。

 

【作品情報】

‣2014年/ドイツ、イギリス

‣監督: ウェス・アンダーソン

‣脚本: ウェス・アンダーソン

‣出演(日本語吹替)

 

 

 

 

昨日の世界〈1〉 (みすずライブラリー)

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