『SHIROBAKO』、見終わりました。よかったです。よかった。以下で感想を。
宮森あおいの進む道
『SHIROBAKO』は、アニメ制作の過程で生じる様々な出来事を、同時並行的に描いていく。それは制作進行がトラブルをうまく収めることだったり、アニメーターが自分の画について悩んだり、監督が絵コンテをあげられなかったり、などなど、それこそ無数のドラマがそこには含まれている。
その中で一つ大きな軸となって物語全体をけん引しているのは、武蔵野アニメーションの制作進行、宮森あおいがその進む道をとりあえず定める、という成長物語である*1。
第一話「明日に向かって、えくそだすっ!」のアバンで描かれるのは、上山高校アニメーション同好会の青春の日々、そして「いつか、絶対、必ず、なんとしてでも、この5人で、アニメーション作品を創ります!」という誓い。そこからいきなり、アニメ業界に足を踏み入れ、疲れた顔でカーラジオを聞き流す宮森あおいへとジャンプカットする。
高校卒業後の彼女の辿った道はここでは語られず、いきなりアニメ制作という状況に投げ出される。このことは、未だ彼女がはっきりとは道を定められず、「なんとなく」、なしくずし的にアニメ業界にいることをしめしている。その宮森が、さしあたって進む道を自ら選び取ること、それが作品全体を通して描かれる。
その宮森の、ひいては旧上山高校アニメーション同好会の面々の進む道についてスポットが当たるのが、第9話「何を伝えたかったんだと思う?」・10話「あと一杯だけね」。この2話を通したエピソードでは、宮森の後輩、3DCGに携わる藤堂美沙の葛藤と決意が描かれるわけだが、それを通して旧上山高校アニメーション同好会の面々の、自身への未来の姿勢が逆照射される。
仕事の単調さ、やりたいこととの乖離に迷う藤堂は、自身の勤務するスーパーメディア・クリエイションズの社長、立石孝一に「具体的にやりたいことがあるの?」と問われる。
「高校の時、同好会で一緒だった皆でまたアニメを作りたいと思ってて」
「子どもも大人も楽しめるような、元気になれる作品を」
これを受けて立石は、
「目標があるなら、そのためにどうしたら良いか、一度考えてみたら?」
「なにをやるにしろ、この先の自分が具体的に思い描けないと、始まらないだろ?」
と返す。このやりとりを経て、藤堂は「やりたいこと」に近づくために、安定を捨ててスーパーメディア・クリエイションズを退社する道を選びとることになるわけだ。「やりたいこと」のために、目標を見据えて道を選ぶこと。とはいっても、その価値が作品内の価値体系の中で主流を占めるというわけでもない。一方で、また別の在り方も提示され、それが藤堂の選び取ったものとは別の道を示唆する。
10話で宮森は、偶然にも音響効果の河野幸泰と会話する機会を得る。そこで彼は、「若い人が入ってもすぐやめちゃう」音響の現場を冗談めかして嘆き、宮森に制作の0仕事を「頑張って続けて」欲しいと語る。
「続けないと、仕事って面白くならないからさ」
これは宮森が藤堂の進路に対してアドバイスする際の根拠ともなり、そして後には少なくない人間が、これに通底する姿勢をもっていることも明らかになる。
19話「釣れますか?」ではムサニの社長、丸川正人は自身の経験を振り返る形でこう語る。
「ただがむしゃらに、ひたすら前に進んでた。やりたいことをやり続けていた。そして、気がつくとこの齢になってた。それだけさ。」
丸川とかつて武蔵野動画で仕事を共にし、美術を依頼された大倉正弘も。
「元々、映画の看板描きたかったんだ。でも、なれなくて、なんだかんだでアニメに入った。そしたらアニメの背景が面白くなっちまって」
「俺さ、最初から自分の進む先が見えてたわけじゃないんだ。気が付くと、今ここにいる」
2クール目の後半、アニメ『第三飛行少女隊』の結末を試行錯誤する中で、その主人公ありあは「何故飛ぶのか?」という問いが前景化し、それと関連する形で、制作チームは「何故アニメを作るのか?」という問いが浮上し、21話では多くの登場人物がその問いに回答する。「自己表現」「俺が見たい物を作りたい」「好きなこと続けてるだけ」…。そこではもう、目標を明確に設定してそこを目指す、という価値観ははっきり相対化される。
そうした中で、宮森はさしあたって自分の進む道を見出す。それがはっきりわかるのは、かつて就職活動中、面接で大きく宮森の心を揺さぶったザ・ボーンの社長、伊波雅彦との会話である。伊波が初登場するのは11話の回想シーン、面接で「なんでもやります!」としか言えなかった宮森を、伊波は厳しく批判する。
「なんでもって言葉、俺嫌いなんだよね。それってやりたいことがないってことだよね」
そして未だ自分の「やりたいこと」を定められていない11話時点の宮森は、伊波との突然の邂逅にはっきり動揺する。
これは、単に伊波個人への苦手意識というよりは、未だ「やりたいこと」をはっきり見定められない自分自身への負い目がそうさせるのだろう。
これと対照的なのが、21話。伊波たちによって居酒屋「松亭」に呼び出された宮森に、もはやかつてのおどおどした態度はみられない。
「今は何ができんだよ?」と問われた宮森は、すこし恥じらいながらもはっきりと応える。
「今もこれができるっていうのは何もないんですけど」
「でも、皆に良いアニメを作って貰えるよう、頑張りたいです」
「制作らしい面構えになったな」と伊波に認められたことは、彼女がもはやかつての彼女ではないことを意味する。ただ、そこで好きなことに打ち込み続けること。具体的な目標を目指すのではなく、その場その場で小さなことからコツコツこなすことで、何かが見えてくるのだという確信。それこそが、宮森の辿りついた場所であり、「やりたいこと」に他ならない。
読み替えられる「あの日の誓い」
また『SHIROBAKO』は、宮森の選択の物語であると同時に、彼女を含む上山高校アニメーション同好会の夢が、新たな意味を賦与される物語でもある。彼女たちの誓いから始まった物語は、時を経て再びそれが確認されることで幕を閉じる。しかしその誓いは、「あの日」のものとは重みが違う。彼女たちは2クールという時間をかけた旅を通して、巨大なものを背負ってたつことになった。それはいうなれば、アニメの歩んだ「歴史」の重みである。
『SHIROBAKO』の大きな特徴として、実在の人物がモデルだとはっきりわかるキャラクターが登場することがあげられる。アニメをちょっとかじった人間なら、まあなんとなく類推できるくらいの塩梅で、オマージュが過剰にちりばめられている。
この演出は、最終話の宮森の言葉によって、単にオマージュ以上の、作品にとって必然ともいえるものへと昇華した。アニメには多くの人が関わる。脚本、画、演技、音楽…。多くの人が関わらないとアニメは完成しない。そしてそれは、直接作品に携わった人を超えて、無限ともいえる関係の中へと開かれる。
「その直接的なつながりだけじゃなくて、間接的なこと、過去からとか、別の作品や会社から受け継がれてきたこともあるわけで、何十万人という人、何年、何十年という時間がつぎ込まれて、見てくれる人の感想や思いも全部合わさってアニメは出来上がってるんだなあと、なんかそれって、細い、ろうそくの灯みたいなものかもしれないけど、その小さな灯が次々に受け継がれて、永遠に消えることのない炎となって、世界を照らすものじゃないかって。だから、これからもずっと、人の心を、明るく照らしていきたいと思います!」
無数のオマージュは、彼女の自覚した「何十万人、何年、何十年」という巨大な思いの集積に説得力をもたせるためのは必然的なことだった。架空ではあっても、確かに実在を感じさせるものが無数に積み重ねられたことによって、宮森たちの背負う歴史ははっきり本物になった。
19話で、往時の武蔵野動画の熱気が描かれたのが、直接的かつミクロな次元だとすれば、オマージュの集積はマクロなレベルで、歴史の構築に一役買った。
こうして宮森たちは、高校の同好会をはるかに超える、無限ともいえる人々の思いの中に、つまりはアニメの歴史の中へとその位置を移す。それこそが、『SHIROBAKO』という作品の到達点だったのではなかろうか。だから、作品が終わっても、彼女たちの物語は終わらない。アニメが作られ続ける限り、彼女たちのドラマもまた続く。それはアニメを視聴するという行為の意味すら変容させるほどのパワーがあるんじゃないかと、馬鹿みたいだし恥ずかしいけど、割と本気でそう思います。
というわけで、『SHIROBAKO』、大変面白かったです。Blu-rayがのどから手が出るほど欲しいです。
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*1:僕は「成長」やら「進歩」という言葉が嫌いだが、「成長」と呼ぶしかないものが『SHIROBAKO』では描かれていると思うので、この記事ではとりあえず「成長」という言葉を使います。