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戦下の日常を生きる――映画『この世界の片隅に』感想

この世界の片隅に 劇場アニメ公式ガイドブック

 

 『この世界の片隅に』をみました。めちゃくちゃよかったです。是非映画館に足を運んでいただきたい。以下感想。

過去というもう一つの世界 

 戦争の時代。70年以上も前、この日本という国は戦争をしていたという。それは誰もが知っている。この国を旗を背負った人々が多くの人を殺し、そしてあまりに多くの人たちが死んでいったのだということも、私たちは知っている。しかし、そこで人々がどのように生きていたのか、それを私たちはどれほど知っているのだろうか。

 『この世界の片隅に』は、広島県呉市に嫁いだ女性、すずさんにフォーカスをあてて、戦争の時代に人々がどのように生きたのか、その日常の所作一つ一つをフィルムに刻み付ける。炊事、洗濯、裁縫、そのような日常世界で無数に繰り返された所作一つ一つが印象的に反復され、そして戦争の時代にあっても、人間は日々を生きているのだということが繰り返し確認される。戦争は、「片隅」に生きるすずさんのあずかり知らぬところで始まり、そして世界全体を規定している。世界全体を規定しているのだから、「片隅」も否応なくその影響を受ける。

 半世紀以上前の戦争は、あるいはその時代を生きた人々の生は、これまで無数の仕方で語られ、表象されてきた。『この世界の片隅に』もまた、その時代に生きた人々を語ろうとする試みであるのだが、そこにおいて生きられた生の迫真性という点においては、他作品の追随を許さないのではないか。その迫真性がどこから生じるのかといえば、おそらく膨大な時間を費やされたであろう綿密な調査によるところが大きいのだろうと思う。

 過去の人々がどのように生きていたのか、具体的に想像するのは難しい。私たちのまなざしはいま・ここに否応なく制約を受ける。いま・ここと、過去とは違うものだとわかってはいても、その制約は逃れがたく私たちを縛る。だから、私たちの想像する過去はつねに、私たちの現在の投影として眺められるという可能性を含み持つことになる。その結果として、私たちの想像する過去は、私たちの生きるいま・ここと奇妙な同質性を持つ、現在に連続する世界としてか、あるいはその逆に、いま・ここからあまりにへだたった、現在とは断絶する世界としてイメージされることになる。この錯誤の方向性はまったく別のベクトルを向いているが、しかしいずれも過去と私たちとの懸隔ゆえに生じるものだという点では同根である。

 『この世界の片隅に』の提示する世界は、いま・ここという制約があってなお、過去に生きられた世界、その呼吸を感じさせる。それが果たして「真実」の過去を捉えているのかを判断する術は誰にもない。しかし、少なくとも、現在の似姿でもなく、全くかけ離れた場所でもない、そのような世界がスクリーンのなかにあったこと、それに大きな感動を覚えました。

 なかでもとりわけ印象に残るのは食事の描写で、戦局の悪化につれ、目に見えて食べるものがなくなっていく。配給は滞り、雑草まで食卓にのぼるようになる、それでも人は飯を食わねば生きていかれない。そのような現実を前にしても、いやそのような物質的な状況だからこそ、工夫に工夫を重ねてなんとか少しでもマシなものを創り上げようとするすずさんの奮闘はコミカルですらあって、おそらくそのようなコミカルな呼吸というのは戦争の時代にもあったんだろうな、という気がしてくる。たぶん工夫に工夫を重ねてあまりおいしくない料理を作るのが楽しいのは、はじめのうちだけなのだろうとも思うのだけど。

 

生きねばならない日常

 その「戦下のレシピ」の描写もそうなのだけど、ぼんやりとしたすずさんの人柄とそれによって生み出される和やかな空気感が、この作品に温かさを与えていて、それが作品の雰囲気を決定しているように思う。また、すずさんは語り手としてその心情がたびたびモノローグの形で差し挟まれるようになっていて、それがこの映画がすずさんという一人の「ふつう」の人によって眺められた世界を構成したもの、というような印象を与えもする。彼女からながめられた世界は、空襲警報が繰り返される非常時にあって、それでもなお継続される日常が、その強度を保っているように感じられる。

 戦争という非日常のなかにあっても繰り返される日常。すずさんの日常は、戦争の暴力によって、決定的に塗り替えられもする。大切な人を、そして自分自身の一部を失ってなお、しかし日常は続いていく。炊事、洗濯、そうしたことを繰り返さねば生きてゆくことはできないのだから。

 この作品のなかでの戦争は、何かが不意に失われる、そのことの連続で形成されている。食べるものが失われる、身近な人が失われる、自分自身が失われる......。それは決して戦時下に限らずあらゆる生がそのような喪失に満ちているともいえる。しかし、戦時下におけるそれは極めてドラスティックに、大量に生じる。その点で戦時下とそうでない時代とは異なるだろう、ということはいえる。

 そうした戦争のもたらす喪失は、決して「戦争が終わった」ことでは終わらない。だから、この作品も一般に「戦争が終わった」とされるタイミングで語り終えることは許されなかったのであり、戦争の影を引きずって、すずさんの日常は続くのである。『この世界の片隅に』は、ある意味ではすずさんが何かを失い続ける物語であると思う。だから、これからもなにかを失わざるを得ないであろう彼女の物語が、それと同時におなじくらい大事なものと出会う、そのようにして続いていくであろうことを予感させるラストに宿るのは、間違いなく希望である。

 

 

関連 

 片渕監督の前作の感想。


  昨年の『野火』に引き続き、こういう仕方で戦争を語る作品が世に出たことは、ほんとにすげえと思います。『この世界の片隅に』も、戦争が飢えとの闘いである、というところにフォーカスをあててるあたりに『野火』共通性を感じます。


 

 漫画は未読なので近いうちに読みましょう。

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 下 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 上 (アクションコミックス)

 
この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

この世界の片隅に 中 (アクションコミックス)

 

 

 

  すずさんが奇妙なレシピで奮闘するシークエンスは、斎藤美奈子戦下のレシピ』を想起。再読の機運が。

 

【作品情報】

‣2016年

‣監督:片渕須直

‣脚本:片渕須直

‣原作:こうの史代

‣出演