『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』をみました。以下感想。
1973年。女子テニスプレイヤーのトップに立つビリー・ジーン・キングは、テニスにおける女性プレイヤーの地位向上のため、テニス界を支配する男たちに戦いを挑もうとしていた。一方、もう一線を退いて日々に倦む勝負師にしてギャンブル狂い、ボビー・リッグスは、自身の力を試すため、あるいはスリルによって満たされるため、勝負の場を欲していた。運命のいたずらか必然かによって、まったく違う行動原理で動く二人が、テニスコートというアリーナで激突する。
女性のトッププレイヤーと往年の男性名選手が戦った実話を映画化。男性優位の社会と、あるいは異性愛を至上のものとする社会と対峙したビリー・ジーン・キングをエマ・ストーンが演じる。スクリーンにしばしば大写しになる彼女の笑顔がとにかくよくて、そこに宿るさわやかな善性が映画の雰囲気を決定している。
映画を見る前は、彼女の前に立ちはだかるのは男性至上主義的テニスプレイヤーだと思っていたのだけど、話はそう単純ではなく、作中で言及されるように、ボビー・リッグスはあくまで「道化」に過ぎず、彼女の本当の敵は女性を尊敬しない男たち、テニス界の重鎮たちなのだ。
映画のなかで提示されるボビー・リッグスの振る舞い(ビリー・ジーン・キングとの勝負を男性対女性の戦いに見立てたり、男性の優位を殊更強調する言動)はあくまで「ネタ」的であり、そのことに本人も自覚的だし、ビリー・ジーン・キングもそのことを見抜いている節がある。彼はあくまでギャンブル狂いの勝負師であり、リスクを伴う大勝負なしでは生の感覚を得られないような男で、この「男女の戦い」はあくまでその手段に過ぎないのだ。
しかし彼のその振る舞いを利用して、男性優位の秩序を盤石にしようとする男どもがいて、ビリー・ジーン・キングはそのような人々に強い怒りをぶつけるのだ。ボビー・リッグスの振る舞いは露骨なものだが、その「ネタ」的な振る舞いがこのように利用され、幻の、いや現実の鉄鎖はますます強固になる、というのは、性差にまつわることだけではなく、もっといろいろな場でみられる機制でもあるような気がする。優し気な目線をビリー・ジーン・キングに投げかけたファッションデザイナーが告げたように、『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』が終わっても闘いは続く。半世紀を経た今でも、間違いなくそれは終わっていない。
【作品情報】
‣2017年/アメリカ
‣監督:ジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス
‣脚本:サイモン・ボーファイ
‣出演
- エマ・ストーン - ビリー・ジーン・キング(佐古真弓)
- スティーヴ・カレル - ボビー・リッグス(島田敏)
- アンドレア・ライズボロー - マリリン・バーネット(桑島法子)
- サラ・シルバーマン - グラディス・ヘルドマン(小山茉美)
- ビル・プルマン - ジャック・クレーマー(菅生隆之)
- アラン・カミング - テッド・ティンリング
- エリザベス・シュー - プリシラ・ウィリアム
- オースティン・ストウェル - ラリー・キング
- ナタリー・モラレス - ロージー・カザルス
- エリック・クリスチャン・オルセン - ロニー・クール
- ルイス・プルマン - ラリー・リッグス
- ジャシカ・マクナミー - マーガレット・コート
- マーサ・マックアイサック - ジェーン・バートコウィックツ
- ウォレス・ランガム - ヘンリー
- フレッド・アーミセン - レオ・ブレア