宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

あまねく響くフィクションの神話――『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THE LAST SONG』感想

コンクリート・レボルティオ~超人幻想~ 第9巻 (特装限定版) [Blu-ray]

 『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜THE LAST SONG』をみました。よかったです。以下感想。

 彼らの居場所

 『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』は、超人たちの跋扈する架空の昭和=神化の世界を舞台に、現実の歴史上で起こった事件に超人たちが関与していく偽りの歴史を紡ぎだす。神化43年、新宿擾乱事件をきっかけに、人吉爾朗が超人課を離脱して以降の歴史が語られるのが、2期の『THE LAST SONG』である。

 この2期では、常軌を逸した力をもつ超人たちが、政府や資本によってその巨大な力を管理されていく、そんな風景が全体の基調となっているように感じられる。超人課は爾朗がいたころほどの影響力を喪失し、政府や大資本の走狗のような役割を担わされ、管理から逃れようとする超人たちには政府の手が迫る。

 2期における黒幕といえる里見義昭が帝都広告社の顧問という立場に立つのは、その構図を端的に象徴していて、だから政府という組織すらあくまで資本主義に従属せざるを得ないものとして表象される。1期においては、そのように超人に手を伸ばす存在は主にアメリカ的なるものが担っていたように思うのだが、アメリカという国籍の貼りついた挿話こそあれ、2期においては全体としてはアメリカという固有の国家は後退し、より抽象度の高い資本主義というシステムこそが前景化する。

   システムにからめとられる超人。それは世界史的にいえば、1968年をピークとして、世界中の若者たちの反乱が終息していったこととパラレルなものとして見立てることが可能かもしれない。自由を求め逸脱していく巨大な力すら、最早管理の手から逃れられない。そのようにして、超人たちは政府の管理下に居場所を見出すか、ひっそりと息をひそめて生きるかという途しか残されていない。そんな世界のなかで、爾朗はあくまで「超人を守る」ため、超人でも人間でもないものとして戦いを続ける。

 しかし彼の戦いは超人たちはシステムにからめとられていくという歴史の趨勢に抗うこと自体はできず、現実における沖縄海洋博の似姿である沖縄超人博覧会において、超人たちが単なるエネルギーとして犠牲に供される、システムと超人の関係の究極的な帰結があらわれるのである。超人を管理し飼い慣らす、そのようにして有用性を引き出す究極の形態として、果てにあらわれる風景。

 

フィクションの残響

  その風景の前にして、人吉爾朗は何を選び取るのか。この『THE LAST SONG』は、その超人でも人間でもないという運命を背負った人吉爾朗が、自ら「超人」であることを選び取る、超人になる物語だと要約できるだろう。2期になって前景化した超人(異能者)対(普通の)人間、という構図は、かつて同じくボンズによって制作されたアニメ『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』を彷彿とさせる。『DTB』においても、主人公となるのは異能者でも人間でもない男だった。

 とはいえ『コンレボ』と『DTB』では異能者と常人という関係対のもつ意味合いは大きく異なり、だから異能者と常人のあいだに生きる主人公の最後の選択もまた、大きく異なる。『DTB』においては異能者(契約者)と常人の境界自体が、「合理性」という言葉の曖昧さをキーとして1話から最終話に至るまで首尾一貫して曖昧なものとして提示され、だからこそその曖昧さをこそ見出し、賭けるという途が示されたわけだが、『コンレボ』における異能者である超人は、あらゆるフィクションのメタファーとして存在する。

 だから、管理され飼い慣らされる超人たちの姿は、まさしく現実においてフィクションが資本主義というシステムのなかで利用され搾取され有用性を吸い尽くされてゆくことの似姿なのだ。超人というフィクションはそれがまさしくフィクションであるがゆえに、その運命から逃れることはできない。逃れるためには資本主義の重力圏の外の「もう一つの世界」へと旅立つしかない。しかし、私たちが「もう一つの世界」に逃げ去ることなどできないことを、私たちは知っている。だからこそ爾朗は、「もう一つの世界」ではなく、超人=フィクションの可能性にこそ、賭け金を置くのである。

 かくして悪を倒すため超人となった爾朗は、その悪を打ち倒してその役目を終え、身体を失う。すでに可能性を使い切り、語るべき物語を語り終えたフィクションには必ず終わりが訪れるように。しかし、フィクションが終わっても、フィクションが死んでなどいないことを私たちは知る。フィクションは私たちのうちに、あるいはそのフィクションが拡散したこの世界のうちに、疑いなく宿っているのだから。人吉爾朗の物語は始まり、そして終わらなければならないという宿命を背負うフィクションそのものの神話であり、昭和をフィクションで読み替えることを通して私たちの歴史の、あるいは生そのもの可能性を拡張させる、『コンクリート・レボルティオ〜超人幻想〜』はそういう物語だったのだと思う。

 

関連

 1期の感想。

油断するとつい『インヒアレント・ヴァイス』の話をしてしまう

 Twitterでちょっと話題が流れてきましたが、『ローガン』とかなりかさなる感じします。

 

 

 

 

 

【作品情報】

‣2016年

‣監督:水島精二

‣原作:BONES會川昇

‣脚本:會川昇辻真先虚淵玄中島かずき

‣キャラクター原案:いとうのいぢ氷川へきる、平尾リョウ

‣キャラクターデザイン・総作画監督伊藤嘉之

‣音楽:石濱翔帆足圭吾山本陽介ZAQ

‣アニメーション制作:ボンズ