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仕事への自負と信頼——TV版『リトルウィッチアカデミア』感想

TVアニメ「リトルウィッチアカデミア」VOL.9 Blu-ray (初回生産限定版)

 TV版『リトルウィッチアカデミア』をこのところちまちまみていました。アニメミライ版および『魔法仕掛けのパレード』はずいぶん前にみていたんですが、TV版はとりわけ素敵な作品だったと思います。以下、感想。

  科学技術が発達した、我々の世界とよく似た世界。しかしそこでは、魔法とそれをあやつる魔女が、細々とではあるが息づいていた。歴史あるルーナノヴァ魔法学校に入学したアツコ・カガリ。かつて一世を風靡した魔女、シャイニィシャリオの魔法ショーにあこがれて魔法の道を志した彼女を、大いなる運命が待ち受ける。

 スーパーアニメーター、吉成曜によるTVシリーズ初監督作品。アニメーション制作はガイナックスの流れをくむTRIGGER。吉成はキャラクター原案も務め、かつての『ヴァルキリー・プロファイル』とは打って変わって、シンプルな線のキュートなキャラクターを造形している。シリーズ構成は『ロミオと青い空』など長いキャリアをもつ島田満アニメミライ版および『魔法仕掛けのパレード』ともキャラクターや舞台設定は共通しているが、続編ではなくパラレルな関係で、2クールという時間のなかでキャラクターはより深く掘り下げられる。

 魔法の腕は未熟も未熟、お調子者で軽率だが、まっすぐな明るさとあきらめない心をもつアツコ・カガリが巻き起こす騒動をコミカルに描きつつ、シャイニィシャリオの過去とも密接に絡み合う、魔法をめぐる大いなる運命の物語が進行する。アッコの軽率さに時にあきれつつ、そのひたむきさに彼女のまわりの人間が感化されてゆくさまは、ありきたりだが決して退屈ではなくて、心地よい。それはアッコを演じた潘めぐみをはじめとする声優陣の堅実な仕事ぶりに負うところも大きいだろう。

 『魔法仕掛けのパレード』などでもそうだったように、この作品世界において魔法はある種の見世物であり、吉成もソフトに付属のブックレットで、「この世界での魔法の役割は、我々アニメ業界の世界を多少反映しているところがあります。…特に自分の中のルールとして、魔法はエンターテインメントに出来ることぐらいしかできないということです。」と語っている。

 フィクション、ないしアニメの暗喩としての魔法、という立ち位置は、たとえば「ナイン・オールド・ウィッチ」がディズニーの伝説的アニメーターたちの呼び名を想起させる点などからも主張されていて、アツコが魔法によってネズミにメタモルフォーゼして繰り広げるコメディは、ディズニー的なカートゥーンのような趣もある。ものがメタモルフォーゼする、あるいはキャラクターがコミカルに動き回る、作品自体がこういう「魔法」的な楽しさに満ちている。

 ササキバラ・ゴウの指摘だったように思うのだが、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』以来、ガイナックスの作品群には、作り手がキャラクターに自分自身を仮託しているように感じられるシークエンスが散見される。例えば、『王立宇宙軍』であればロケットの夢に映画製作の夢が重ね合わされていたのだろうし、『天元突破グレンラガン』の終盤、SF的な理屈をきかされているグレン団の連中が理解できずに居眠りしているのは、アニメーターたちがSF設定に全然興味なさげだった様子に着想を得た、というようなことを中島かずきがどこかで書いていた。そのような、ガイナックスの伝統を継ぐ(それは例えば最終話のタイトルにもあらわれているだろう)という意志が、魔法という仕掛けをつかって、アニメについてのアニメをつくる、というこの作品のコンセプトが形作られたのではないか、と推察する。

 そうした魔法の核心として作中で何度も反復されるのは、「信じる」こと。1話では「信じることがあなたの魔法よ」という言葉に導かれ、そして最終話で「信じることがみんなの魔法」なのだと高らかに謳いあげてみせる。魔法は、魔女の力によってだけのみ成り立つのではなく、魔法の力に驚き心躍らせる観客があって成り立つ。このシンプルなことに真情が宿っているのは、この作品にアニメにかかわる人たちの、自身の仕事への自負と信頼とが端的にあらわれているからだろう。自分たちの物語として、これほど率直でてらいのない物語を語れるということ、それは間違いなく偉大なことだと思う。