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たかが歴史の影法師――『Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly』感想

映画チラシ 劇場版 Fate stay night Heaven's Feel ? lost butterfly

 『Fate/stay night [Heaven's Feel] II.lost butterfly』をみました。以下感想。

  姿を消したセイバー。忍び寄る不穏な影。

 『Fate/stay night [Heaven's Feel]』第2章。相変わらず背景の描写は稠密でリアリティがあり、時折遠景で映される冬木市はスクリーンによく映えている。オープニングのシークエンスでは冬木市の人々の生活を軽やかに切り取っていたが、それは極めて計算された悪質さであり、この第2章でなされる選択がそのような人々が犠牲となる可能性を導くものだということを知った我々がこのオープニングを想起したとき、彼の選択の重さはより迫真性を伴って感受されるように思う。

 『[Unlimited Blade Works]』で語られた衛宮士郎の正義、衛宮切嗣の正義を彼なりの仕方で継承した正義が、この『 [Heaven's Feel]』においては究極の試練にさらされ、衛宮士郎はその正義の在り方を裏切り、また別の正義、かつて語れらた衛宮士郎の物語では到底「正義」と名指されることはなかったであろう在り方が示される(のだろうと思う)。こういう仕方で複数の可能性をおおよそ等価なものとして提示しうる点はまさしくノベルゲームとしての強みであろうな、と思いつつ、それをアニメという媒体でも成立させてしまうあたりに、『Fate』というコンテンツの求心力と凄みを感じる。

 前作から引き続き、黒い影をめぐるホラー描写の質感はそこはかとなく黒沢清みがあった気がするのだけど、ギルガメッシュ様の最期なんかはめちゃくちゃ黒沢清的だった気がする。また、時折適切に漂う淫靡な雰囲気なんかもおお流石だなと思ったのですが、やはりこの第2章の最大の見せ場はセイバーvs.バーサーカーであったなと思います。

 一昨年に放映された『Fate/Apocrypha』の一部戦闘シーンの圧倒的な作画の強さは、未だに記憶に新しいが、このセイバーとバーサーカーの死闘は、『Fate/Apocrypha』第22話、カルナvs.ジークフリートへのufotableアンサーともいうべき、超人的な身体の躍動と、超自然的なエネルギーが無暗に爆発する凄まじさで、このテンションを超える場面はufo版『Fate』には終ぞ無かったろうなと思う。

 『Fate/Apocrypha』は作画されたキャラクターの圧倒的強力さと対照的に、物語上でのキャラクターにはそれほど魅力がなかった、という気がする。絵としてのキャラクターの前に、物語のなかのキャラクターが敗退していたといってもいい。それは、彼らが「歴史の影法師」故に物語上での強度を得られなかったのだろうという読みも可能だろうが、一つの作品としては不均衡をもたらしていた。

 一方でこの第2章で圧倒的な力を振るうのは、聖杯の泥に汚染され、最早自身の物語を剥奪された王であり、かたや戦闘のために狂気に堕とされ使役される神話の英雄であるのだから、最早そこに物語上のキャラクターが入り込む余地は極めて小さくなり、まさに作画された絵としてのキャラクターが思うさま前景化し、世界を滅ぼすのではないかという勢いで躍動することが許されている。たかが歴史の影法師、それに魂が宿る瞬間が、僕は『Fate』という作品の魅力の核心なのだと思うし、だからこの第2章の魅力の核心もここにある、と思う。

 

 衛宮士郎の正義の行方は最終章で語られることと思いますが、もうすでに原作がある以上、原作をやらないとなと思ってはいます、思ってはいるんですが、おそらく最終章までにプレイしてないと思います(弱気かよ)。