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みることの失敗――阿部和重『シンセミア』感想

シンセミア(上) (講談社文庫)

 

 阿部和重シンセミア』を読んだので感想。

  2000年、夏。山形県東根市神町。かつては米軍の、いまは自衛隊の基地のほど近くにあるその地方都市は、戦後から連綿と続いてきたあり様を、いままさに変わらんとする、その最中にあった。もはや戦中あるいは戦後直後の街の風景を知るものは減り、ヤクザとパン屋のタッグによる街の支配も軋みつつある。そんなことは神町の人々の知るところではなかったかもしれないのだが、一見平穏にみえた街の風景は、自殺、事故、行方不明と三者三様の仕方で男たちが消えたことをきっかけに、劇的に変わろうとしていた。街に渦巻く利権のにおいを人々は嗅ぎ付けはじめ、そして劇的な災害によって、街はカオスに叩き込まれる。

 ある地方都市の秩序が徹底的に崩壊し、そしてさしあたっては新たなる秩序がもたらされるまでを描いた『シンセミア』の物語は、神町に生きる様々な人々の目を使って語られる。先代が築き上げ、そして自身もその恩恵にあずかってきた支配の重荷から解放されようともがくパン屋の主人。その息子で、夫婦の不和がきっかけに地元の若者が主催する盗撮サークルに出入りしている男。その友人で、宗教的ともいえる使命感で小学生女子をつけねらうロリコン巡査。その巡査にたびたびちょっかいをだす、オカルトマニアの老新聞配達夫。

 アタマのねじがぶっ飛んだ60人余りの登場人物たちが入り乱れ、その関係が交錯し絡み合ってて一つの小宇宙ともいうべき空間を現前させ、なおかつその混沌を「戦後直後の因縁に端を発する復讐劇」という巨大な運命に収束させて語りきっている、その構造にほれぼれする。『八月の光』が作中で言及されるあたりウィリアム・フォークナーのヨクナパトーファサーガに対する目くばせが~みたいな評を結構みかけるが、そもそも作中で言及される『八月の光』が「フォークナー」の『八月の光』であると確定できる記述はないし、女子中学生がフォークナーを意識的に手に取るか?みたいなことを思ったりするし、というかぼくがフォークナー読んでないので、そういうことは別に言ってもないわけです。

 全体を規定するのは、戦後直後に端を発する、パンパンへのいわれなき暴力の復讐なのだけれども、そうした強力な物語上の力に人間が従属していない、という感じを受けるというか、それぞれの人物たちがそれぞれの欲望のために行動し、そしてそれぞれの結果を得ているという感覚、それをリアリティと呼んでもいいと思うのだけれど、なんというか人間に人間らしい汚らわしい血が通っている感覚が、この物語に巨大な迫力を与えていると感じる。復讐劇というドラマが根底にあるにもかかわらず、作中の人間は別に「わるいことをしたから罰を受ける」とか、「よき行いをしたからよきことが起きる」みたいな、勧善懲悪的な因果律を完全に拒否している。よいことをする人間など作中に見当たらないので後者はどうでもいいのだけど、人間が大変な目に遭ったり死んだりするのはその場その場の判断の誤りによってのみそのような結果が生ずるにすぎず、過去の悪行はあくまでその原因を準備するにすぎない、という乾いた感覚があるような気がして、だからこそ最後まで復讐劇のたどり着く先が読めない、そういう感覚があった。そういう乾いた感覚をノワールっぽいっていうんだろうか。ちょっとわからないが。

 その感覚はどこから生じるのかといえば、作中の語りによって人の表情であるとか仕草とか息遣いのようなものが過剰に描写されている、言い換えれば語り手となる人物は異様に他者を観察しているように感じられる、という点によって生じるのではないか、という気がする。会話のたびごと、語り手は相手の意図を推し量ろうと最大限の努力を払い、その配慮の筋道が地の文で丹念に追跡される。しかし、他者へ向けられる観察眼は、その都度その都度多少の誤読を含みこまざるをえず、だからこそ、読者であるわたしたちは、他者として「みられる」主体だった人物が語り手となったとき、いかにかつての語り手が他者を読めていなかったのかを知ることになる。そうした無数の誤読の果てに、人間の運命は決定される。無数の誤読の果てにたどり着くのは、いうまでもなく、大概の場合死なわけだけれど。

 みる/記録する、という所作は作中でかなり露骨に反復されているという気がして、それは盗撮サークルなんかが暗躍するところなんかはまさしくその問題系と絡んでくると思うのだけれど、街の覇権を握るかに思われた盗撮サークルの末路を考えると、『シンセミア』自体は「みること」の失敗の物語なのかもしれない、とも思う。しかし最後の最後で現れた男は、そのみることの欲望が絶えることなどないのだ、そんなことを思って笑うのかもしれないが。

 

 

 

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シンセミア(上) (講談社文庫)

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シンセミア(下) (講談社文庫)

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