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彼らの夢の景色――『MERU/メルー』感想

 【映画パンフレット】 MERU メルー 監督 エリザベス・チャイ・ヴァサルヘリィ キャスト コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズターク、ジョン・クラカワー、ジェニー・ロウ・アンカー、ジェレミー・ジョーンズ、

  ​Twitterで一部の信頼できる人たちが熱狂していた『MERU/メルー』をようやくみました。以下感想。

  100年前、地球上には人類がまだ足を踏み入れたことのない場所が無数にあった。南の果て、山の奥地、もしくは見知らぬ人々が住むという秘境。近代という大きな歴史のうねりのなかで、そうした場所を人間は征服してゆく。やがてその近代の夢ははるか地球を離れ月に旗を立てるに至り、最早この地球上に人類が征服していない場所などないかに思われた。しかし、本当に征服されざる場所はないのか、未踏の地はないのか、秘境はないのか。否。今に至ってもなお、前人未到の地は存在する、そして、そこに足を踏み入れようとする人々がいる。高度6500mにそびえるヒマラヤ・メルー峰のシャークスフィン。未だ征服されざるその絶壁に、三人の男が挑む。

 ヒマラヤの絶壁に挑む男たちが、自分たちをカメラに収めた映像を中心にして作ったドキュメンタリー映画がこの『MERU/メルー』で、挑戦、失敗、そして再チャレンジという2度のアタックの物語が、彼らの過去を挿入しつつ語られる。チームを引っ張るリーダー的な立ち位置であるコンラッド・アンカーは、エベレストで遭難したジョージ・マロリーの遺体を発見した人物と作中で語れらてビビったのですが、経歴からしてキャラ設定盛りすぎの最強人間という感じ(キャラではない)。

 師、そして相棒の死を乗り越えて今なお山に登り続けるコンラッド、そして彼が絶対の信頼を置くジミー・チン、レナン・オズターク。フィクション上の人物かと見まがう彼らを待ち受けるのは、まさしく事実は小説より奇なりを地で行く、残酷かつドラマチックな運命。最早先進国の多くの人々が、死というものから遠ざけられて生きるこの現代にあって、その死のすれすれを、薄氷の上を歩むがごとく歩き続ける男達。死という現実は、コンラッドから師と友人を奪い去ったように、このチームのメンバーにも容赦なく牙をむく。

 最初の挑戦で、彼らはもうあと一歩、目と鼻の先に頂上があるというそのタイミングで、安全のために挑戦を放棄して撤退する。極寒のなかを、悪天候で足止めを喰らったがゆえに一日に一切れのチーズ程度しか摂らずに、ようやくたどり着いた場所を放棄してみせるその冷徹極まる判断力に僕は大層驚いたのですが、彼らの生きる場所、すなわち一つの判断ミスが比喩ではなく死に直結する場所に身を置き続けているからこそ、身の安全を確保する正しい道を選べるのだなと。

 なぜ彼らはそのような言語を絶する苦痛、そして死のリスクを抱えてまで、絶壁に挑むのか。一人はこういう。「景色」が見たいのだと。これがはたして彼らの動機のすべてを説明しているのかといえば、それはまた別問題だと思うのだけれど、彼らはその欲望を、個人的なものである以上に普遍的なものであるとも考えているのだろう。なぜならその景色を、彼らが血のにじむような道程の果てに勝ち得た景色を、決して彼らだけのものに留めることはなく、映画という媒体を通して、絶壁に挑むことなど絶対にないであろう我々に提示してみせるのだから。

 それはもちろん、挑戦に際して費やされるであろう莫大な費用をまかなうという経済的な背景があるのだろう、とは思う。しかしそうした現実的な背景が、こうして彼らの夢見た景色を、我々もまた共有できる、そうしたことを実現させているのだから、むしろポジティブに捉えてもいいのかもしれない。他人の夢を追体験する。そうしたことに映画の意義の一つがあるとするならば、まさしく彼らの夢見た景色がスクリーンに現前するこの『MERU/メルー』は、それをドキュメンタリーでしか果たせないような仕方で果たしている、と思う。

 

 

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【作品情報】

‣2015年/

‣監督:ジミー・チンエリザベス・C・バサヒリィ

‣出演