小熊英二『1968』を読みました。以下感想。
1968年。日本各地の様々な大学で学生運動が盛り上がりをみせ、また世界的にもパリ五月革命、ベトナム反戦運動など、いわゆるスチューデントパワーが炸裂したとして記憶される年。小熊が問うのは、この1968年前後、若者たちはなぜ叛乱をおこしたのか?ということである。その問いに答えるために、小熊は無数の史資料を収集して配列し、この『1968』という書物は上下巻合計2000頁超というあまりにも巨大なものとして我々の前に屹立している。
この長大さは、各地でおこった大学闘争などの推移を、かなり事細かに描写していることによる。慶応義塾大学にせよ日本大学にせよ横浜国立大学にせよ、章のタイトルに挙がっている大学の闘争に関して、おざなりな叙述になっているものは一つもなく、各章が独立したモノグラフとして読める水準のものではなかろうかと思う。
そうした膨大なディテールとそれぞれ分厚く記述される叛乱を、1968年という総体としてまとめあげるために要請されたのが、歴史叙述をつらぬく「物語」――社会科学的な言葉遣いをするならば「仮説」ということになるだろう——である。小熊の採用した物語は極めてシンプルである。
「筆者は「あの時代」の叛乱を、一過性の風俗現象とはみなしていない。だが、一部の論者が主張するような「世界革命」だったともみなしていない。結論からいえば、高度成長を経て日本が先進国化しつつあったとき、現在の若者の問題とされている不登校、自傷行為、摂食障害、空虚感、閉塞感といった「現代的」な「生きづらさ」のいわば端緒が出現し、若者たちがその匂いをかぎとり反応した現象であったと考えている。*1
高度成長を経て、「飢餓」や「貧困」といった「近代的不幸」は日本列島において後景に退いた。しかしそれは、若者たちが幸福になったことを意味しなかった。1968年の若者たちをとらえたのは、生きづらさやアイデンティティの不安といった「現代的不幸」であった。この「現代的不幸」に抗うために、若者たちは体制に、あるいは戦後民主主義に反逆したのだ。だから、見かけ上は「政治運動」のようにみえたとしても、それはある種の「自分探し」が政治運動のかたちをとったにすぎないのだ、と小熊は述べる。
この説明変数としての「現代的不幸」については、下記の書評論文の指摘がまったくあたっていると思う。
CiNii 論文 - 何もない私たち:小熊英二『1968』をめぐって
若者たちの反乱の要因を「現代的不幸」に求める、という説明は当時の社会学者である高橋徹なんかの指摘にもみられるので、それは1968年を説明する概念というより、なぜ当時の人々は「現代的不幸」という概念で若者たちの反乱を説明しようとしたのか?という、歴史的に説明されるべき概念ではないか。それはその通りだと思う一方で、この小熊の大著を読むと、確かに「現代的不幸」によって、ある種の時代精神を説明しえているような気もしてくるのだ。
この書物の偉大さの一つは、「時代」という呪いにとらわれた若者たちを描き出しえたこと――その「時代」という目に見えないものの輪郭を浮かび上がらせるためにこそ、この書物の異様な分厚さが要請されたのだ。1968年という時代には、例えば東大全共闘の山本義隆や、日大全共闘の秋田明大、ウーマンリブの田中美津など非常に吸引力をもつ固有名が紐づいていて、本書もそうした固有名が百出し、ある種の「水滸伝」的なおもしろみがある。とりわけ山本義隆の異次元の伝説ぶり(京大湯川研に留学していたとか、吉野・君たちはどう生きるか・源三郎の娘の家庭教師をしていて、吉野に大層気に入られていたとか)はちょっと笑っちゃうレベル。
しかしそうした彼・彼女ら自身がいかにユニークで個性的な人格をもっていようと、時代という呪いの前にはほとんど無意味なのだと本書を読み終えて打ちのめされる。この『1968』という書物に対して、1968年前後の運動にかかわった人間たちから、自身の経験に拠って立つかたちで無数の批判がなされた。それははっきりいって本書の価値をまったく損なわない。なぜなら本書が浮かび上がらせてしまったのは、そうした個の経験すべてを吸収して意味を希薄化させてしまう、そうした呪いだからだ。
だからこそ、上記の書評論文で指摘された「何もない私たち」の問題というのが焦点化されてくるのだと思う。1968年の運動の当事者たちの無惨と無反省を超えて、我々がそこから救い出さねばならないもの、それは「何もない」ことを引き受けて何が語れるのか、ということなのだ。
関連
『マイ・バック・ページ』の赤衛軍事件も本書に出てくるんですけど、この映画自体が非常に本書の影響を受けてると感じました。
*1:p.14