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たとえ届かなくても、それでも「優しさの理由」が知りたい――アニメ『氷菓』における「謎」の位相

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 昨日、といか今日の未明、Twitter上で小鳥遊@g_fukurowlさんと『氷菓』についてひと盛り上がりしまして。それでちょっと思うところがあり、アニメ『氷菓』について思うところを書き留めておきたいと思います。chouchoの歌う第一期のオープニング曲から借りた「優しさの理由」をひとつのとっかかりとして。

折木と「優しさの理由」―「成長」のひとつの座標として

 「優しさの理由」をキーワードとして、アニメ『氷菓』を要約するならば、折木奉太郎が、「優しさの理由が知りたい」、そう思えるようになるまでの物語である、と言ってもいいと僕は思っています。

 下の記事では、そのことを「「他者」たちの方へ足を踏み出した」と表現したんですが、それよりは、「優しさの理由が知りたい」、そう思うようになった、と表現するほうがよりクリアで適切なんじゃなかろうかと思うわけです。

  奉太郎が変わっていく、言い換えればある意味では「成長」する物語として『氷菓』をみるならば、それを言い表すのには、「「他者」たちの方へ足を踏み出した」ではちょっと漠然としすぎる。日常の「謎」=それを構成する人々の行為の理由が物語において重要な役割を果たすことを鑑みれば、「優しさの理由」は結構的を射ているんじゃなかろうか、と今は思っています。

 じゃあ「優しさの理由」ってなんだよ、というお話になると思うんですが、人がなにがしかの善意で行動する際の行動原理的なもの、ぐらいのぼんやりとした印象で僕はこれから語ろうと思います。

 「氷菓」編で千反田の「謎」に触れ、「愚者のエンドロール」編では「謎」を汲み取りきれず失敗し、そしてそのリベンジを「クドリャフカの順番」編ではしっかり果たす。雑にすぎる要約ですが、その過程で折木はだんだんと変化する。決定的なターニングポイントはどこかとか、誰が主要なアクターだったとかそんな話はとりあえず措いて、だんだんと、ゆっくりと、一年という時間をかけて折木は変わっていった。

 敢えて対照的な回を取り出すならば、「第1話 伝統ある古典部の再生」のBパートと、「第18話 連峰は晴れているか」だろうか。「謎」との接触を経ての折木の変化が結構浮き彫りになると思うんですよ。

 

 第1話で、謎を捏造する形で千反田さんに対応することに成功した奉太郎と、里志とのやりとり。

里志「不思議を不思議で迎え撃つ。うん、僕好みだ。いい変化球だよ。だけどね奉太郎それは奉太郎好みじゃないよ。千反田さんが来たときどうして単に知らんといわなかったんだい?そこが今日の奉太郎の根本的な間違いだよ。実際奉太郎はずっとそうしてきたじゃないか」

奉太郎「そうかもな」

里志「「不慣れな奴ほど奇をてらう」、今日の奉太郎がまさしくそれだよ。千反田さんがいるっていう状況にまだ全然なれてない。だからあんな回りくどいことをするのさ。奉太郎は今日、千反田さんを拒絶したつもりかもしれない。でもね」

奉太郎「拒絶したかった訳じゃない」

里志「もちろんそうさ。あれは現状に対するただの保留だね」

奉太郎「保留?そうか、保留か」

  「現状に対するただの保留」。里志の指摘を、奉太郎は受け入れているように思える。千反田えるという「謎」を前にして、未だ足を踏み出せず、保留を決め込んでいる。この里志とのやりとりの後、奉太郎はひとり「灰色」の背景のなかへと歩を進めてゆき、第1話は締めくくられる。

 

 一方、「第18話 連峰は晴れているか」では折木は周囲が驚くほどの積極性を発揮する。「謎」がひとまず解決を見て、奇妙ともいえるほどの熱心さをみせた奉太郎に千反田は問う。

える「どうして、気になったんですか?」

奉太郎「俺が自発的に調べるのは、そんなに奇妙か」

える「ええ、そうですね。折木さんらしくないような気がしました」

奉太郎「まあ確かに、いつもは『やらなくていいことなら、やらない』からな」

える「いえ、そういうことではなくってですね。折木さんは、他の人のためにはいろいろと力を尽くします。わたしも、何度も助けてもらいました。でも折木さんって、自分のことには無頓着ですよね。それなのに、どうして今日だけは自分のことを調べたのか。・・・・・・すみません、わたし、どうしても気になるんです」

 このえるの事実認識には多分2点誤りがあって、「他の人のためにはいろいろ力を尽くす」というよりは「千反田さんのためだったら 力を尽くす」というのが少なくともアニメ版ではより正確なのでは、ということと、小木という他者に関わることなので、かならずしも「自分のことを調べた」というのは正確ではないような気がする、と僕は思うんですがそんなことはどうでもよくて。

 これに対して折木の回答は、見掛け上まがりくねってはいるが至ってストレート。

奉太郎「実際はああいうことがあったのに、『小木はヘリが好きだったなあ』なんて、気楽には言えない。それは無神経ってことだ。そりゃさすがに、気をつけるさ。無神経というか、『人の気も知らないで』って感じか。多分二度と小木には会わないから、人の気も何もないんだが

 この折木の心情には、多分、「クドリャフカの順番」事件が大きく影を落としているんじゃなかろうか。

 学園祭の事件の「謎」を探ることで明らかになったのは、田名辺治朗の「期待」をめぐるひとつのドラマ。彼が陸山宗芳にかけた「期待」は、自身の無力さから出た悲痛な叫びは、しかし陸山には届かなかった。「人の気も知らない」人間にはなりたくないという折木の素朴な実感は、多分そこから出てきているんじゃなかろうか。そして「第21話 手作りチョコレート事件」でみせた意外なほどの熱い感情の源泉もまた、これに連なるものだろう。

 このように、奉太郎のスタンスは間違いなく変化した。

 

「優しさの理由」は、「謎」にとどまり続ける

 しかし、「優しさの理由」は結局「謎」のままにとどまり続けるものでもある。それは、そして各編がひと段落ついても「謎」が残り続けるということ、そして何よりアニメ『氷菓』全体が持つオープンエンドの、未決の構造によって示唆されているんじゃないかと思う*1

 「氷菓」編で、古典部がかつて経験した事件のこと、カンヤ祭を名付けをめぐる謎は一応の解決はみたものの、千反田の伯父・関谷純の行方は、結局のところ宙に浮いたままわからない。それを探ることは目的ではないわけだが、ある意味窮極の証人であり、被害者は不在のまま、事件の幕はとじられる。「愚者のエンドロール」編でも脚本を務めすべての真相を理解している本郷真由は不在のままだ。「クドリャフカの順番」編でも、陸山の心理は知りようもなく、ただ彼に期待をかけた田名部という人間の虚脱だけがある。たとえ知りたくても知りようもないことが、物語の中にちりばめられている。千反田えるという人物のことも、窮極的にはそうなんじゃなかろうか。

 ゆえに、折木と千反田の関係も、はっきりとは明示されず宙吊りにされたまま結末を迎える。しかしそれはネガティブなことでもなんでもない。それは折木奉太郎は、もう「優しさの理由」を知りたいと前に踏み出したからだ。わからないことがあろうが知りえないことがあろうが、その意思の前には多分関係がない。「本質」なんて言葉は使いたくないが、それでも「優しさの理由」を知りたいと思うことこそ「本質」で、大切なことなんだと今は思う。「それでも僕らは、優しさの理由が知りたい」、その思いこそが意味があり、それ以外には重要なことなんてないのだと思う。

 それでも彼らが「優しさの理由を知りたい」と思う限り、その意思がある限り、彼らの行く末はもう決まっているようなものだ。口に出して説明するなんて野暮ったいことは必要ないのだ。1話の「灰色」のラストショットと対照をなす、このラストカットがすべてを語っている。

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 というわけで思うさま書き散らかしましたが、僕はやはりアニメ『氷菓』が好きです。そこには青春の輝きがある気がするから、なんて言うと一気に安っぽくなりますが、多分そういうことなんだろうと思います。

 

関連

「優しさの理由」と同じように作品全体を貫くのは、「特別」さを巡る問題だと僕は思うのです。

 

いままで書いた『氷菓』関連記事のまとめ。

 

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優しさの理由

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*1:ここらへんの発想は完全に小鳥遊@g_fukurowlさんの呟きに依っています。