先日テレビ版をみた勢いのままに、ウテナ劇場版、『少女革命ウテナ アドゥレセンス黙示録』をみました。いや、これ、こんなのアリかよ、と。この展開が許されるとか許されないとかそんな次元はとっくに通り越して、むしろすごくいい、と思えるような作品世界を構築した時点で、勝負はついていたのかもしれないなと思います。何の勝負だ。以下で感想を。
「行こう、外の世界へ」
ウテナ劇場版を最も端的に表現している台詞を選ぶとしたら、間違いなくこれだろう。「行こう、外の世界へ」。テレビ版は、「最初の一歩」を踏み出す物語だと、以前書いた。
テレビ版が「最初の一歩」を踏み出す物語だとしたら、劇場版はさらにそれを突き抜けて、徹底的に走り抜ける物語だと思う。だからテレビ版とはパラレルな世界観でありながら、しかしその続きを描く物語でもあるという二重の属性がある。
「王子様」不在の黙示録
パラレルな世界で、しかしその後でもあるというのが強調されるのは、テレビ版で永遠の象徴として描かれた「王子様」の不在だろう。あの結末の後で、もはや「王子様」は永遠に輝くものでありえようはずはない。すべてを思うがままにできるほどの力をもつかにみえた「王子様」なんて、所詮自分のセカイのなかに閉じこもって「王子様ごっこ」に浸っているにすぎない。自身がごっこ遊びに耽溺していることすら気付かないから、「世界を革命」なんてできるはずもなく、魔女の永遠の苦痛をただ眺めることしかできない。だから、劇場版に「王子様」はいない。「外の世界」に出るための車のカギをなくした哀れな「蝿の王」=鳳暁生がいるだけだ。
いや、かつては「王子様」はいたのかもしれない。しかし、その気高さゆえに彼、桐生冬芽は命を落とさざるをえなかった。ある意味で、命を落としたからからこそ彼は「王子様」たりえるのかもしれない。その意味でもやはり、「王子様」が生きて存在する余地は、黙示録の世界にはない。
その「王子様」の不在を受け入れた瞬間に、「外の世界」への可能性が開かれる。
タブラ・ラサをゆけ
「外の世界」への踏み出すために、天上ウテナは車に変身し、姫宮アンシーがそれに乗り込む。この荒唐無稽な展開は、多分、テレビ版の結末の再演ではなかろうか。テレビ版でアンシーに向けられた人々の憎悪を身代わりとして受けてみせたウテナ。彼女の生の価値は、それによって前に踏み出す意思を駆動させたアンシーが決める。
「外の世界」へのハイウェイを疾走するアンシーの姿はだから、テレビ版後の彼女の物語に他ならないだろう。もはやウテナが人ではなく意志=車となってしまったから、彼女は一人で走り抜けなければならない。永遠があるという城を突き抜け、「蝿の王」に引導を渡してみせた彼女、彼女たちが辿りついたのは、果てしなき荒野。
多分、鳳学園という「閉じた世界」にとどまっていた方が、彼女たちは安らっていられただろう。学園と「外の世界」の対比は、それを雄弁に物語る。「生きながら死んでいること」だとしても、それでも学園のなかなら「お姫様」でいられるのだから。
でも彼女たちは、もう「お姫様」でいること、「生きながら死んでいる」ことはやめる。「外の世界に道はないけど、新しい道を造ることは出来る」のだから。だから荒野のはてしなさは絶望的なことなんかじゃない。
「ボクらが進めば、それだけ世界は拡がる。きっと」
世界を拡げること、それが彼女たちにとっての「世界を革命する」ことなんだろう。彼女らにとっての荒野は、何も書きこまれていない白紙の場所、タブラ・ラサ。それはきっと、希望の徴なのだ。
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