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アスガルド、その血塗られた故郷――『マイティ・ソー バトルロイヤル』感想

マイティ・ソー バトルロイヤル 通常版 パンフレット  タイカ・ワイティティ 監督 クリス・ヘムズワース, マーク・ラファロ, トム・ヒドルストン, ケイト・ブランシェット,

 『マイティ・ソー バトルロイヤル』(原題: Thor: Ragnarok)をみましたので感想。

  アスガルドに帰還したソーを待っていたのは、世界の終わりの予感と、父に姿を変え王の座に居座る弟、ロキだった。地球の魔術師の力を借り父を発見した兄弟は、父の死に伴って究極の災厄が解き放たれたことを知る。

 『マイティ・ソー』シリーズ第3作目にして『マーベル・シネマティック・ユニバース』シリーズとしては、第17作目。17!ソーが本格的にスクリーンに姿を見せるのは『エイジ・オブ・ウルトロン』以来だから、おおよそ2年ぶり。2年経っても変わらない姿を見せてくれたソーと愉快な仲間たちに笑顔になる。愉快な仲間がめっちゃ雑に退場ずることに涙し、地球のみなさんが影も形もないことに悲しみを背負うことになるけれど、まあ、それはそれとして、元気な姿を見られるのはよいことです。

 今回の『ラグナロク』においては(今さら何を言ってもおそいですが、『バトルロイヤル』より『ラグナロク』が間違いなくふさわしかったでしょう、お話的には)、アドリブをかなり大胆に取り入れて撮影が行われたことが各所で話題になっていて、たしかに今までのシリーズと大分手触りが違うなあと感じたわけですが、それよりなにより、アスガルドというソーたちの故郷が、帝国主義的な収奪によって打ち立てられた場所である、と示唆された点が非常におもしろいなと感じました。これによって、アスガルドという架空の故郷は、先住民を放逐して征服者たちの打ち立てた、アメリカ合衆国という実在の故郷の明確なメタファーとして機能するわけです。

 だから、彼らは移民の歌に讃えられた北欧のヴァイキングの末裔ではなく、先住民をインディアンと名指して収奪してきた者たちの後裔なのだ。しかも、その収奪の歴史のあとに生まれたソーは、自身の故郷がそのような歴史的な位置を持つことを知らないし、その血塗れの歴史は王によって隠蔽すらされてきた。だから、『ラグナロク』はその歴史を新たな王たるソーが背負い、そして清算を試みる物語として見立てることができる。帝国主義的侵略の権化たる死の神ヘラを打ち倒すには、その収奪された故郷自体を否定するほかない。こうして、世界の終わりを導き入れることでしか、血塗られた歴史を清算することなどできない。

 世界が終わっても、人々はその世界の終わりのあとを生きねばならない。こうして新たな王は、流浪の民を率いて大海原へと旅立つ。アメリカ合衆国の物語は、ラグナロクという世界の終焉の物語を経由して、アナクロニスティックに出エジプトの物語へと接続される。MCUはつねにいま・こことの緊張関係のなかでスーパーヒーローの物語を語ってきたが、この『ラグナロク』ではいま・ここをはるか超越し、歴史と神話の物語を語ってみせた、しかも異様な軽快さを纏わせて。その意味で、この作品はたぶんMCU作品のなかでも唯一無二の位置を得たんじゃなかろうか。

 

 

 

 

 

【作品情報】

‣2017年/アメリカ

‣監督: タイカ・ワイティティ

‣脚本:クレイグ・カイル、クリストファー・ヨスト、エリック・ピアソン

‣出演