宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

反復される/裏切られる過去――木多康昭『喧嘩稼業』69話感想

喧嘩稼業(6) (ヤングマガジンコミックス)

  『喧嘩稼業』、『喧嘩稼業』です。最強の格闘技は決まっていませんが、いま最強の漫画は『喧嘩稼業』ではないでしょうか。今週の展開であまりにブチ上がってしまったので感想書いときます。

  『喧嘩商売』・『喧嘩稼業』を読んでおられないかたはまさかおられないと思うんですが、一応説明しておくと現在、陰陽トーナメントという、まあ『グラップラー刃牙』でいったら最大トーナメント的なやつが描かれていて、現在誌面では主人公佐藤十兵衛の師である入江文学が1回戦を戦っている。

 文さんこと入江文学は、父の仇をとるためにこのトーナメントに出場していて、そのために優勝して主催者であり、父を再起不能に追い込んだ男でもある田島彬と対戦する権利を得ようと戦っているわけです。主人公の十兵衛があくまで一出場者である工藤優作へのリベンジ(二回戦で実現する見込み)を目指しているのに対して、文さんのほうは目標達成のためには優勝する必要があり、印象的に挿入された父との約束のエピソードもあいまって、十兵衛よりはるかに主人公的なバックボーンを背負っているような感じを受ける。だから、まさか1回戦で苦戦したり、まさか負けるなんてことは想像できない。古武術である戸田流の継承者で主人公の師匠ってめっちゃかっこいい感じですが、そのわりに女性経験がなかったり手作りのあまりおいしくないおにぎりを弟子に振る舞ったりとかチャーミングなエピソードも満載で、『喧嘩商売』・『喧嘩稼業』を読んだ人はみんな文さんのことが大好きになってしまう、そういう中年男性で、だから当然みんな文さんを応援しているんですよ。

 その文さんの相手は、アンダーグラウンドの闘技場で日々命を懸けた殺し合いを潜り抜けてきた男、櫻井裕章。シラット使いであるらしい櫻井は、前向性健忘を患っており、記憶が72時間しかもたない。しかし異様な迫力と記憶のなさを補ってあまりある対応力をもつことが描かれ、トーナメント試合開始直前になんと文さんの宿敵田島の血縁者だという設定が唐突に明かされたりもして、これはもしかして、いかに主人公的な星のもとに生まれた文さんであろうが、容易には勝てないのではないか、そういう不安が漂ってきた。

 その不安はまさしく現実のものとなる。櫻井裕章は強い。べらぼうに強い。格闘漫画の魅力、たとえば本物の格闘技をみたり。カンフー映画を見たり、そういうものと引き比べたりしたときの魅力とは、たぶん時間感覚の自在さにある。漫画のなかでの時間は、現実の時間とは異なった次元で流れる。だから一刹那の攻防のその一刹那を引き延ばすことが可能なのであり、その引き延ばされた時間のなかで揺れ動く意志と感情とが一挙手一投足に写し取られる。そのようにして、一瞬で下される一つ一つの判断を極めてロジカルに描写し、腕の動き一つ、足の動き一つに論理的な意味を付与していることに、『喧嘩稼業』の格闘漫画としてのおもしろさは凝縮されているといっていい。

 陰陽トーナメント初戦の梶原修人対工藤優作、佐藤十兵衛対佐川徳夫でもそのようなロジカルな格闘描写は冴えにさえていたわけだが、現在の入江文学対櫻井裕章でそれがより一層鋭くなっているのでは、という感じがする。

 入江文学も櫻井裕章も、ともに年を重ね、無数の戦闘を、試行錯誤を重ねてきた歴戦の猛者。その経験の質、すなわち櫻井は命のやりとりを無数に繰り返してきた一方で、文学にはそれがない、その差異が強調されもしたが、それはあくまで櫻井側の理屈であって、文学もまた合理的に強さを探求してきたのであり、それは死線を超えた経験と等価でありうる、ということもまた示唆された。

 これはどういうことを意味するのか。それは彼らの拳には、一挙手一投足には、彼らの身体に染み付いた過去が否応なしに付与されることになる、ということである。記憶を失った櫻井にとっても、入江にとっても、戦闘とはすなわち過去の経験と思考を参照しつつ、最善手を追求することに他ならない。その経験のなかで、彼らがかつて戦った敵が、たどった思考がまさに現在に投影され、その反復がまさにいま戦う敵との戦いを形作る。

 文学が目の前で目撃した入江無一対上杉均戦の決定的な一コマが、リング上で反復されたように、文学の過去がこの試合では頻繁に顔をのぞかせる。そして前回、梶原修人と文学がかつて交わした、竜対虎の構図が相手を変えて反復され、そのやりとりの決着が今週の69話で示されたわけだが、これが完全にかつての梶原との対決を裏返したかのような結果に終わり、過去の反復は果たされず、文学は完全に過去に裏切られることになったといっていい。かつて梶原修人の腕を切り落とした文学が、皮肉にも今度は自身が腕を失う結果になったのだから。

 しかしこの過去の裏切りは、決して文さんが勝利に見放されたことを意味はしない、とも思う。かつて梶原修人は腕を失って敗北を受け入れた。その過去をこそ、文さんは裏切らなきゃいけない、と思う。再びどうにかしてか起死回生の手を打ち、違う仕方で過去を裏切ること。そのようにして文さんが勝つのだと僕は信じたい。

 

 こんな感じで未決の勝負に思いをめぐらせることの楽しさは何にも代えがたいので、みなさんにおかれましても『喧嘩稼業』をリアルタイムで読んでください。

 

関連

 シラットは最強(シラットは最強)


 

  スポーツの描き方って意味では、『おおきく振りかぶって』のゲームの捉え方は『喧嘩稼業』と通じるのかも。