宇宙、日本、練馬

映画やアニメ、本の感想。ネタバレが含まていることがあります。

大いなる遺産、その微かな灯火――『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』感想

スター・ウォーズ/最後のジェダイ 2018年 カレンダー 卓上 CL-345

 『スター・ウォーズ/最後のジェダイ』を字幕版で鑑賞しました。ノリで公開日に見に行って、いままで感想を書いてこなかったんですが、賛否両論ぶりにビビってます。僕はめっちゃ好きなので。以下感想。

  帝国軍残党ファーストオーダーと、共和国の理念を守ろうとするレジスタンスの闘争は、共和国の首都が吹き飛んだこともあり、レジスタンス側の劣勢は明らかとなっていた。そんななか、かつて帝国打倒に大いに貢献した伝説のジェダイルーク・スカイウォーカーの居場所が判明する。彼の存在は、レジスタンスを救う希望の光か、それとも。

 『フォースの覚醒』にはじまる新たなるトリロジーの第2作目は、前作以上にシリーズの記憶の反復と変奏、再生産に満ち、そしてそれを極めて自覚的に引き受けている。レジスタンスもファーストオーダーも、かつての反乱軍や帝国軍ほどの規模はないようにみえる。そしてその規模を反映するかのごとく、『最後のジェダイ』は極めてミニマルなシチュエーションひとつを切り取り、レジスタンスのファーストオーダーからの逃亡というひとつの運動に映画を託した。上映時間の長大さにもかかわらず、作中で流れる時間のスパンは、おそらく、シリーズ中で最短なのではないか。

 黄金時代はとうに過ぎ去り、それでもなお、過去の遺産をどうにかやりくりして、非とはどうにか生きていく、生きていかねばならない。そしてまた、映画もそのようにして撮られなければならない。だからスクリーンのなかの人々の生と、この『最後のジェダイ』という映画そのものが強烈に共振し、長年のあいだ物語を積み重ねてきた作品にしかありえない歴史の強度が映画のなかに凝縮されている。

 その意味で、予告編でも登場した、石の惑星で赤い煙をたなびかせながらぼろぼろのスピーダーが疾走する、あの場面がまさしく端的にこの映画そのものの象徴である。過去の遺産へとなんとか逃げ延び、それを使いまわし、そしてどうにか駆動する運動。

 カイロ・レン=ベン・ソロもまた、この映画でアナキン・スカイウォーカーの反復、しかし「ダース・ベイダー」にはなれなかったアナキンとして立ち現れる。この作品において、オビワンとアナキンの関係の変奏としてルークとベンの関係は描かれる。闇に魅入られる弟子、それを引き留めることのできなかった師、そして最後の対決。

 しかしその対決を経てなお、ベン・ソロはダース・ベイダーにはなれないのだ。アナキン・スカイウォーカーダース・ベイダーが、ジェダイでもありシスでもあった男だとすれば、ベン・ソロ=カイロ・レンはジェダイにもシスにもなれなかった男なのである。

 「最後のジェダイ」、ルーク・スカイウォーカーの死をもって、黄金時代の灯火は消え、その残滓がかすかに留まるのみ。ジェダイの精神は、フォースの加護は、その輝きを垣間見たものたちに受け継がれているのだろうが、彼らがジェダイとして立つとき、それはおそらくかつてのジェダイとは決定的に異なるものになるだろう。こうして歴史の反復は、まったく異なる仕方での決着の予兆を漂わせつつ、さしあたっての幕は閉じた。ジェダイなき時代のジェダイ、あるいはシスなき時代のシスの物語は、最早神話の重力圏を超え出て、私たちの生きる現代へと接続する可能性に満ちているように思われる。

 

 

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ビジュアル・ディクショナリー

スター・ウォーズ 最後のジェダイ ビジュアル・ディクショナリー