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あるいは次なる敗戦のために――映画『アルキメデスの大戦』感想

アルキメデスの大戦

 『アルキメデスの大戦』をみました。以下感想。

  1945年4月7日。日本の造船技術の粋を結集してつくられた超巨大戦艦、大和は沈没した。大艦巨砲主義は過去のものとなり、航空母艦の時代がすでに始まっていたその時、巨大戦艦は哀れな遺物にすぎなかった。もし、この大和ではなく、別の艦船が存在していたならば...。天才数学徒を歴史の渦中に投げ込み、空想されたもう一つの歴史が語られるか、あるいは。

 『ドラゴン桜』『砂の栄冠』の三田紀房の原作を、『ALWAYS』の山崎貴監督が映画化。航空母艦を作りたくてしょうがない山本五十六たちと、どうしても超巨大戦艦の夢を現実化したい軍人たちとの抗争の最中、山本らが帝大を追われた天才数学徒・櫂直を利用して、超巨大戦艦の建造計画の見積もりが明らかな虚偽であることを暴こうとする。ぱらぱらとみた印象では原作ではさまざまな歴史上の事件・人物を描き出しながら櫂の活躍を描いているようだが、映画化にあたって「大和の見積もりの再計算」といトピックに焦点をしぼり、ほどよいスケール感の映画にまとまっていたと思います。

 菅田将暉演じる櫂は「数学」—―それは無論、現実における数学めいた意匠をまとった異能力を名指す語である――を武器に巨大な組織に立ち向かう。その姿には三田の原作よりマンガじみているのではないかというほど華がある。対して、櫂とコンビを組む、柄本佑演じる田中正二郎の風貌や所作はマンガから遠く離れていて、この対照的なコンビによるバディムービー的な時間の楽しさが、この映画の随所にある「別に言わなくても伝わるのに余計な一言を加えて致命的にダサくなる」時間のいたたまれなさからぎりぎりのところで救っているかもしれない。

 この作品を駆動させる、数字の不正を暴いて相手の正しくなさを糾弾しようとする、というモチーフは非常に――不幸なことだが――現代的であることよなあと思っていたのですが、原作者の三田が、国立競技場をめぐるニュースから本作の着想を得たと語っていて、ああこれは流石『ドラゴン桜』で一発あてたヒットメーカーの嗅覚の鋭さにいたく感心しました。

「アルキメデスの大戦」特集 三田紀房インタビュー - コミックナタリー 特集・インタビュー

 超巨大戦艦の建造という国家的巨大プロジェクトは、いまやオリンピックという平和の祭典の装いをもって再帰しているのであって、まさに中野敏男が指摘するような、総力戦体制の後裔としてのボランティア動員型市民社会が現前しているのだなとの感を強くするわけです。

 櫂は中盤で、「数学は世界を変えられるのだ」と歓喜する。そして最終盤に至って、この素朴なテーゼは裏切られ、数学はある種のおさだまりの歴史の流れに奉仕して我々のよく知る歴史が現前することを知らされ、このフィルムは終わる。猪瀬直樹が『昭和16年夏の敗戦』で語ったような、総力戦研究所の蹉跌――対米開戦前のシミュレーションによって、日米戦争は必敗とわかっていたのに開戦は止めることができなかった――を想起させるこの結末は、東京オリンピックという途方もない国家的プロジェクトのただなかに投げ込まれたいまの我々にとって極めて不穏というしかないのだし、そうして我々は、次なる敗戦に備えなければならないのかもしれない。

 

 

 

アルキメデスの大戦

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