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恢復させる聲――『映画 聲の形』感想

【チラシ付き、映画パンフレット】 映画 聲の形 KOE NO KATACHI 監督 山田尚子

  『映画 聲の形』をみました。原作は未読です。なんというかうまくまとまらなそうなんですが、以下感想。ネタバレが含まれます。

  孤独。後悔。決して取り返せない過去に締め付けられた高校生の少年は、いくばくかの罪滅ぼしを遂げて死を選ぼうとする。そのとき彼は思い出さずにはいられない。彼が孤独に落ち込むことになった、そして彼にとって消えることのない罪悪感を植え付けることにもなった、何も知らないガキだったあの頃を。その時傷つけてしまった少女のことを。

 『聲の形』の物語は、聴覚障害をもつ少女との出会いと、彼女が教室という閉鎖空間のなかで次第にひとりぼっちになっていく過去から語り始められる。小学生は無邪気でかわいいイノセントな存在などではなくて、まだ多くのことを知らないがゆえに私たちの想像をはるかに飛び越えて残酷さを発揮しうる存在なのだという認識に貫かれたこの物語の世界では、聴覚障害という「みんな」とは明らかに違った特質をもつ少女がそこから孤立するのは必然。子供はイノセントだ、というとき、それはたぶん、罪がない故にイノセントなのではなく、罪を知らないがゆえにイノセントなのだ。罪を知らない彼らの振る舞いには罪悪感など生じようもなく、だから私たちが「いじめ」と見立てるような振る舞いには一種の「楽しさ」の色が伴う。軽快な演出と透明感ある劇伴に彩られた一連のシークエンスの不快感は、画面のなかの彼らが僕たちとはどうやら異なる原理原則のなかで生きているらしいことを雄弁に伝える。

 多分学校空間のなかで規律訓練がなされるなかで、子供は近代的な主体として成形され、そして社会のなかでなにが罪とされるのかを理解してゆく。しかし、その途上にあり、おそらくはやってはいけないことを理解し始めている人間とそうでない人間とがまだらに混在しているだろう小学6年生という時期だからこそ、多分、こういうことが起こりうる。罪を知らない子供の残酷さは、教室空間という密室で生きざるを得ないという彼ら・彼女らの宿命ゆえに、その内部で鋭く研ぎ澄まされ、ある一線を、大人の世界では決して許されない一線を偶然にも超えてしまうことがありうる。その時子供の世界に大人の世界が否応なく介入し、そしてその一線を越えた人間は、たぶんそこで決定的に知る。己自身の罪を。

 そしてもはやイノセントではありえなくなった少年は、自身の振る舞い・行動を罪責に塗れたものとしてしか感受しえなくなり、イノセントな少年時代の記憶自体が読み替えを迫られる。それは、彼の歩んできた人生すべてが罪によって規定されるを意味する。その罪の意識が主人公の高校生、石田将也を苛み続け、そして大人から罪人の烙印をおされたこともまた、彼を孤独へと導く。彼の世界は決定的に様相を変えていき、かつて幸福にあふれていた世界は消え失せていく。

 『聲の形』は、そのようにして世界が壊れてしまった少年が、かつて傷つけた少女との再会をきっかけに、もうすこしましな世界を恢復してゆこうとする物語なのだと思う。もうすこしましな世界は、たぶんきっと、些細とも思われるような出来事の無数の集積によってしか作り上げることはできなくて、だからこの映画は、人間関係に大きな影響を及ぼすであろう出来事を提示すると同時に、なんてことない身の回りの出来事が放つ確かな輝きを画面に執拗に焼きつけ続ける。

 もちろん、日常のなかで生じる決定的な出来事、別れの儀式や花火大会を描く場面の美しさは非常に幻想的で、そうした非日常的なものごとをまさしくそれが非日常的な出来事なのだと語ってみせる演出の手腕は見事なのだ。でも、この映画の魅力はその非日常的な出来事にともなって描かれる幻想的な風景だけではないのだ。堀を泳ぐ鯉にむかってただぼんやりとパンくずを与える時間とか、なんてことないことを互いに伝え合う時間であるとか、そういう些細な出来事の積み重ねこそが、なんというかこの映画の魅力であるのだと思う。執拗に挿入される、将也が田園のなかを自転車でゆったりと走っていくシーンは、そうした彼が生きねばならない日常世界の象徴なのだと思う。『けいおん!』、『たまこまーけっと』という自身のフィルモグラフィのなかで、なんてことない日常世界を輝かせてみせた山田尚子監督の手腕がここで大いに発揮されたのではないか、と推察する。

 それを形作るのは無数の「聲」である。それは単に口から音声として発せられる声だけでなく、身振り手振り、表情、仕草、そうしたものによって相手になにがしかを伝えようとするあらゆるものがこの作品における「聲」だと思うのだけれど、そうした「聲」の無数の応酬が集積されて形作られるのが私たちの生きる世界なのだ、ということを、『聲の形』は丹念に描写する。手話をはじめとする声ならざる「聲」の豊かさに画面は満ち満ちていて、それを描くアニメーターの力と声優の声が相乗効果を喚起して画面のなかのキャラクターたちに意志とか魂とか、そういうものが宿っていたと思う。

 「聲」は使い方によっては他人を鋭く傷つける、そういう形を取ることもあるのだ、ということはフィルムのなかに残酷に刻印されているけれど、それ以上に、私たちがもうちょっとましな世界を築く足掛かりにもなるのだということ、そういう祈りと希望が賭けれらたこの作品は強く僕の心に残りました。

 

 原作も読みたいですね。

 

 

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【作品情報】

‣2016年

‣監督:山田尚子

‣原作:大今良時

‣脚本:吉田玲子

‣絵コンテ:山田尚子、三好一郎、山村卓也

‣演出:小川太一、河浪栄作、山村卓也、北之原孝将、石立太一

‣キャラクターデザイン・総作画監督西屋太志

‣音楽:牛尾憲輔

‣アニメーション制作:京都アニメーション

‣出演